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いちばんになりたかった男の子の話

木田くんと付き合うことにしたのは、その時付き合っていたちゃらんぽらんな男の子に疲弊していて、木田くんのほうが優しそうに見えたから。そして木田くんはわたしのことが好き風だったから。彼氏と別れたと言うと、待っていたかのように木田くんは「じゃあ俺と付き合おう」と言った。わたしはいいよと答えた。木田くんは念願叶ったりという顔をしていた。わたしはこれで心の安寧が手に入ると思っていた。

木田くんと付き合うことになって、わたしはたしかに理想を得た。デートをドタキャンしたりしなくて、他の女の子にちょっかいを出さなくて、わたしのことだけを見ていてくれる、求めていた彼氏を手にいれたと思った。木田くんはわたしのことが大好きだった。世界中に「女の子」はわたしひとりしかいないと本気で思っているようだった。その大きな「好き」にわたしは満足していた。

木田くんはわたしに「俺からせなちゃんを振ることは絶対にない。だから、せなちゃんが望む限り俺たちはずっと一緒に居られるよ」と言った。

わたしはこのままずっと木田くんと付き合って、いつか結婚して一緒に暮らして、おじいちゃんになっておばあちゃんになって、そして隣で死ぬのだろうか? 時々考えた。でも、中学生の女の子には、まだそんな未来のことよくわからなかった。

木田くんは学校近くのマンションに住んでいた。わたしはいつも登下校のさいにそのマンションの前を通った。木田くんもそのことを知っていて、わたしの部活が終わるころになるとよく窓の外を覗いてわたしを待っていた。わたしが通ると、木田くんは窓を開けて手を振った。

木田くんには兄弟が多くいた。わたしが一度だけあのマンションに行ったときにも、弟が家にいた。木田くんの弟は感じがわるくて苦手だった。なにか見透かしたような目をしている男の子で、わたしが家にきたのを一瞥するとちょっと冷笑して別室にこもった。木田くんもあまり仲がよくないらしく、弟のことは見えていないかのようにふるまった。

木田くんの部屋は半分が二段ベッドで埋まっていた。残り半分のスペースもふたつ並んだ学習机がほぼ占領しており、ふたりが床に座るとほとんど身動きのとれるスペースがなくなった。木田くんはわたしをそっと抱きしめた。わたしは隣の部屋にいる弟のことが気になっていた。

わたしは木田くんの弟が苦手だったけど、でも、たぶん陰で弟をなじる木田くんのことはもっと苦手だった。そのことに気づいたのはたしか、お洒落をし始めた弟について、木田くんが「あいつさいきん調子乗ってる」と言ったときだった。木田くんは、いつも小学生をそのまま中学生にしたような服を着ていた。背伸びし始める周りを見て嘲笑っていた。わたしはちょっとダサくてもお洒落をしようと頑張っている男の子のほうがだんぜんカッコいいと思っていたので、木田くんの、その頑張っているひとを馬鹿にするような態度が嫌だった。今思えばあのとき、いちばんお洒落をしてみたかったのは木田くん自身だったのだと思う。

おそらく木田くんは劣等感を抱いていたのだろう。弟に対して、姉に対して、部長に対して、自分より上の志望校を目指す友人に対して、木田くんはわたしに皮肉を言った。今ではわかる、きみは、いちばん愛されたかったんだよな。だれよりも自分が、いつでも、いちばん。

木田くんが言うには、わたしが木田くんに接する時の態度は、他のひとに接するときのそれと、すこし違っているらしかった。わたしはそれを指摘されたとき、なぜか腹が立った。木田くんとしては、わたしにとって自分がとくべつなのだということがうれしかったようだった。悪い意味じゃないんだよ、と彼は言った。わたしはどうしても納得できなかったけれど、それをうまく言語化することができなかった。わたしは木田くんに対して、とくべつにふるまっているつもりはなかった。もちろん彼氏だから、木田くんは、そのときいちばん好きなひとだったとは思う。でも、もっとそれ以前に、わたしはわたしでありたかった。わたしはあくまでわたしとして、木田くんのことを好きだったのだ。

あるときを境に、わたしは木田くんの大きな「好き」がなんとなくおそろしくなって、別れてしまった。好かれていることが怖くなってしまうのは、だれかの大きな「好き」に、自分が呑み込まれてしまいそうな感じがするからだ、と、そのとき読んだ本には書いてあった。

別れてから何年かして、偶然見かけた木田くんは、髪を染め、お洒落な服を着ていた。彼もだれかのいちばんになれただろうか。どうか幸せであってほしい。

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