死闘ジュクゴニア_マガジン

第18話「摩訶不思議」 #死闘ジュクゴニア

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前回

 調布の夜空を、光り輝く翼が昇っていく。

「はははっ! わかる! 私にはわかるぞ、ハガネ! あれは貴様だ! 貴様の仕業だ!」

 空を見上げ、ミヤビは心躍らせ叫んでいた。

 異様。
 それは全てを圧倒する異様なる光景であった!

 調布の中心、数刻前まで広場だった空間。巨大な宮殿めいた構造物が、まるで世界を睥睨するかのようにそびえていた。

 その中央には塔状の多層構造体。そこから虹色の光彩が断続的に放射され、さながら水面に広がる波紋のように禍々しき光の弧を描いている。

 白磁のように艶やかに煌めく外壁。その壁の上を極彩色の紋様がぐるぐると呪いのように渦巻き、蠢き続けている。

 あまりにも巨大。あまりにも壮麗。そして、あまりにも禍々しい。

 宮殿と見紛うその構造物は、巨大なる幕営である。超自然の力で織り上げられ、組み上げられた人外の幕営。そう、これこそが帝国が誇る移動幕営、ジンヤなのである!

 頭を垂れ、跪くミヤビは知っていた。この恐るべきジンヤを一人でいとも容易く作りあげ、動かす男。それが今、ミヤビの目の前にいるこの男であることを。

 頭を垂れるミヤビの心が、ざわりざわりと波立っていく。

 ミヤビは苛立っていた。

 全人類に向けて放たれた先ほどの精神感応。それすらも、この男にとってはテーブルの上にあるコップを持ち上げるのに等しく容易い。

(これは嫉妬であろうか? いや、違う。断じて違う! これは不甲斐なさだ。そう、この男を超えることができずにいる己への……)

「ハガネ……ハガネと言ったのか」

 男はミヤビに背を向け、静かに夜空を眺めながら問うた。開け放たれた窓からは夜風がそよいでいる。首の半ばまで伸びた男の青みがかった灰色の髪が、風に吹かれかすかに揺れている。

「そう、名乗りました」
「ふ……なるほど」

 まるで何かを得心したかのような応答。訝しむミヤビに向き合うように、男の白い長衣が翻った。

「ミヤビ、顔を上げよ」

 ミヤビは感情を押し殺すように顔を上げ、目の前の男を見据えた。超然たる佇まい。その顔立ちはミヤビにも匹敵する超自然的な美を持っている。しかしミヤビは思う。この男はどこか悪魔的であると。男の全てを見通すかのような眼差しがミヤビを見つめている。

「痛々しいな」

 そう言って男は微笑み、ミヤビの右顔、仮面で隠された傷跡を指すように自らの右顔を人差し指でとんとんと叩いた。

 男の右手首がほのかに光を放っている。その光源は、まるで腕輪のように刻まれた男のジュクゴである。そこに刻まれたる超常のジュクゴ。それこそは

 摩 訶 不 思 議 !!

 この五字ジュクゴの持ち主こそ、大元帥バガンと並ぶ帝国の重鎮。帝国宰相ハンカールなのである!

 ミヤビはいつしか苛立ちとは異なる感覚に捕らわれていた。少しずつ、心の中が冷えていく。ゆっくりと口から体内へと、氷柱が押し込まれていくかのように。

 ハンカールは超然と佇んでいる。バガンのように異常な迫力を発散させることもなく。しかし。その全てを見通すかのような眼差し。まるでミヤビの心すら見透かすかのようなそれが、ミヤビの心胆を凍てつかせていく。

(私は怖れているのか……?)

