見出し画像

煙草は吸えないから吹いてる

だれも煙草を吸わない家庭で育ち、小心者だからずっと煙草が苦手だった。母は煙草が嫌いで、特に女の子は子どもを産むのだから煙草なんて、とよく言った。

わたしはずっと自分が女性であるというだけで「いつかもし子どもがほしいと思えば、自分が産まなければならないこと」について微妙に受け入れられないまま生きている。未だにそうである。これはただ生物学的に女だけが痛い思いをしなければならないなんて不公平だという話でもあるし、もっとジェンダー的な、たとえば育休や産休にともなうキャリアの中断、などに係る話でもある。でも今日はそういう話をしたいのではなくて、そう、煙草の話だ。ともかくなにが言いたいかというと、わたしは母親のその「女の子なのだから、煙草なんて」という物言いにずっと引っかかっていた。

でもそれは圧倒的に正しかった。ものすごく感覚的に言うと男性の喫煙によるリスクが1(自分)とすれば、女性の喫煙によるリスクはたぶん1.5(自分+胎児)なのだ。わたしは医者じゃないから正確な数値はよくわからない。でも、すくなくとも女性であるというだけで、未だ見ぬ子どものことも心配しなければならないということは不公平だが事実のように思えた。あーやだやだ、だから女はいやなのだ。わたしはときどき、もしわたしが男だったらこんなに口うるさく言われなかったのかしら、と考えた。事実そうかもしれなかった。

だからわたしにとって煙草とは、不公平と男性性の象徴だった。

小学生のころ、父とふたりで出掛けた日に、ご飯を食べている最中母から電話がかかって来、そこでどうも口論になった。父はちょっと外で電話してくる、と言って出て行ってしまった。しばらく待っていたが戻ってこなくて、心配になったわたしは店の外を見に行った。そこで父が電話をしながら、煙草を吸っているのを見た。

わたしは初めて父が嘘をついたのを見た。お父さんって煙草吸わないんだよね、という問いに、父はいつもウンと答えていた。おそらく母もそう認識していたと思う。だから、あ、お父さんは、嘘ついてたんだ、と思った。今となってはただ教育上そういうことにしていたのかもしれないな、くらいには考える。でも当時小さかったわたしにとってそれはかなりのショッキングな出来事で、その後数年にわたってトラウマめいた傷を引きずった。

大人って信用できないワと思った。

17歳になったわたしは歳上の大学生と付き合った。彼はもともと喫煙者で(アメスピの黒を吸っていた)、そのことについて特にわたしはなにも思っていなかった。大学生になりゃ煙草吸うひともいるんだな、それってなんか大人だな〜(好き♡)くらいの感想だった。ただ、彼は付き合う前に「彼女できたら煙草やめる」と謎の宣言をしていたので、煙草やめるの?と聞いてみたら「そう決めてたから、やめるよ」と言った。そのときも、あ、やめるんだ、と思っていた。でもそのあと彼が友達たちと普通に煙草を吸っていて(しかもそれを隠していたのがバレて)、わたしは怒った。煙草を吸うとか吸わないとかではなくて、約束を破られたことにいちばん腹が立った。その後も彼はごめんごめん、もう吸わないから、と言っては吸う、を何度か繰り返し、わたしの気持ちも歪曲して、いつしか煙草そのものに嫌悪感を感じるようになっていた。

彼がもう吸わない、と嘘をつくたびに父の姿が重なった。煙草とは、やめると言ってもやめられないもので、吸わないと言っても吸うものなのだ、とわたしは認識し始めていた。そのころわたしにとっての煙草は不公平で、男性性で、嘘の象徴だった。

ちなみに彼は、嘘つくくらいならもういちいち禁煙しますとか言ってないで堂々と吸えよ、とわたしが禁煙論争を放棄したあとしばらくして、まったく頼んでもいないときにぱたっと煙草を辞めた。結局彼には彼の意思とかタイミングがあって、それはわたしの影響の及ばないところだったのだと思う。

彼と別れたあたりでわたしは成人し、同級生たちがわりと煙草を吸い始めた。わたしは冒頭に書いた母の「女の子なのだから、煙草なんて」という言葉を呪いのようにもお守りのようにも信仰していたので(この信仰はけして母のせいというわけではなく、結局のところわたしがわたしに課していることなのだ)1本も吸わなかったけれど、友達たちはだれもそんなこと気にしている様子はなくて、それぞれ好きに煙草を吸ったり酔っ払ったりしていた。わたしは呪いやトラウマでめちゃくちゃになっている自分と周囲とのギャップにすこし苦しんだ。本当は彼女たちが心の底からうらやましかった。わたしももっと自由でいたかった。煙草を吸いピアスを開け終電を逃しそのへんの男と遊んで怒られてもヘラヘラしてまあなんとかなるっしょ、と笑っていたかった。でも結局は小心者でそれらをなにひとつできない自分のことが、いちばんいやだった。

