見出し画像

【インタビュー前半】マーガレット・ アトウッド 聞き手・翻訳/鴻巣友季子 「閉じこめられること」と「解放されること」、 そして「復讐」と「赦し」を巡る物語

画像1

ⓒLiam Sharp

『獄中シェイクスピア劇団』の著者、マーガレット・アトウッド
さんと、zoomによるインタビューが実現! 聞き手・翻訳は鴻
巣友季子さん。コロナ禍のために、カナダのご自宅で過ごして
いるというアトウッドさんは、時折見せる笑顔が猛烈チャーミン
グ。穏やかな口調に熱を秘め、1時間以上にわたり語ってくださ
いました。小冊子では紙面の都合でカットした部分も含めて、
たっぷりとお届けします。まずは、インタビュー前半。


「テンペスト」は、シェイクスピア自身

鴻巣(以下K)まず、40作もあるシェイクスピアの劇作から、なぜ「テンペスト」を選ばれたのかを聞かせてください。

アトウッド(以下A)幸いなことに、このシリーズの立ち上げのとき、最初に声をかけていただきました。ですから、丸ごとチョイスが残っていたわけです。わたしは「テンペスト」をやりたい、これが出来ないならやりたくないと言いました(笑)。この作品なら書く幅が非常に広がるだろう、「テンペスト」の何から何まで小説版に入れよう、ただし現代的
な形で、と即座に思いました。
選んだ理由は、まずこれが「老人の劇」だからです。「ロミオとジュリエット」は十代の人たちを描いた劇ですよね。「テンペスト」はキャリアの最晩年に差しかかった人の話です。しかしそれだけでなく、シェイクスピア自身のキャリアに最も肉薄した内容だと思うんです。彼は劇団のプロデューサーであり、演出家であり、脚本家だった。「テンペスト」のプロスペローもこの劇において、プロデューサーであり、演出家であり、脚本家の立場にある。シェイクスピアがシェイクスピアとして登場する劇、みたいなものかしら。その点にたいへん惹かれました。
「テンペスト」は時とともに上演の仕方が移り変わってきた劇で、そこもむかしから興味があったところです。十八世紀にはオペラとして演じられ、十九世紀にはロマンス劇として上演されました。二十世紀になると、また多様な演じ方がたくさん出てきます。
それから、これはシェイクスピア劇の中では、最もミュージカルに近いものです。歌と踊りのシーンがたくさんある。そしてこの歌と踊りがプロットの一環となっているわけです。あちこちに鏤められたミュージカル的な要素で観客を引きこむ。ほかの作品に比べて、見えない何者かの声がたくさん入ってくる。ここも面白いところです。

K わたしは本作で「テンペスト」をミュージカルやヒップホップのスタイルでリミックスして歌っている場面が大好きです。あんなにクールでソウルフルな歌やチャントをどうやって創られたのでしょう?

A いつも作品を書くときと同じです。人物ひとりひとりに個性がありますが、わたしの小説版では、役者たちが劇づくりに参加し、思い思いに独自のアレンジを加えることを許されています。アントーニオはラップで歌うというのがいちばん自然というか、それらしいというか、彼ならそうするんじゃないかと感じたんです。どんな韻律にせよ、英語で歌を書くというのはわりと慣れているんですよ。ずっとやってきたことですから。ラップの命というと、リズムに尽きますね。ぴったりのリズムを作ること。リズムとそのスタンダード・フォームをしっかり掴むことが肝心です。

復讐心は、一種の牢獄

K 女性社会を描いた作品が多いですが、今回は男性ばかりの刑務所が舞台ですね?