 ミヤビの脳裏にかつての光景がフラッシュバックする。

 三年前。関西の古戦場、瀬田の唐橋。関西枢軸軍との決戦。

 帝国のジュクゴ使いを薙ぎ倒し、天空を駆ける世界五分前仮説のミリシャ。そのミリシャをバガンとハンカール、そして皇帝フシトが取り囲んだ。

 不条理極まるミリシャの力。しかしそれは、フシトとハンカールによっていとも容易く制圧された。そしてバガンの一撃。世界最強と謳われたミリシャは、それで呆気なく滅びた。

 その光景を目撃し、生き延びているジュクゴ使いは極少数である。なぜならそれは、直視能わざる光景。歴戦のジュクゴ使いと言えども、見れば心を狂わせ死に到らしめる、まさしく超常の戦いであったのだから。

 ミヤビはそれを見、そして精神を保つことができた数少ない一人であった。

(偉大なる陛下は言うに及ばず。バガン、そしてこの男もまた「別格」という表現すら生ぬるいだろう。超常の存在。言うなれば魔人。だが私は……!)

 ハンカールはミヤビを見つめたまま、傍らに控える若者に声をかけた。

「バーンよ」「は」

 星旄電戟のバーン。ハンカールに仕える強大なるジュクゴ使いの一人である!

「ミヤビからの報告、あらためて君の口から復唱して欲しい」

「……は。不屈のハガネと名乗る少年との戦闘で前軍は壊滅。また憲兵団のアギョウとウンギョウは死に、ツンドラは再起不能。ハガネと名乗ったテロリストはその後、劫火のカガリとともに逃亡し、その行方は現時点では不明、とのことでございます」

「ミヤビよ、相違ないな?」
「ございません」

「ぐほふっ」

 ミヤビを嘲るようなくぐもった笑いが響いた。バーンの隣、屈強なる体に野卑なにやけ顔。屍山血河のフォル。彼女もまた、ハンカールに仕える尋常ならざるジュクゴ使いである。

 しかしミヤビは動じない。まるで貴様など眼中にないと言わんばかりに。

「処罰は事後、いかようにも……」

 ミヤビはその眼差しに力を込める。ハンカールの瞳をぐっと見つめ返し、そして続けた。

「しかし! ハガネとは私自らの手で決着をつけることを。どうかお許しいただきたい!」

 ハンカールは微笑をたたえたまま、ミヤビを見つめている。その全てを見通すかのような眼差しで。

「ミヤビよ」
「は」
「人には持って生まれた役割というものがある。そうは思わないか」
「……?」

 その瞬間、ミヤビは見た。ハンカールが冷たく微笑み、「悪魔的」としか言いようのない眼差しをミヤビに向ける様を。

わたしにはわかる。お前がこの後、どのような生を送るのかがな

 ミヤビの心に霜が降り、白く凍りついていく。ハンカールは畳みかけるように続けた。

「明日のテロリストの処刑。その全てをお前に取り仕切ってもらう」
「……」

 ハンカールの白魚のような美しい指がミヤビの肩に置かれた。

「そしてツンドラが再起不能となった今、新しくお前を補佐する人間が必要だ。そうだろう」

 ミヤビの顔にハンカールの悪魔じみて冷たい微笑みが近づき、囁くようにして言った。

「ツンドラの後任としてフウガを充てる。良いな」

(フウガ……! あの無頼気取りだとっ……!)

「ふっふっ、いかにも気に食わんといった顔だな、ミヤビ。だがな、すべてはバランスなのだ」

 再びミヤビに背を向け、まるで独りごちるかのようにハンカールは言った。

「わたしにはわかる。これでバランスが取れるというものだ」

 夜空に冷たい風が吹いている。

 ジンヤの屋外。ミヤビはその空に向かって、自らの手をかざした。

(私は……私は必ず、バガンも、ハンカールも。踏み越え、超えてみせる。そしてフシト陛下の御傍に仕える、唯一の存在となるのだ)

 何があろうとミヤビの確信は揺るがない。なぜなら、ミヤビは知っているのだ。花鳥風月に秘められた恐るべき力が、己をより高みへと連れて行くのだということを。ゆえに、何を怖れる必要があろうか。かざされたその手が力強く握りしめられた。

(ハガネ。私は心待ちにしているぞ。再び貴様に相見えることを。そしてその時こそ。私は、私はより高みへと到るのだ!)

 調布の夜空に、冷たい風と共にミヤビの哄笑が響き渡った。

【第十九話「漆黒よりも黒く」に続く!】

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