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海路歴程/花村萬月

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精力的に執筆を続ける著者があたためていた構想がついに実を結ぶ! 水運国家としてのこの国の歴史をひもとく大河ロマン。
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2023年9月の記事一覧

海路歴程 第一回<下>/花村萬月

.     *  舟を砂地に引きあげ、手近な大木に舫ったとたんに限界がきた。  オシルシと高左衞門は転がった。  ボツボツボツと大粒の雨が頰を打つ。図に乗った高波の飛沫が雨粒に加勢する。軀のまわりの菩薩草が雨に打たれて、てんでんばらばらに踊っている。 「いかんな。ここで転がってると、海に引きこまれかねぬ」  波打ち際からはずいぶん離れている。高左衞門は慎重なのか、小心なのか。  オシルシはよけいなことは言わずに膝に手をついて起きあがり、菩薩草を踏みにじりながら高左衞門の背を

海路歴程 第一回<上>/花村萬月 

    00  噫──。  高左衞門に気付かれぬよう溜息をついた。  妻の顔が泛ぶ。  子の顔が泛ぶ。  夏も盛りになってしまった。  櫂に海水が粘りつく。  漕いで漕いで漕いでいるうちに、無限や永遠までもが粘りついてくる。  いつまで、漕がされるのか。  気が遠くなる。  舟底に転がっている錆びた銛に視線を投げる。高左衞門の胸板に深々と銛が刺さるところを夢想する。  気を取りなおして漕ぐ。  ギシ、ギシ、ギシ、ギシ、ギシ、ギシ、舟縁が軋む。櫂がたわむ。  胸が軋んで