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初恋について

中学生のとき、初めてカレシができた。それは部活の先輩だった。あのころ1歳は、すごく大きい差だった。先輩はアホだったけど、運動が上手くて、よく笑うひとだった。いつもヘラヘラしていた。悩みすぎるわたしは先輩の、いつも能天気にヘラヘラしているところが好きだった。電話にはなかなか出なかった。携帯をよくお母さんに取り上げられていた。初デートはすっぽかされて泣いた。それでも大学ノートの切れ端に、シャーペンの汚い字で一生懸命に手紙を書いてくれるような、そんなところもあった。

あのころどうやって先輩を好きになったのか、もうよく覚えていない。なんだかわからないけれど強烈な「好き」という感情だけが、コーヒーの底に溶け残った砂糖みたいに堆積している。

当時、何かにつけて母は「まあ結婚するわけじゃないんだし」と言って、わたしはそれにいらいらしていた。いや、するかもしれないじゃん、と、わりと本気で思っていた。たしかに浅はかだったかもしれない。でも中学生のころから付き合って結婚するケースがこの世に1件もないわけではない。確率は低いがゼロではない。しかも、自分はその少数の側に立っていると思っていた。そう信じていた。信じるパワーがあった。それは、つまり、若さだった。可能性と選択肢を無限に有し、己を過信する力があった。まあ、中学生なんてそんなものです。

たしかに結婚はしなかった。だけど、あのころ、いちばん純粋にひとのことを好きだった。と、思う。たぶん。わたしは、わたしたちは、大人になるにつれ、少しずつ打算をするようになった。学力、学歴、カースト、世間体、顔、仕事、収入、実家、地元、子供、あらゆる「条件」のことを、考えるようになった。考えざるを得なくなった。誰かのことを好きになる前に、好きになっていいかどうか、いったん検討するようになったのはいつからだろう。本当は好きってそういうのじゃないじゃん。そういうことじゃ、なかったはずじゃん。

人生で何人かの男の子を好きになった。いろいろなひとがいると思うが、どうもわたしは、わたしのなかに男の子の好みを2種類持っているようだった。片方はあの初恋の先輩のようなタイプ、もう片方はいまの結婚相手のようなタイプだ。前者はたぶん、本能的に好きだった。後者は頭で考えて好きだった。どちらがいいのかはわからない。たぶん死ぬときにわかるんだろう。

先輩はわたしより20センチ背が高かった。よくユニクロの灰色のカーディガンを着ていた。あの成長期特有の、細いけれど骨ばったような背中は少しだけ大人っぽく見えた。ずっと帰り道に眺めていた、あの、坂道を歩くあの背中を、今でもときどき思い出す。正面でも横顔でもなく、背中がいちばん印象的なの、なんか初恋って感じがするな。

#エッセイ #コラム

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