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人類救済学園 第漆話「地に堕ちて」 ⅱ

前回

ⅱ.

 夕闇のなか。大地へと降りそそぐいくつもの影。櫻坊は息を呑んでいた。落ちていく、人類救済学園の全校生徒たち。美しく、そしておぞましい光景だった。

 その胸元でアミュレットが明滅し、呟いた。

『やはり行き着く先は悲劇……櫻さん、あなたが保健室にいたのは幸いでした。そうでなければ、あの悲劇から逃れることはできなかった』

 あの日……鏡鹿苑と鳳凰丸が校内暴力を繰り広げたあの日、保健室で眠る櫻の枕元で、鳳凰丸はアミュレットを叩き壊した……そのはずだった。しかし、櫻の胸元ではいま再び、呪いのようなアミュレットが輝いていた。

 アミュレットは芝居がかって嘆く。

『あぁ……たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない……だからわたしは平等院さんに言ったのです、夢殿救世はおやめなさい、と』

 櫻の顔は蒼白だった。すべての終わりを告げる光景だった。
 櫻は泣き出しそうな声で叫んだ。

「なんで! なにが! ああ、このままじゃ……このままじゃ……!」

『……安心なさい』

 アミュレットは瞬く。
 それは……半跏思惟中宮は、力強く、確信をこめて断言した。

『今すぐ、わたしの言う通りに動くのです。そうすれば、少なくとも彼だけは……平等院鳳凰丸だけは、貴方によって救われることでしょう……』

「う……ああ……」

 鳳凰丸はまっさかさまに落ちていた。
 漆黒に染まった講堂が遠ざかっていく。

 輝かしい未来を見ていたのだ。輝かしい未来だけを見ていた。今日この日に、輝かしい未来が生まれるはずだった。だが今、鳳凰丸の目にうつるのは、輝かしき光景ではなかった。くるくると回り、過ぎ去っていく視界。そして、繰り返し脳裏に浮かぶ地獄のような記憶。空を切り裂く音、落下する速度……。

 すべてが、終焉を示していた。

 もう終わりなのか。
 なにもかもが、これで終わりなのか。

 僕は……。
 僕は……。

 嫌だ……。

 嫌だ……!

 鳳凰丸は目を見開いた。そして手をかざし、己の権能を行使しようとして……

「くッ……」

 ためらうように顔をしかめ、開いたその手を閉じた。

 その時だった。

 ── いいんちょう。

 その脳裏で、

 ── いいんちょう。
 ── 委員長。
 ── 委員長!

 次々と、声が木霊した。励ますような声音だった。

「みん、な……?」

 それは、風紀委員たちの声だった。

 ── ためらっている場合ですか?

 ── 委員長、それでいいんですよ。やってしまっていいんですよ。

 ── やっぱり委員長は甘いよなー。

 ── 早く決断してください!

 ── そうですよ、今さら水くさい。私たちは何があろうと……あなたのために。あなたのためであれば!

「みんな……?」

 ── 本当に、今さらですよ。あの日……あの嵐の日に、僕たちの魂に轟いたあなたの呼びかけ。

 ── あなたは権能を使い、私たちに訴えかけた。その時から、私たちは……。

 ── そうだ! 俺たちは夢を見たんだ。あなたが示した、輝かしい学園生活という夢、幸せな卒業という夢を。だから俺たちは!

 ── だからこそ私たちは、拒否するあなたを説得して、あなたの肉体的損傷すら引き受けた。あなたを失うわけにはいかない。あなたのために、あなたが見せてくれた夢のために!

 ── だから。

 ── 今さらなんだよ。情けないツラするなよ。

 ── 諦めないでください。俺たちを使い潰してでも、あなたの夢を、実現してくださいよ!

「ああ、ダメだ、そんな……そんなことはできない……」

 ── 大丈夫。みんな、あなたを信じています。

 ── そうそう。きっと、あなたならなんとかする。なんとかしてくれる。

 ── ははは、そうだよね。

 ── 根拠はない。けど、俺たちは信じている。あなたならこんな状況だって逆転してくれる。あなたならきっと、退学してしまった生徒ですら、再び復学させて、卒業まで導いてくれる……そんな気持ちにさせられる。きっと、あなたなら……。

 ── だから僕たちのことは心配しないで。むしろ、僕たちは安心して……。

「おい……何をしているんだ……ッ」

 ── あなたが決断できないなら、俺たちが。

 ── あなたのために、僕たちが。

「……! 何をしているんだ! やめろ……やめろ!」

 鳳凰丸は見た。落下していく白い制服の生徒たち。彼らは次々と、姿勢を制御し、角度を変え、落下速度をあげて。鳳凰丸を追い抜いていく。そして、その下方へと落ちていった。

 ── 私たちが、あなたを受けとめるクッションになってみせる。

 ── どんとこい!

「ああああああ……やめろッ! やめてくれ! 安国さん……大山くん……弥谷くん、岩船くん、神呪寺さん……あぁ、そんな。そんな! みんな……みんな!」

 鳳凰丸の脳裏に、次々と光景が浮かんだ。それは、風紀委員たちが見ている光景。大地に打ちつけられる、暗転。そこに再び、折り重なるように落ちる、暗転。大地は血に染まり、風紀委員たちは積み重なっていく、暗転……。

 鳳凰丸は髪をつかみ、絶叫した。

「嫌だァ! 僕は……僕はッ!」

 次の瞬間、鳳凰丸は、風紀委員たちのつくりだした肉の山へと落ちていた。

「…………!」

 血が吹き上げ、全身が血で染まる。
 想像を絶する痛みが全身を貫いていく。
 鳳凰丸の全身、体中の骨という骨が砕け散る。

 ……あ。

 そのまま鳳凰丸は、大きく跳ねた。ぼろ布のように宙を舞う。
 その下で、風紀委員たちは光となって、退学していく。
 放物線を描き、跳ねた鳳凰丸は……薄れゆく意識のなかで、風紀員たちの光に包まれながら、見ていた。
 制御不可能な速度で、再び大地が近づいてくる。

 激突する。

 このままでは……

 結局、僕は、退学する……

 すまない……

 すまない、みんな……

 鳳凰丸は、目を閉じた。

 風を切る音。
 大地が間近に迫る予感。

 もう、すべてが終わった──。

 そう思った。

 しかし大地に落ちた衝撃は……訪れなかった。

 そのかわりに、ふわり、と柔らかく、優しい感触が鳳凰丸を包み込んだ。その体を抱きとめてくれた、誰かがいた。

 え……?

 鳳凰丸はかろうじて残されていた力で、ゆっくりと目を開けていく。その瞳を、凛とした眼差しが見つめ返す。

「き……みは……」

 南円堂阿修羅。

 彼女の美しい髪が、なびいている。

 校庭を見通すことができる大木の上。

 女はその先端にしゃがんで手に顎をのせ、ニヤニヤと鳳凰丸たちを見つめていた。その笑みは、悲劇的な光景とはあまりにも不釣り合いなものだった。

 ぼさぼさの髪。大きな丸縁のメガネ。白地にストライプのパンツに白いブラウス、紫の紐ネクタイ。そして、医師のような白衣を纏っている。

 明らかに生徒ではない。
 女はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、呟く。

「あれが平等院鳳凰丸かぁ……なかなか、有望そうな生徒じゃないか」

ⅲに続く

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