雑談「騙されるについて考えてみた」

今日は「騙される」について考えてみた


最近、「臼倉さん、よく騙されますよね」と言われる。


確かに昔から「騙される」。


大学時代に謎の化粧品を買わされた過去もあるわ


世の中には「お金儲け」を企んでいる人もいるし


「自分の利益」の為に相手の作品を盗むような人には会ってわ


総合して「人を騙す」人に何度も会ってきた。


そういう人に自分は「騙される」のだが


今はこういう気持ちになっている。


「騙された」とて「騙された」からなんだ?


という気持ちでもある。


では、何故「騙される」が「なんだ?」という風に思うのか。


今日はそのことについて書く。


これには2つ理由がある。


理由①良い「騙される」と悪い「騙される」があるから


理由②「騙す」側も心が傷ついている。


この二点。


今日は頭が少し冴えてるので順に紹介する。


理由①良い「騙される」と悪い「騙される」があるから紹介すると


まずは「騙される」という意味合いで「良い」騙しも存在する。


それはどういう事かいうと


「自己催眠」や「瞑想」はそのジャンルに該当する。


「自己催眠」とは受験とかで「東大合格!」等のハチマキをつけて勉強すると「気合いが入る」といった願掛け。


受験の神社にお参りして「第一志望校に合格できますように」と参拝しているのは自分の脳に語りかけているのと同じである。


何が言いたいかいうとこの場合は「出来る自分になるため、自分を騙す」という手法である。


こういった誰も傷つけないパターンの「騙す」は別に良いんじゃないか。


では、金銭を独占したり、地位や名誉の為に相手を貶したりする「騙す」はどうなのか?


というと次のような理由②事である。


理由②「騙す」側も実は心が傷ついている。


本当かよと思うかもしれないが


個人的に「騙す」側も傷ついていると思う。


よく殺人犯が人を殺した後に殺した人間が報復にくる夢をよく見るなんて


エピソードを度々聞く。


これは殺人犯の頭の中ではいつまでも被害者に呪われてるし、未だに警察や市民に追われる人間としては


ずっと死ぬまで苦しみと戦うようになる。


そして、これも明らかに自分の推測になるのだが


人間は「騙そう」と思って生まれた人間は一人も居ない。


誰しも自分を含め、本当は健全を全うしたい人だっていたはずだと思う。


しかし、人生には「人気者として注目を浴びたい」「努力せずにお金を稼ぎたい」「一気に疲れを吹き飛ばしたい」などやましい考えが働き始めると


「変なセミナーを作って集ろう」とか「家で大麻を栽培しよう」など


一時的な感情て良からぬ行動を移し始める。


そうやって軽度の事から騙す事に手を染めるし


そういった騙す人はだれかを真似たりで増えていってると思う。


ただ、本人も騙してる時は別に没頭している状態なので何とも思わないかもしれない。



けど、問題はそれがアカンと気づいた時だ。


熱りが冷めると「自分は一体何をしてるんだ」と改めて省みるようになると


次に後悔という感情が襲いかかってくる。


その感情を消すためにまた人を騙し


騙し騙され永遠のループにはまる。


ずっとその苦しみと向き合うようになっていくのだ。


自分で書いててよくわからなくなったので


何が言いたいのかを簡単にまとめると


「殴られた相手も痛ければ、殴った自分の拳も痛い」


という奴だろう。


強いパンチで出来た傷ほどなかなか治りにくい。


血は滲むわ、傷口はグチュグチュになるわ


それはどの人も転んだ経験があるならわかるだろう。


じゃあ、その憎しみから彼らを解放する方法があるのか?


というと


実はシンプルな方法が1つある。


それは彼らの行動を許す事だ。


過去の自分の例でいうと


ある自分主催のイベントで「ノーギャラで俺は働く」と豪語していたスタッフが


急にイベントが終わった後LINEで2万円を請求してきた事があった。


「いや、ノーギャラで働くと言ってましたよね」


と確認すると


「俺は言ってない。最初から額は提示してた」


と主張


もちろん、ここで言った言わないの話にならないように


自分が書面でちゃんと伝えなかった事が悪いのだが


当時芸人の収入がなかった自分にとっては2万円はかなりの痛手で


いきなりの2万円請求に対して我を忘れる位怒り狂った。


けど一晩寝て冷静になってこう考えてみた


待てよ。そいつには結婚して生まれたばかりの子どもがいたんだった。


実はそのスタッフが結婚した事と子どもが生まれた事をSNSを通じて知っていた。


出産祝いもだしてなかった自分としては


そのスタッフの事は憎くても


奥さんと子どもには罪はないわけだし


そのスタッフがバイトを何個もバイト掛け持ちしながら働いていたのも知っていたので


相手の生活観を考えると生活の大変がゆえにそういうトラブルが起こってしまったのではと


そう考えが変わった瞬間、そいつに対する憎悪が消えていった。


だから会って渡した瞬間に


「自分は奥さんと子どもがこの2万円で少しでも美味しいご飯とミルクが買えますように」


と念じて渡した。


そう思うと自分の気持ちは異様にスッキリした。


奥さんと子どもが贅沢な思いをすれば結果オーライだと。


もちろん、一般論として「騙されないように警戒する」


それはそれで越した事はないが


このnoteで自分が言いたいのは


①良い「騙される」と悪い「騙される」があるから


②「騙す」側も実は心が傷ついている。


ということ。

キリストの言葉で「殴られた側の頬を差し出せ」

という言葉があるが

言いたまさにその通り。

怒りは新たな怒りを生む、。

自分や相手に対する「苦しみ」から脱出したいなら

「自分」や「相手」を許す努力をする

今日お話したい事はそういう事や。











芸事だけで少しでも食べていきたいです。