「四号警備 新人ボディガード久遠航太と隠れ鬼」試し読み(1)/安田依央
朝から本社に出勤するのは久しぶりだ。ユナイテッド4の社屋は木場公園の南西、運河と首都高に挟まれた辺りにある。
高い塀と豪奢な門扉に護られた緑豊かな庭園に優雅な洋風建築。事情を知らなければ、大使館か博物館かと見紛うだろう。どちらかというと下町イメージが強い地域に位置しながら、ここだけぽっかり時空がひずんでいるみたいで浮き世離れした感じのする建物だ。
二階にある道場兼トレーニングルームで汗を流し、就業開始に間に合うようにシャワーを浴びて五階のオフィスフロアに向かう。IDカードをかざしてフロアに入ると、いち早く航太を見つけた烈が手を振った。
「おはよう、航太。いい朝だな。薄水色に輝く空、渡る風、行く夏を惜しみながら漂う秋の気配に人生について思いを馳せる。天空の城跡で見た萩の花を思い出すなあ。つわものどもが夢のあと。俺は天下統一を果たした武将よりも名もなき一介の兵が眺めた景色に心を寄せたいのさ。さて、情報共有だ。こちらへ来てくれ」
「あ、はい」
いや、何それ? と内心思うが、時間のある日は毎朝こんな感じなので、さすがにちょっと慣れてきた。一色に言わせると自己陶酔ポエムということになるが、烈にとっては最上級の歓迎を表す挨拶だそうだ。
烈は別にこれをあらかじめ考えているわけではなくて「何となく」「勝手に」口から出てくるままを語っているらしい。
それはそれですごいのではないかと思うが、こう見えて烈はかなりの読書好きらしいのでボキャブラリーが豊富なのだろう。
招かれたのは透明のパーティションで囲まれた社長室だ。
参加しているのは烈に一色、浦川そうびだ。
二週間に一度、各班が扱った事件を社長に報告し、情報を共有するのだそうだ。以前は大園班も一緒だったが、向こうの反対で別々になったらしい。
いわゆるヒヤリハット事例も報告されるため、エスコート班からは絵理沙の件も報告された。
「あと、余談だが例の『寿・清廉のつどい』の信者勧誘が活発化しているようだな。航太も誘われてたぜ?」
「何と。気をつけてくれ給えよ、久遠君。君の奪還を目指して連中とやり合うなんて事態にはなりたくない」
「はい、肝に銘じます」
社長の言葉に恐縮した。
「よしんば奪還に成功したとしても、果たして以前通りのその方に戻るかどうか分かりませんしね」
いつの間にか人数分の紅茶を用意していた一色が、優雅な手つきでソーサーつきのカップを配りながら恐ろしいことを言う。
「そうなんですか?」
「ええ。時限爆弾の欠片でも埋め込まれたように、最初は小さな違和感に過ぎなかったものが時間と共に増していき、気がつくと教団に戻っていたなんてことがありました」
そうだったなと頷きながら烈が苦い顔をしている。もしかすると彼らが過去に扱った案件の話なのかも知れない。
紅茶茶碗からふわっと良い香りがした。
「美しい色だな。香りも極上だ」
カップを少し揺らしながら社長が言う。
「恐れ入ります。本日は私が長年懇意にしている当地の農園から届いたダージリン、セカンドフラッシュをご用意致しました。味も香りも一級品。是非ストレートでお召し上がり下さい」
そう言って美しい動作で頭を下げる一色は水もの魔術師と呼ばれている。というか、烈が勝手にそう呼んでいるだけだが、お茶やコーヒー、果てはカルピスまで絶妙の濃度で仕上げる達人だ。
茶道家元に連なる家の出だそうで、もちろんお茶のお点前もすごい、はずだ。はずだというのは航太にはそもそもお手前のなんたるかがよく分かっていなかったからである。
ユナイテッド4の顧客には、要人はもちろん、上流階級ややんごとない方々もおられるため、新人研修カリキュラムにマナー講習も含まれており、茶道の時間もあった。
当然講師は一色で、航太は特別授業として彼の実家の邸宅に招かれ、庭にある茶室でお茶を教わった。和服に袴姿の一色のお手前は流麗なものだったが、正直、航太は緊張しすぎてお茶の味さえよく分からなかった。
こうやってミーティングの際には一色が色んなお茶を振る舞ってくれる。社長が紅茶党のため、社長を交えると紅茶が出てくることが多い。航太が詳しいはずもなかったが、今日の紅茶は少し果実のような香りのする琥珀色だ。とてつもなく優雅な気分になる。
