見出し画像

カネゴンの話

カネゴンは、隣の中学に通うひとつ年上の先輩だった。わたしはカネゴンと同じ部活をしていたので、練習試合やら合同練習やらでなんとなく知り合い、なんとなく仲良くなった。カネゴンは部活の練習に、いつもママチャリで来ていた。カネゴンのことを思い出す時、わたしの記憶の中のカネゴンは、いつもママチャリを引いている。わたしはその横をてくてく歩く。

カネゴンは背が高くて、ちょっとぽっちゃりしていて、クマみたいな感じの男の子だった。「カネゴン」というあだ名がめちゃくちゃしっくりきていた。優しい垂れ目をしていた。いつも穏やかな声でしゃべった。

わたしはカネゴンとメル友で、しょっちゅうメールしていた。のわりに、内容はたいして思い出せないので、きっとすごく他愛のないことだったのだと思う。たぶん小説の話とか、アニメの話とかをしていたような気がする。ときどきメールしすぎて携帯代が高くついては母に叱られた。

カネゴンについていちばん思い出深いのは、ある年の夏祭りのことだ。わたしはその年カネゴンと、部活のみんなと近所で一番大きな夏祭りに行った。わたしは浴衣を着て行った。うちでは毎年母が浴衣を着せてくれ、髪の毛もかわいく結ってくれていた。それは、中学生の女の子にとっては一年で一度の大切な日だった。すごくきらきらしていて、どきどきする一日だった。わたしを見て、お調子者の先輩が「おっ、かわいーじゃん」と言った。でもカネゴンはしらっとしていた。

ついぞ浴衣については一言も触れてもらえないまま解散し、なんとなく、カネゴンならほめてくれるかも、とすこし期待していたので、わたしはそれをさみしく思った。祭囃子を遠くに聞きながら、ひとりで暗い帰り道を歩いた。家に帰ってから苦しい帯を解き、浴衣を脱いで携帯を見ると、カネゴンからメールが来ていた。「浴衣、とても似合ってましたね」

カネゴンはそういうひとだった。

高校生になると、カネゴンは女の子たちからもてまくっていた。わたしはその話を聞いて面白がったり、冷やかしたりしていた。カネゴンはわたしのことを、いとこの妹ちゃんみたいな感じ、と形容していた。従姉妹ってのはギリギリ結婚できるのよ、と言って笑った。わたしにとってもカネゴンは、いとこのお兄ちゃん的な感じだった。お兄ちゃんってほど近くはなかったけど、親戚の一種ではありそうな、好きってわけじゃないけど、でもただの友達以上の何かではあるような、そんな、すごく思春期的な、微妙にくすぐったい関係だった。

あのころわたしは、カネゴンとはこういう感じでずっと「仲良し」なんだろうと漠然と思っていた。だらだらメールをしたり、たまに会って遊んだり、文化祭に行ったり、「仲良し」らしいことはちょくちょくしていた。反対に、片思いもしくは両思いらしいことはわたしたちの間にいっさいなく、むしろカネゴンの話に聞くクラスメイトの女子たちのほうが、しばしばなにか恋の始まりのような予感を感じさせた。

だからカネゴンにちょっと抱きしめてもいい?と聞かれた時も、わたしはそれを友愛の一種と理解していた。べつに嫌いじゃなかったから、どうぞと答えた。それでいちどだけハグした。カネゴンはふんわりしていた。せなちゃんて、思ったよりちっちゃいのね、と言われた。その日別れる時に、カネゴンは「もしせなちゃんが年下じゃなかったら好きになってたかも」と言って笑った。半分冗談だったと思うけど、まあ、半分はどうだったかわからない。

とはいえ、ある日カネゴンにもふつうに彼女ができた。わたしはたしかそれもメールで知った。相手はやはり高校のクラスメイトだった。わたしは素直に祝福した。彼女にはわたしも一度だけ会ったことがあり、とてもきれいなひとで、くっきりしたかんじの美人だった。具体的に言うと、涼宮ハルヒに出てくる朝倉涼子に似ていた。カネゴン、やるな、と思った。