A まあ、作品としては全員が男ではないですね。ミランダもいますし。刑務所を選んだ理由は、それこそが「テンペスト」に描かれているものだからです。わたしはこの小説に着手するまでに原作を五回は読み、映画も舞台も観られるものはかたっぱしから全部観ました。それで気づきましたが、「テンペスト」は誰もかれもが、それぞれの形で「牢」に閉じこめられる話なんです。彼らはみんな一度は「投獄」されるし、あの島自体が牢獄なんですね。
 ですから、わたしは「テンペスト」のプロスペローの最後の長科白から手をつけました。「わたしを自由にしてください(set me free)」という三語で芝居は締めくくられます。観客は、彼は何から自由になる必要があるのか?と考えるでしょう。結局、プロスペローはこの劇そのものから解放される必要があるのだとわかる。この芝居自体が「牢」だからです。そのラストから遡っていくと、ほかの牢獄がたくさん見つかるはずです。
 この劇自体が「閉じこめられること」と「解放されること」をる巡るものです。この作品の登場人物たちみんなとつきあってみると、わかりますね。拘禁と解放、そして復讐と赦しを巡る物語です。そして復讐心というのは、一種の牢獄なのですよ。誰かに復讐心を抱くのは、地下牢の檻に入るということと同義です。そこから抜けだす唯一の道は「赦し」にあります。誰かを赦したとき――プロスペローもそうしますが――復讐心を抱いていた相手に、あなたは人生を支配されなくなるのです。

K 最後にプロスペローは解放されたのでしょうか?

A そうですね、少なくともそう語っていますね。ただ、「テンペスト」という劇作には一つ、問題があって……つまり、アントーニオが一度も謝っていないでしょう。「悪いことをした、赦してくれ」といっぺんも言わないのです。プロスペローに赦された後、なにもセリフがありませんからね。だから、彼がどんな気持ちでいるのか読者はわからない。『獄中シェイクスピア劇団』では、登場人物たちがアントーニオに対して非常に批評的な読み解きを披露します。アントーニオは、そもそもプロスペローとは「同じ船に乗らない(意見を異にする)」人物です。かつてプロスペローを葬ろうとしましたが、いまや彼に自分の悪事を知られていますから、おそらくまた殺そうとするでしょう。プロスペローはアントーニオと連帯していないだけでなく、魔法の杖を折って魔法を棄ててしまっていますから……もう秘密の武器は持っていない。魔術は使えないわけです。危険な状態ですね。というわけで、『獄中~』の囚人たちはこの劇に、考えうるさまざまなエンディングを考えだすのです。ハッピーエンドもあれば、そうでないものもある。「テンペスト」自体がとても多義的な結末を提示していますから。

K いろいろな対抗概念が出てきます。裏切りと忠誠、復讐と悔悟、糾弾と赦し、拘束と解放、支配と服従……。どのキャラクターも一面だけ持っているわけではない。人間の二面性や精神的な曖昧さについてどう思いますか?

A そういうところが、シェイクスピア劇の優れたところです。だから登場人物たちがみんな興味深い。悪人は悪人、善人は善人というような一元的なメロドラマには決して仕立てません。悪人にも人間味があったり、善人のヒーローもよく見ると実は悪いところがあるほうが、ずっと面白いですよね。それに、プロスペローは聖人にはほど遠い人物です。
孤島に流されたのだって、そもそも彼が悪いんですよ(笑)。大公の務めを放棄して、国を治めるという仕事を顧みなかった。この戯曲はマキアヴェリの影響のある時代に書かれたことを忘れてはいけません。無能な大公になりそうな人は、君主として自分のやるべき仕事をゆめゆめ忘れないように。プロスペローはそういう仕事は眼中になく、魔法ひとすじでした。統治の務めを投げだし、魔術の研究に勤しんでいた。そうやって自分と娘を危険に晒してしまった。プロスペローがしっかりしていれば、あんなことにはならなかった。身から出た錆ということです。……(語りなおし版の)作者の私からすれば、独裁者に向いているのはキャリバンですよ。
「支配と服従」についていうと、王国の治め方について、ゴンザーローがこのようなことを言っていますね。自分が島の支配者になったらという前提です。「だれもが幸福で平等な王国になる、それはすばらしいことだ」。でも、これは夢物語でもあります。彼は自分がそれをやるとは言っていませんからね。実際、そんな仕事はだれがやるでしょう。
 わたしは食の雑誌に「テンペスト」に関するエッセイを書いたことがあります。あの島ではなにが食べられるだろうという。島のメニューを見れば、プロスペローがミラノに帰りたくなる理由がわかるでしょう。しかも、その島の食糧はだれが取ってくるのか。そう、キャリバンです。プロスペローは役に立ちません。彼は釣りもできない。キャリバンはその点、有能です。王国なり公国なりの統治という話になると、キャリバンはどうしても労働者の側になってしまう。「社会制度のなかに囚われた人々(キャリバンもそれにあたる)の労働は公正に評価されているか?」こうしたあらゆる問題を「テンペスト」は提起しているのです。だれが働いて、だれが命令を出すのか……キャリバンはいまの体制が気に入らないわけですね。

