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【特別寄稿】 自分だけの建物を建てる /語りなおしシェイクスピア刊行に寄せて 北村紗衣

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シェイクスピアがご専門のさえぼー先生こと北村紗衣さんに、シェ
イクスピア作品が語りなおされ続ける理由、そして『獄中シェイク
スピア劇団』の魅力について、ご寄稿いただきました。

 シェイクスピア作品の「語りなおし」というのは、全く珍しくはない。400年間にわたって上演され続けていて面白さについては保証つきだし、著作権が切れているので翻案し放題だ。ある芸術作品が他の芸術家にヒントを与え、新しい作品ができるというプロセスは芸術の歴史が始まって以来繰り返されていることだが、シェイクスピアはとくに人気があるインスパイア元だ。黒澤明からトニ・モリスンまで、さまざまなクリエイターがシェイクスピアを語りなおしてきている。

 この手の「語りなおし」でとくにシェイクスピア劇が人気である理由のひとつとして、とても多様な解釈が可能だということがある。もともと戯曲というのは地の文がないこともあり、さまざまな登場人物を出していろいろな視点を提供することが比較的やりやすい上、演出によってがらりと変わる。戯曲というのは基本的に設計図で、上演はそこから建った建物だ。演出家によってできあがる建物が違い、そこに面白みがある。

さらにシェイクスピアというのは、作者の気配を消すのが得意な劇作家だ。紡ぎ出す言葉の美しさに関しては「あ、シェイクスピアだ」とわかる作家性があるのだが、一方でいったい劇作家自身がどの登場人物に一番自分の意見に近いことを言わせているのか、どの登場人物を一番気に入っているのかといったことはわからないことが多く、あえて曖昧なままにしてあると思われるところがある。シェイクスピア劇の主人公たちはかなり観客に胸の内を明かしてくれるにもかかわらず、こちらが一番知りたいことについては情報を小出しにするだけであまりはっきり教えてくれない。ハムレットやクレオパトラやシャイロックはおしゃべりで話もうまいが、芝居の鍵となるようなところについてはほのめかし程度しか話さないので、観客のほうはいったいなんであんな行動をとるのか、何が目的なのか、といったことをえんえんと議論して楽しむことができる。ミステリアスで多様な解釈を許すところが大きな魅力だ。

 ホガース・プレスが刊行し、今回集英社から翻訳される語りなおし語りなおしシリーズは、現代文学を牽引する小説家たちに、シェイクスピアの設計図をもとに自分の好きな建物を建ててもらおうという企画だ。演劇から地の文が駆使できる小説へということでメディアの特性が変わる上、強い作家性を持つ小説家をそろえている。作品のチョイスについても、「この作家の作風ならこの原作だろうな…」と納得するところが多い。

 日本語版で最初の刊行となるマーガレット・アトウッドが選んだ建物は、刑務所と劇場だ。『獄中シェイクスピア劇団』は、有名な演劇祭の芸術監督をおろされ、刑務所でシェイクスピアを教えている主人公フェリックスが、復讐劇『テンペスト』の上演を通してかつて自分を追い出した人々に復讐を企む。シェイクスピアも好んで利用した、劇中劇と本筋を呼応させる手法を縦横無尽に駆使している。

 『獄中シェイクスピア劇団』の面白さは、少々突拍子もない展開を相当なリサーチによってリアルなものにしているという点だ。刑務所での読書会やシェイクスピア上演というのは近年非常に注目されており、ノンフィクションや研究書もたくさん出ているのだが、謝辞で著者自身がこうした活動を参考にしたと述べている。終盤でフェリックスが刑務所の生徒たちと芝居を作っていく様子は、よくできたノンフィクションのように生き生きしている。劇中劇は最近流行りのイマーシヴ(没入型)演劇とかインタラクティヴ演劇を思わせる手法を使っており、最新の演劇トレンドが組み込まれている。アトウッドの他の作品に比べると、とくに小難しいところもなくすらすら読めてしまうが、綿密な調査に基づいているのだ。

 さらに、この作品にはカナダ文学らしさもある。フェリックスがクビになったマカシュウェグ・フェスティバルは、カナダの読者ならおそらくすぐ、実在するシェイクスピア演劇祭であるストラトフォード・フェスティバルだとわかるように書かれている。北米最大規模のシェイクスピア祭でカナダでは有名であり、この演劇祭をヒントにした『スリングズ・アンド・アロウズ』というドラマが作られてヒットしているくらいだ。残念ながらこのドラマは日本に輸入されていないが、見たことがある人なら「あ、これは『スリングズ・アンド・アロウズ』だな…」とわかるネタが本作には仕込まれている。アトウッドは国際的に受け入れられやすい作風の作家だが、地元の読者への目配せも忘れていない。

 シェイクスピアの『テンペスト』から、アトウッドはカナダ風の刑務所と劇場を建てた。シェイクスピアの台本からは、どんな建物を建ててもいい。読者の皆さんには、是非シェイクスピアをヒントに自分だけの建物を建ててみてほしいと思う。


きたむら・さえ●1983年生まれ。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。現在、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち――近世の観劇と読書』(白水社)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書籍侃侃房)など。
https://saebou.hatenablog.com/


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