見出し画像

いちばん素敵なデートの話

人生とは不思議なもので、わたしは中学も卒業して何年か経ってから、S先輩の元彼と一度だけデートしたことがある。

その元彼・亮さんとは本当にたまたま偶然知り合ったのだが、これまた偶然その日はわたしの誕生日だったので、別れ際に連絡先を書いた紙とメルティーキスが入ったコンビニの袋をプレゼントにもらった。「ちゃんと教えてくれたら、もっといいの用意したのに」と言って冗談ぽく笑った。亮さんはやっぱり想像していた通りの美男子だった。いかにも、きれい、という顔立ちで、インタビューを受けているときの歌舞伎役者みたいに、上品な笑い方をするひとだった。

すぐに何度かメールをしたけれど、それきり1年ちかく関わりがなかった。でも、ある日突然「久しぶり。今度会えない?」と連絡が来た。

待ち合わせ場所に行くと、亮さんが車の中から顔を出した。「乗って!」当時わたしは高校生だったので、男の子の運転する車になんてもちろん乗ったことがなく、かなり緊張して乗り込んだ。し、失礼します、と言って、おずおずとシートベルトを締める。幸いにして、亮さんは職業柄、車を使う仕事をしていた(高卒で働いていた)ので、とても運転が上手だったしセーフティードライバーだった。亮さんが黄色信号を遵守するさまを見て、わたしはすぐに安心した。車内には当時流行っていた曲が流れていた。たしかGReeeeNとかだった。

しばらく走ると海が見えた。「今日は俺の好きなとこばっかりなんだけど、いいかな」と言って亮さんが笑った。わたしも海は好きです、と言った。海沿いのファミレスに車を停めて、そこで昼食をとった。今でも覚えているけど、わたしはオムライスを食べた。亮さんがなにを食べたかは覚えていないけど、奢ってもらったので覚えている。わたしはひとにもらったものをなるべく忘れないようにしたいと思っている。俺が誘ったら、相手には一円も払わせないのが俺のルールなの、と亮さんは言った。

そのあとは海の目の前に建つ水族館へ行った。亮さんは水族館が大好きで、一人でも来るし、年パスを持ってたこともある、と教えてくれた。

「水族館ってさ、みんなが魚を見てるでしょ。だれも人間のこと見てなくて、だから落ち着くの」

亮さんはガラスの前で指をゆらゆらさせて魚をあやした。魚を見つめる亮さんの目は、小さな子どもでも見つめるみたいに優しかった。このひとはきっと恋人のこともこんな目で見るんだろうな、となんとなく思った。

「亮さんって、彼女いるんですか」「今はいないよ」「前の彼女さんとは、どうして別れちゃったんですか」「俺が忙しくて、メール返さなかったらフラれちゃった」「S先輩って、覚えてますか」「ああ!懐かしいな……でも、あの子とはきっともう一生会わないと思うよ」

この人とはきっともう一生会わない、と思うのって、どんな感じなんだろう、と、わたしは思った。

水族館を出ると、亮さんはわたしを乗せた車を、今度は街の方へ走らせた。「もう一箇所、行きたいところがあるんだ。とっておきの場所だよ」亮さんは笑った。「俺さ、デートの計画立てるのが好きなんだ。友達と遊ぶ時でも」「すごいですね」わたしはこんな風に計画を立ててくれるような男と付き合ったことがなかった。「ねえ、せなちゃんの理想のデートって、どんな感じ?」わたしは悩んだ。「うーん……あんまりないですかね。一緒にいれば満足っていうか……。あ!強いて言うなら、川とか。一緒に川沿いをずーっと散歩するとか……そういうのがいいですかね」

亮さんは感心したように頷いて言った。「せなちゃん、君は幸せになれるよ。絶対に。俺、やれここにつれてけ、あそこにつれてけ、って女の子とばっかり付き合ってたからさ。もし彼女に、一緒にいるだけで満足、なんて言われたら本当に嬉しいよ。せなちゃんの彼氏になるひとはきっと幸せになれるね」亮さんのこの言葉は、その後何年も何年もわたしの心を救った。

今思い返すと、自分はひとを幸せにできるんだ、とはじめて思わせてくれたのは亮さんだった。もしかしたら亮さんはもう覚えていないかもしれないけれど、わたしはあのとき亮さんに褒めてもらったことをきっと一生忘れないと思う。

少しずつ日が傾きはじめていた。亮さんは、ああ、ちょっとまにあわないかもな、と言って眉をひそめた。最後に連れて行ってもらったのはひみつの展望台だった。そこはひみつの場所にあって、人がすくないのできれいな景色をひとりじめできるのだ。本当は夜景がきれいなんだ、と言って、亮さんはちょっと残念そうにした。わたしは、きれいなことには変わりないですよ、と言った。それに、本当にきれいなことには変わりなかった。ひみつだからとっておきなんだよ、と言って亮さんは笑った。

わたしの門限があったために、夜景は見られなかったけれど、亮さんは正しくわたしを家まで送ってくれた。時間も遵守してくれた。律儀なひとだった。帰り道、わたしは「どうして今日、誘ってくれたんですか?」と聞いた。亮さんはちょっとまじめな顔になって、「会いに行けるひとには、すぐに会いに行かなきゃいけないと思ったんだ」と言った。

時代は震災のすぐ後だった。亮さんはまっすぐに前を見つめたまま、自分があの震災を受けて思ったこと、感じたこと、そして見たことのいくつかを語った。表情も、語り口も、とても穏やかなものだったけど、このひとはきっといくつものつらいことを乗り越えてきたんだろうということが、滲み出るように感じられて、判った。

亮さんは優しいけど、きっと本当は、ものすごくいろんなことを感じながら生きているひとですよね、とわたしは言った。よくわかるね、と亮さんは笑った。

亮さんにはその数年後にまた突然会い、それきり会っていない。彼がいまどうしているのか、わたしは知らない。ふと突然メールが来るような気もするし、金輪際来ないような気もする。亮さんというのはそういうひとだった。もしかしたらもう一生会うことはないのかもしれない。でも、それでもどこかで元気で居てほしいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?