見出し画像

うち、母子家庭なんで

「うち、母子家庭なんで」というお母さんの言葉に、ずっと違和感を感じていた。だいたいその後には「お金がないんです」と続く。お母さんがその一連の説明をするわずかなあいだ、子どもたちのほうをよく見ていると、だいたいは何も聞いていないようなふりをしていたり、あるいはあいまいな笑顔を浮かべていたりする。

ある時ふと、なぜ「うち、母子家庭なんで」という枕詞を置くのかな、と思った。たぶんそれがわたしの感じている、「引っかかり」の正体だった。単純に「お金がないんです」では、だめなのか?

「うち、母子家庭なんで、お金がないんです」

子ども向けの商品を売る仕事をしている。「お金がないんです」と言われることは、いたってよくある。けして母子家庭でなくともだ。でも、その多くは、たいてい「お金がない」というよりは「予算がない」を意味していると思う。つまり、「(うちにはこの商品にそこまでの予算をかける)お金がない」ということである。少なくともわたしは、お客様の仰る「お金がない」は、すべてこのように解釈している。しかも、その主張は、まったく正しいと思う。

だって、お金をかけなきゃいけないことって、この世にたくさんあるんだもの。食費。家賃。光熱費。税金。授業料。服を買うお金。習字セットを用意するお金。その余剰で、みんな買い物をしている。どこにどれくらいお金をかけるかは、人によって違う。子どものためならいくらでも使う、というひともいれば、家族には倹約させてパチンコにつぎ込むひとだっているのだし。問題なのは、分母より、割合なのだと思う。

だから「お金がない」と言われても、まさか家に一銭もないという意味だとは思わない。これは分母の話をしていないからである。でも、「母子家庭なんで」という説明は、たぶん分母の話をしている。だから違和感があるのかもしれない、と思う。

とは言え、母子家庭以外でも、分母的な「お金がないんです」に出くわすことはたまにある(本当にないのだろうな、という場合もあるし、あるけど倹約なのだろうな、という場合もあるし、ないふりをしているな、という場合もあるが)。でも、まさかこちらも「なぜお金がないんですか?」なんて聞くことはない。「夫の給料が安いので、お金がないんです」とか「私のパートの時給が800円なので、お金がないんです」とか言うひともまあいない。

だから、わざわざ理由を教えてくれなくてもいいのだ。前述した通り、なぜ(分母の)お金がないのかは、まったく重要ではないし、そんなこと詮索するつもりもない。だからどうか、せめて子どもの前では、「うち、母子家庭なんで」なんて、言わないであげてほしいのだ。母子家庭を、理由にしないであげてほしいのだ。母子家庭だから、なにかができないなんてことは、ぜんぜんない。お父さんがいなくたって、お金がなくたって、子どもは立派に育つ。反対に、お父さんがいたところで、お金のない家はたくさんある。ろくでなしのお父さんだってたくさんいる。なにも引け目に思うことはないのに、と、わたしは、思う。

たぶんほんとうにつらいのは、お父さんがいないことそれ自体ではなく、もしお父さんがいたら、というその差を、意識してしまうことだ。しかも、その差は想像でしかないのに。わたしはお母さんが「うち、母子家庭なんで」を言う間、何も聞いていないようなふりをしたり、あいまいな笑顔を浮かべたりする子どもの、その表情を見るたび、胸がぎゅっとする。小さい女の子が冷めた目で「まあうち母子家庭だからね」と言う。その口調はお母さんに似ている。子どもは親を見ている。だからお母さん、どうかそんなこと言わないであげてください。たしかにまだこの日本で、女性が稼ぐのは難しい。でも、男性だってそううまくいく時代じゃありません。収入がひとり分という点では、専業主婦、あるいは主夫の家庭だってそうなのですから、引け目に思うことはありません。それに、肝心なのは愛情じゃないですか。女手一つで子どもをひとり育てようなんて、並々ならぬ決心だと思います。この子には、そんな立派な決心をされた、心強いお母さんがついているんだから、それでいいじゃないですか。胸を張ってください。母子家庭だから、なんて、言わないであげてください。

ってほんとは言いたかったけど、わたしも言えなかった。


#エッセイ #コラム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?