ふと、大画面モニターに映し出されている英語が気になった。どうやら海外の通信社が配信しているウエブニュースの記事らしい。
「ああ、それか。群馬県の山中から即身仏が発見されたんだ」
「は?」思わず烈の顔を見直す。
「即身仏ってあれですか? 昔の高僧が、えーと何て言ったっけ。土中入定だったかな。土の中で生きながら仏になるやつ?」
航太の趣味は博物館や美術館巡りだ。もちろん即身仏そのものを見たことはなかったが、どこかで読んだ記憶があった。
「へえ、物知りだな君。いかにもそれだが、今回発見されたのはそんな昔のものじゃあない。もちろんミイラ化もしていない、せいぜいが死後数ヶ月の腐乱死体だ。そりゃそうだろう。本物の高僧が即身仏になるためには厳しい断食は元より、最後には漆の樹液を飲んで内から防腐処置を施したっていうぜ? 対する遺体の主は高僧でも何でもなくて、タチの悪いブラック企業の社長だときたもんだ。行方をくらました当日までパワハラ三昧だったってんだから、とてもじゃないがそんな覚悟を持っていたとは思えない」
うわあと思った。どう考えたって殺人事件だろう。山中に生き埋めにされていたのを烈が勝手に即身仏と形容したのかと思ったが、よく見るとニュースの見出しにも「現代の即身仏か」と書かれていた。英語記事なので即身仏の部分は日本語の読みをローマ字表記の斜体にし、欄外に詳しい説明が載せられている。
「どうして即身仏だと分かったんですか? ってか、なんで外国の記事。あ、国内の話ではないとか? って、いや、群馬県か」
これが本当ならばワイドショーや週刊誌などが飛びつきそうだと思うのだが、そんなニュースは聞いたことがなかった。
「まずは状況さ。土に浸食されないように昔の高僧は土中に埋めた石棺に入定したって話だが今回その男は金属製のカゴに入っていた。さらに空気口と大量の飲料水。生き埋めにして殺すのとは一線を画しているだろ。そしてもう一つ、実は掘り出している最中に、隣から別の遺体が発見されてな。そちらは十年前に行方不明になった女性のものと判明した」
「えっ?」
「当初、この事件が発覚したのは警察に匿名のタレコミがあったからだ」
烈と交替する形で説明を始めたのは間宮社長だ。彼は大園班の班員同様、警察OBだそうで、独自の情報網を持っている。低い声で一言一言噛みしめるように話す人物だ。座っていても伝わってくる威厳があった。
社長の説明によれば、タレコミはブラック企業の社長である猿橋からメールを受け取ったという人物から寄せられたものだ。
いわく、自分は今までの罪を悔い改めて即身仏となるつもりだ。隣を掘ってもらえば、以前に自分が殺して埋めた女性が眠っている。どうか彼女の遺体を掘り出して手厚く葬って欲しいという内容に、位置情報が添付されていたそうだ。
「このメールが届いたのは今から三日前。四月の終わりに突然猿橋が姿を消し、警察では事件性を疑って調べていたが、何の手がかりもないままでね。本当に人一人、ふいと蒸発したようだったんだ。そのメールは猿橋のパソコンから送信されており、当然その時には本人は死んでいたことになる。パソコンには猿橋の失踪直後に予約機能を使った形跡があったそうだが、それを行ったのが本人かどうかは分からない」
「そんなわけで半信半疑のままに位置情報通りの場所を掘ってみると、仏さんが出てきたってわけさ」
烈の言葉に首をかしげる。
「自殺ってことですか? ん? いや、一人じゃ無理なのか」
「その通りだ。自分で穴を掘ってそこに飛び込むことはできても、上から土を被せることはできないからな。よしんば彼がピタゴラ装置の発明家だったとしても、それなら何らかの仕掛けが残るだろうさ。その痕跡もなかった。そうだよな、社長」
「ピタゴラ……」
思わず呟いてしまった。社長は苦笑しながら頷いている。やっぱりEテレの番組のカラクリ装置のことらしかった。
「ご本人が望んで埋まったのか、誰かに埋められたのか分かりませんが、第三者の関与は確実でしょうね。その方の遺体はステンレス製の巨大なカゴの中で見つかったそうですが頑丈な鉛製のぶ厚い蓋がされていたとか。一人で持ち上げられる重量ではないうえ構造上内側から閉めるのは不可能だそうですよ」
(第2回につづく)
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