カネゴンは毎日ママチャリに彼女を乗せて登校し、彼女を乗せて下校していた。文化祭で見たカネゴンの高校は、夏の日差しの中にまぶしくてきらきらしていた。渡り廊下に木漏れ日が揺れていて、昇降口を風が吹き抜けていた。カネゴンは、あのまぶしさの中で、青春しているのだなあ、と想像した。まだ中学生だったわたしには、高校生同士のカップルというだけで、まぶしく、未知の世界だった。高校生同士のカップルは、ウィルコムを持ったり、コンドームを買ったりするものらしかった。それらすべての事象は、まだ中学生だったわたしには(多少彼氏を作ったり別れたりしていても)、やっぱりどこか遠い世界のできごとに思えた。

カネゴンと彼女はしばらく付き合って、でも何かのはずみで急に別れた。理由はもうよく覚えていないが、まあたいしたことではなかったと思う。そのときヒマだったわたしはカネゴンを慰めに行き、街道沿いのサイゼリアで愚痴を聞いた。カネゴンは携帯の電池パックの裏に貼った彼女とのプリクラを自虐気味に見せてくれた(当時、携帯の電池パックの裏に彼女/彼氏とのチュープリを貼るのが流行っていた)。それを見たわたしは、ああ、ふたりは本当に付き合ってたんだなあ、と妙に実態をもって受け止めた。

しばらくして、カネゴンから「やっぱり彼女とやり直すことになったよ」とメールが来た。傷心のカネゴンを痛ましく思っていたので、わたしはもう一度素直に祝福した。

数日後、またカネゴンからメールが来て、それがカネゴンとの一生の別れになった。最後にもらったメールには、わたしのことが本当はずっと嫌いだったということ、お前の言葉遣いが気に入らないということ、もう二度と会いたくないし、今後一切メールもしないでくれということが、まるでカネゴンとは思えない荒い口調で、書かれていた。目の前が真っ白になって、携帯を持つ手が震えた。頭の中をいろいろなことがかけめぐった。心臓がばくばくいっていた。

いつも穏やかだったカネゴンが、どんな表情でこんな文章をしたためたのか、わからなかった。嘘だ、という気持ちが先行した。でも、一体どんな理由で、なぜこんなタイミングで、嘘をつく必要があるのか、まるで見当もつかなかった。

だから、じわじわ、本当なのかもしれない、と思った。もちろん、心当たりはなかった。今まで嫌われているような素振りもなかった。でも、本当のところは、やっぱりどうなのかわからない、とも思った。もしかしたら本当は、本当に、カネゴンは、わたしのことを、ずっと嫌いで、なにかイライラした思いをずっと抱えながら、それを我慢していたのかもしれなかった。わたしは、カネゴンのことをなにか傷つけたり、嫌な思いをさせるつもりはひとつもなかった。でも、どんなに悪気がなくたって、ひとを傷つけてしまう場合もある、ということを、すでに解る年齢でもあった。

なんとなく、泣いちゃダメだ、と思った。ここで泣いたら、なにかに負ける気がした。それは、15歳の女の子にとっては心臓のど真ん中を包丁で突き刺されるような経験で、でも、たしかに乗り越えなければいけない痛みのひとつでもあった。

あれ以降、どんなに仲がいいように思うひとでも、いつもどこかで本当は嫌われているんじゃないか、と考えるようになった。自分の話している言葉がよいものであるか、つねに気にするようになった。これはけして悪い意味ではなく、たぶんあのとき受けた傷や、痛みが、いまの自分や、いまの自分のまわりにある環境を形成していることはどうしようもなくたしかなのだと思う。

カネゴンがなぜあのタイミングで、あのメールを送ってきたのか、そして本当のところはわたしのことをどう思っていたのか、今でもわからない。わたしはあの日以降、一度もカネゴンに会っていないし、きっとこの先も会うことはないだろう。

あの夏、律儀なわたしは、カネゴンに借りていた本を返すため、隣町にあるカネゴンの家まで自転車を走らせた。初めて行く町だった。年賀状を送るために聞いていた、住所だけを頼りにマンションを探した。ポストにカネゴンの名字が書いてあることを確認すると、その本をそっと入れた。さよなら、と心の中でつぶやいた。また自転車を走らせて家に帰った。あの日の帰り道の、昼下がりの穏やかな風と蝉時雨を、いまでも時々思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?