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蜂を殺す

愛犬を亡くして以来、ボクは命についての見方が変わった。虫も殺せない…とまでは行かないものの、虫退治する際ゴキブリにさえ憐憫の情を覚えるようになったのである。

その点、妻のドレミは害虫に対して変わらずドライである。室内や車などに虫が侵入すれば
「きゃーっっ!!」
と嫌悪を隠さない。

ジェンダーフリーだか何だか知らないが、虫退治とはいつの世も男の仕事である。女が蚊以外の虫を殺すのはその役割を担うべき男が老若を問わず身近にいない場合に限られる。男たるボクはかつて眉一つ動かさず虫を殺した。今はティッシュペーパーや殺虫スプレーを手に
「こんなところに出てくるからいけない。」
と虫に声をかける。自らの過ちを後悔しているのか虫は必死に逃れようとするが、あえなく騎士道精神にあふれたボクの手に掛かる運命となる。

さて本題の蜂の巣である。我が家では敷地内にあっても花や野菜に害のない限りにおいて鳥や獣、そして虫にも平等の生存権を認めている。蜂は害どころか益虫である。家庭菜園のトマトやブルーベリーが実をつけるのはひとえに彼らが受粉の手助け(足助け?)してくれるからである。言わば彼らとボクは共存関係にあるわけだが、蜂たちがうっかり軒やベランダの屋根に巣を掛けてしまうと話は別になる。

出窓の下で成長してしまった巣

出会い頭に刺される事故は年に一度や二度はある。蜂の種類によっては命の危険すらある。先日などは庭にあった金属製の椅子の裏に巣をかけていた。春にテーブルや椅子を庭に出して以来置きっぱなしだったから巣はかなりの大きさになっていた。来客のためにテラスのテーブル周りを掃除しようとして椅子を動かしたものだからたまらない。一瞬目の前が煙ったかと思うほど蜂が飛び立ち、椅子を持った両手の甲数か所に鋭い痛みが走った。刺されたのが隣で作業していた妻でなくてよかった。幸い樹脂製の軍手をしていたので、傷は浅くリムーバーとムヒで治療し、2時間ほど安静にするだけで済んだ。

蜂の対策としては常に外壁や軒を監視して巣を掛け始めたら速やかに落とすことだ。仕切りが10個ほど(大きさにして2cmくらい)までならば落としても危険はない。巣の中に幼虫がいなければ、蜂たちの執着もあまりない。ところが巣が大きくなり、中に卵や幼虫を抱えるようになってしまうと危険度がいや増す。棒で落としたりすれば蜂たちの激しい逆襲に遭うだろう。

大屋根裏の頂上付近

今年はボクが7月中に長く体調を崩したため、ほとんど庭に出なかった期間があった。てきめんである。高い屋根の裏側、二階の出窓の下、テラスの床の裏側などに下がったジバチやアシナガバチの巣が大きく成長してしまった。椅子の裏も含めてこれらが全部で6個。

そして極めつけはテラスの壁にできた見るからに危険なこの巣だ。

スマホで写真を撮るのも危険である。

キイロスズメバチである。羽目板の隙間を利用して知らぬ間に巨大化していた。こうなると不本意ながら「駆除」という名の大量殺戮を行うしか方法がない。専用の強力殺虫剤が市販されている。セットするとマシンガンのような形になり、人差し指のトリガーを引くなり薬剤が噴霧される。手が反動を受けるほどの勢いで2、3メートル離れたところまでも届く。

あわれ蜂たちは飛び立つゆとりすら与えられない。何の罪もなく数週間も働いて築いた巣でのコミュニティと暮らしを一瞬で破壊され、バラバラと苦悶しながら突然に無念の死を迎える。蜂の子も卵も守る者を失い巣とともに地面に落とされる。殺戮に心がシクシクと痛む。

最近、信州でも北海道でもクマが人の生活圏に出現する事件が枚挙に暇ない。おそらくクマたちはちょっとした冒険心や好奇心を抱き、遊びのつもりで境界の禁を越えたのだろう。クマたちを殺すこともまた「駆除」と呼ばれる。SNSなどではクマの殺害について感情的なもしくは無責任とも取れる批判が集まるが、少なくともボクには駆除を非難する権利はない。

そして民家に侵入したり、人にケガをさせてしまったクマは、ベランダに巣をかけてしまったキイロスズメバチと同じく「駆除」するしか方法がないと思われる。

さて、ところでこの長~い箒がボクの蜂の巣取りの道具である。おそらく高い軒下の掃除道具と思われるが、現在、この辺りのホームセンターでは売っているところがない。

こうしてマメに修理して使い続けている。

成長前の巣はこの箒を強く振って遠くに落とす。そして間髪入れず逃げれば、蜂を殺さなくて済むのである。

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