K あなたにとって、牢獄または閉じこめられるとは、どういうことですか? 「昏き目の暗殺者」にこう書かれていますね。「幸福とは、いうなれば、ガラスで囲われた庭。入口も、出口もない。天井の楽園には、物語は存在しない。なぜなら、そこには旅というものがないのだから。物語を先へと駆り立てるのは、悔いと、嘆きと、渇望。その曲がりくねったみちを前へ前へと」。

A 「物語づくり」の真理でしょう。何かが起きなくては物語にならない。天国のようすを想像するのって、むずかしくないですか? なんだか、とても退屈そう。Go to Heaven forthe climate, Hell for the company.と言うでしょう(マーク・トウェインの言葉。陽気が良いのは天国だが、面白い仲間がいるのは地獄といった意味)。地獄のほうが面白い人たちがいる。それは彼ら/彼女らが物語をもっているからですよ。物語を誕生させるには、そこに訪れる危機が必要なのです。なんらかの危機に陥る人物を描かずに物語を成立させることはできません。なにかを失い、惑う人を……火星人が着陸したとか、ゾンビ、吸血鬼、離婚、新型コロナウイルス感染症……、危機があり、幸せな世界が壊れる。すると、活力がわいてくる。この問題をどう解決してやろう? もっとも、穏やかな気持ちではいられませんが。

(→後半に続く)

マーガレット・アトウッド Margaret Atwood
カナダを代表する作家・詩人。その著作は小説、詩集、評論、児童書、ノンフィクションなど多岐にわたって60点以上にのぼり、世界35か国以上で翻訳されている。1939年カナダのオタワ生まれ。トロント大学、ハーバード大学大学院で英文学を学んだ後、カナダ各地の大学で教鞭を執る。1966年に詩集「The Circle Game」でデビューし、カナダ総督文学賞を受賞。1985年に発表した『侍女の物語』は世界的ベストセラーとなり、アーサー・C・クラーク賞と二度目のカナダ総督文学賞を受賞。1996年に『またの名をグレイス』でギラー賞、2000年には『昏き目の暗殺者』でブッカー賞、ハメット賞を受賞。2016年に詩人としてストルガ詩の夕べ金冠賞を受賞。そして2019年、「The Testaments」で2度目のブッカー賞を受賞した。トロント在住。


鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)
翻訳家・文芸評論家。1963年東京生まれ。訳書『恥辱』『イエスの幼子時代』『イエスの学校時代』J・M・クッツェー、『昏き目の暗殺者』『ペネロピアド』M・アトウッド、『嵐が丘』E・ブロンテ、『風と共に去りぬ』M・ミッチェル、「灯台へ」V・ウルフなど多数。編書に『ポケットマスターピース09 E・A・ポー』(共編、集英社文庫ヘリテージシリーズ)など。『全身翻訳家』『翻訳ってなんだろう?』『謎とき「風と共に去りぬ」』ほか、翻訳に関する著作も多数。

作品情報はこちらから




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?