わたしは目の前で煙草を吸われることもきらったが、大学生のころ、ひとりだけばつぐんに煙草が似合っていて、一緒にいるときに煙草を吸われてもなぜかいやな気がしない男友達がいた。彼はピースを吸っていて、その青い箱もちょっとすてきで好きだった。大学の喫煙所で、古い喫茶店で、居酒屋の隅で、夜の海辺で、彼がゆっくり煙草を吸っているのを見るのはたのしかった。彼が溜息をつくみたいに吐き出す煙はなぜかうつくしかった。わたしはその光景をいつまででも眺めた。

煙草を吸うのにも、うまいとかへたがあるということがわかった。注意深く観察していると、きれいに吸うひとと、そうじゃないひとがいる。なにがどう違うのかはわからない。でもわたしは、そのひとが何のために吸っているか、に重きがあるような気がなんとなくしている。

わたしはピースの男友達に煙草を1本もらい、でも吸う勇気はなかったので、コートのポケットにしまっているうちにその煙草をぐしゃぐしゃにしてしまった。煙草はぐしゃぐしゃになると中の葉っぱが散らばるということを知った。

そのあと好きになったひとはマルボロを吸うひとだった。彼はいつも別れ際に自販機でコーヒーを買ってくれて、それを一緒に飲みながら煙草を1本吸って、それから帰るのがお決まりだった。彼も煙草を吸うのがうまかった。やっぱり溜息をつくように煙を吐いた。

わたしは彼の、わたしと正反対なところが好きだった。いつもヘラヘラしていて、いたずらが好きで、兄弟が多くて、たいていクラスの中心で、バイクに乗って(わたしはバイクも怖いから乗らない)、よく笑うひとだった。だから彼が煙草を吸っているのも好きだった。わたしは絶対に吸わないからだ。わたしが持てないものをたくさん持っている、あのひとがうらやましくて好きだった。

彼はいつもほんのり煙草の匂いがした。でもそれがいやな感じではなかった。わたしはマルボロの匂いを識別できるようになった。そのひとのことが好きだったからそう感じるのか、もともとそうなのかはわからないが、わたしはマルボロの匂いは好きなのだと思う。

吸うつもりはなかったけど、わたしにも吸い方を教えて欲しいと言った。いつか煙草を吸いたいと思ったときに思い出せるように。でも彼は笑ってオレ煙草吸う女の子嫌いだからダメ、と言った。それは優しさでもあったと思う。ただ「女の子」という特定がやっぱりわたしの琴線に触れて、それで文句を言ってごねたので、結局は渋々教えてくれた。吸いながら火をつける。吸いながらでないと火はつかない。煙を吸ったらもう一度深く吸って肺に入れる。それから吐き出す。

わたしはやっぱり小心者なので上記の「肺に入れる」という過程は飛ばした(これをふかし煙草という)でも火のつけかたは覚えた。

そのあとわたしはマルボロを買って、つらくなったらときどき火をつけた。でも怖いから吸わない。煙草は空気があれば火がつくということを彼に教わったので、吸ってつくなら吹いてもつくんじゃん、と思いついて、吹いてみたらやっぱりついた。それでお香的に使用していた。会社では非常階段が喫煙所がわりになっていた。わたしは非常階段でマルボロに火をつけ、そしてシャボン玉みたいに吹いた。マルボロはやっぱりあのひとの匂いがした。

煙草の匂いがすると、父でも、元彼でもなく、あのひとのことを思い出すようになった。彼と出会ってから、わたしはすこし煙草のことを好きになったのだと思う。

ある時ふと、そういえば元彼が煙草を吸ってるところを見たことないな、と思った。わたしが未成年だったのもあって、彼はわたしの前で煙草を吸わなかった。わたしはポケットにいつもアメスピがあることを知っていたり、遠巻きに喫煙所へ入っていく彼を見たりしていただけだ。彼も煙草を吸うのがうまかっただろうか? 今となっては、ちょっと見てみたかった気もした。その姿を好きだと思えていたら、彼のことや、煙草のことも、もっと早く、もっと好きになれていたのだろうか。

恋人は煙草を吸わない。煙草を吸わないから好きなのではなく、好きなひとがたまたま煙草を吸わないというだけだ。でもぜったいに似合うと思う。かと言ってすすめる勇気もないけれど。わたしは結局自分に似たひとと結婚した。わたしも恋人も、いい子の小心者だ。だからわたしたちは煙草を吸わなくて、かわりに一生懸命酒を飲む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?