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鮮やかな君の面影も僕は見失うかな

今日は地元の歯医者に行った。地元と言っても実家ごと引っ越したから、正確には元・地元だ。元・地元ってなんだ?とにかく15年くらい住んでいたけれど、今となっては歯医者以外に用のない場所だ。歯医者だけは怖くて変えられない。今日も先生は優しくて良かった。

なんでも朝イチが好きだから朝イチで予約を入れたら、今日の全予定が午前10時で終わってしまった。暇だったから懐かしの地元をぷらぷら歩いた。昔住んでいた家も見に行った。父が建てた家で、引っ越す時に人に売った。だから今でも誰かが住んでる。軒先にはちゃんと花が植えられていた。この家にも新しい生活があるんだと思った。心なしか家も生き生きしていた。なんか顔色が良く見えた。

ところで玄関前の階段が記憶よりも小さくなっていて驚いたけど、単純にわたしが大きくなったんだよね?よく擦り寄ってきてくれた隣の家の三毛猫はまだ元気にしているだろうか。

地元の景色の中では(と言っても別に何もないんだけど)わたしは川が好きだから、川沿いも歩くことにした。別に綺麗でもなんでもない川だ(どちらかと言うと汚い……)。だけどこの川には、友だちと早朝にランニングした思い出がある。あれは5時台だったかな……まだ薄暗いなかで集合して、川沿いをひたすら走った。なんであんな朝早かったんだろう。馬鹿だったよね。まだ中学生の時だ。中学生がもう10年前で怖いよ。

今でも友だちがあのベンチに座って待っているような気がしたけど、もちろんそんなことはなかった。友だちはもうこの世にいないし。そのときシャッフルで聴いていた音楽がムスタングで少し泣いた。わたしが友だちのことでこんな感傷的になること自体間違っている気もした。だけどわたしの感情はわたしのものだから、悲しむくらいはゆるしてほしい。

鮮やかな君の面影も僕は見失うかな
窓を叩くような泣き虫の梅雨空が日々を流す
ムスタング/ASIAN KUNG-FU GENERATION)

ムスタングはこういう曇りの日に聞く音楽だ。午後にはちょうど霧雨みたいな雨が降った。気圧が下がると頭痛がしてくるので帰った。電車がわたしのマンションへ近づくにつれ、徐々に現在の生活を思い出してきた。わたしはいま25歳で、恋人と暮らしている。家賃も食費も自分で払う。酒も飲む。深夜に出歩く。大人なのだ。

ときどき自分がいま人生のどこを生きているのか分からなくなる。毎朝起きた時に「ここはどこだろう」と考えている。0.8秒くらい。ほとんど無意識に。わたしは思い出している。生まれてからいままでのこと。玄関の階段に座っている5歳のわたしと、川沿いを走る15歳のわたしと、今ここにいる25歳のわたしは、同じだ。同じわたしだ。だけどまったく別人かもしれない。あの日のわたしはどこにいるんだろう。まだあのベンチに座っているのかな。

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