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「無題」の男の子の話

初めて会った時に「下の名前、呼び捨てにしていいよ」と言ってくれたのをよく覚えている。よろしくね、と笑った顔はこれまでゆうに50人くらいの女の子を殺していそうな爽やかさだった。色白で背が高く、さらさらの黒い髪の毛、長いまつ毛、二重の目、すっと通った鼻筋、うすい口唇、きれいな歯並び。彼はわたしが今までに出会った中で、いちばん「イケメン」な男の子だった。当時わたしは付き合っているひとがいたために、彼を恋愛対象として見ていたわけではない。それでも気を抜くとほんとうに好きになってしまいそうなくらいすてきな男の子だった。わたしはたしかにフラフラした女だけど(笑)、それを差し置いても10人中9人の女の子はわたしと同じように感じると思う。

彼にはそういう魔法めいた魅力があった。カッコよくて優しくて気が利いてユーモアもあっておまけに歌がうまくて、女子にも男子にも好かれていた。彼はすぐに集団の中心になった。いつでも「呼ばれる」ひとだった。わたしはずっと彼に憧れていた。異性だけど、こんな風になりたい、と強烈に思わせるひとだった。

彼には高校生から付き合っているカノジョが居た。わたしはそのカノジョに会ったことはないが、写真を見たことはある。何かのタイミングで彼から見せてもらったのだ。それはいちご狩り(かわいい)の写真で、彼とカノジョが並んで笑っていた。カノジョは100点満点にかわいくて、これがまた安っぽくて無闇なかわいさではなくて、もっと内側から滲み出るような、クラスにいたらたぶん地味なタイプなんだけど抜群に端正で、ある日ふと突然そのことに気がついて、それ以来ずっと彼女のことが頭から離れなくなってしまうような、そういう謙虚なかわいさだった。すごくお似合いだった。さすがだ、と思った。

カノジョが掛けていたニコアンドのかばんを見るたび、わたしは会ったこともない彼女のことを思い出す。

彼とカノジョが別れてしまったことを、わたしは夏の合宿の時に彼から聞いた。残像みたいに記憶しているのは、薄暗い海をぼんやり見つめる、ひとりの男の子の横顔。ほろよい。缶ビール。波の音。夜の匂い。ふられちゃったんだよ、とあの爽やかな笑顔で彼は言った。でも俺が悪かったんだ。もっと大切にすればよかったんだよ。まぶしくて泣けた。わたしは自分が振った相手に、そんなことを言ってもらったことはなかった。

こんなにすてきな男の子を振るなんて、いったい前世でどんな徳を積めばそんな女になれるんだろうと思った。でも彼を手放すことを決めるには、きっと相当な勇気が要っただろう(いや、もしかしたら、こんなにすてきな男の子と付き合えるくらいすてきな女の子にとって、それはなんてことないことなのかもしれないけど)。こんな、こんなにカッコよくて優しくて、あなたのこと、好きなひと。彼がここでこんな顔をしていること、もしわたしにできることならあなたにも教えてあげたかった。

そのとき彼が言ったことを、わたしは自分のtumblrへ次のようにしるした。

『3年も付き合ってたんだから、ウキウキしてたときも、幸せいっぱいだったときもあったろうに、「彼女のこと一番好きだったの、振られた時だったな」って言ってた男友達の気持ち、なんだかすごくわかったきがするな。』
@shubonbon「無題」

これを言ったのは彼だ。

ちなみに、文末にある「なんだかすごくわかったきがするな」の指すところとしては、あの夏の次の春、わたしもそれまでずっと付き合っていたひとと別れることになり、そのときに彼の言葉を思い出して、先の文章を書いたためだ。

たしかに別れることにしたときが、あのひとのことを一番好きだった。あの日の帰り道、何を見てもあのひとのことを思い出して泣いた。あのひとと同じメーカーの自転車を見て泣いた。あのひとが食べたがっていたものを見て泣いた。あのひとが好きだった犬を見て泣いた。何を見てもあのひとのことを思いだせるのだ、とほんとうに知ったのは、たぶん別れたときだった。

件の彼はいま、もちろんあたらしいカノジョと付き合っている。あんなにいい男なのだから、みんながほうっておくわけないのだ。最後に会ったとき、彼は「さいきんカノジョに結婚せまられてんだよね」とうれしそうに笑ってた。よかった。どうか幸せでいてね。ヒーローにはハッピーエンドでなきゃダメだ。

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