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『ホテル・アルカディア』(石川宗生 著)書評 高山羽根子

『ホテル・アルカディア』(石川宗生 著)の書評を、小説家の高山羽根子さんに寄稿いただきました。

帯アリ

ホテル〈アルカディア〉支配人のひとり娘・プルデンシアは、敷地のはずれのコテージに理由不明のまま閉じこもっていた。投宿していた7名の芸術家は彼女を元気づけ、外に誘い出すべく、コテージ前で自作の物語を順番に語り始める。
突然、本から脱け出した挿絵が「別にお邪魔はしないさ」と部屋に住みつく「本の挿絵」、何千年も前から上へと伸び続けるタワーのような街を調査する「チママンダの街」など、21の不思議なショートストーリー。

旅人の、心のホテルと頭の地図と

 どんな人の心にもグランドホテルなるものは建っている。ホテルの在るところは厳密にいうと心の中だけれども、まあこの際、住所はアルカディアでも、シャングリラでも、ユートピアでもかまわない。

「グランドホテル形式」というのは群像劇の形式のひとつで、大きなホテルに詰めこまれたあらゆる旅人、同時間を過ごす他人同士の、それぞれの視点から話が進んでいくというものだ。

 この物語は、ホテルに泊まる芸術家たちが奇妙な話を語り聞かせるという趣向の掌編小説集の体裁から始まる。グランドホテルがあらゆる部屋を覗いて、それぞれの部屋にいる人たちの物語を楽しんでいいのと同様、この本も、開いたところから楽しんでいい造りになっている。

 加えて、この作品は「グーグルアース形式」でもある。頭の中にある地球儀がぐるぐる回って、どこか一点にぐーっとズームインしていって、あるオフィスの窓から、ひとつのデスクに近づいていく。再び離れ、地球からまたどこかのアパート、あるいは森深くへズームする。

 心の中である以上、心の持ち主が「縮む」と決めたら唐突に人はシュリンクし、また「ゾンビになる」と言われたら適宜、なる。そのことに大きな疑問を抱くことなく、でもそこにいる人は感情を動かし続けている。抗うことなく、その約束ごとの中で悩みながらも生きる。

 この本の作者は旅人だから、普段からありとあらゆるホテルに泊まって歩いている。それぞれの場所で聞いた話や観た景色、出会った人などをちぎってつなげて、想いをはせているのかもしれない。特に私が作者の旅人性を感じた作品は「わた師」で、語り手があちこちで興味深い達人を見ている、という景色がすうっと浮かぶ。

 人間のことが大好きな旅人作家による物語は、突飛な設定の中でもなお、人の気持ちの動きが物語の中心になり、設定自体に右往左往している人々の関係性を主体としている。彼の生み出すおかしな設定だけを見て楽しむこともできるけれど、絶えず人同士の関係性を書いていて、短い物語のそこかしこでぱちぱち火花を出している様を楽しむこともできる。異常なほど多い登場人物のそれぞれは全員、葛藤し、逡巡し、不条理を受け止めて生きている。

 そのシーンのひとつひとつは、旅人である書き手の心に建っているグランドホテルと、頭でぐるぐる回っている地球儀が、世界各国と接続するたびに起こしてきた明滅(フリッカー)なのだろう、とも。

(初出:小説すばる2020年4月号)

高山羽根子(たかやま・はねこ)@HighMt_HNK
 '75年富山県生まれ。'10年「うどんキツネつきの」で創元SF短編賞佳作を受賞しデビュー。'16年「太陽の側の島」で林芙美子文学賞を受賞。著書に『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』『如何様』など。


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