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エッセイいろいろ

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生きているあいだに思ったこと
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正直に言うとコロナ鬱だ。

コロナが不安だ。シンプルに不安だ。これはただの個人的な、とても小さな感情だ。 みんなが一斉にリモートワークになりだしたあのとき、わたしの仕事はリモートワークにならなかった。東京を電車で通勤していた。緊急事態宣言が出てもだ。日に日にがらんとしていく電車に乗り続けていると、自分だけがどこかまずい場所に向かっているような、何か大きな流れに取り残されていくような気がした。 ぜんぶの窓が開いている電車はすごい風の音がする。換気が大事だと聞いたから、なるべく窓の近くに座る。マスクをし

魔女が営むクリーニング屋の話

引っ越してから行くようになったクリーニング屋さん、どうもおばちゃんがひとりでやっているらしい。 おばちゃんはやたら割引券をくれる。その時々で、〇〇クーポンとか〇〇キャンペーンとか会員限定〇〇!とかいろいろな値引があってまあまあ複雑なのだが、おばちゃんはいつも気前よく、何と何を組み合わせるといちばん安いのか教えてくれる。 「あなた、会員登録ってしてるかしら。今は会員になって抽選すると、それが一番安いわよ😆」 本当に「安いわよ😆」というかんじでニコニコ仰るので、

俺は自由でいたかった

ヒラギノ游ゴさんによる、言語学者・中村桃子さんのインタビューを読んだ。 小学校6年生〜中学1年生くらいのとき、友だちの、女の子たちの間で自分のことを「俺」とか「僕」と呼ぶのが流行った。当時わたしは典型的な(いわゆる教室ヒエラルキーの最下層であり)(美術部と吹奏楽部で構成されるような)「オタクっぽい女子グループ」に属していたため、当時(2ch全盛期だった)のアンダーグラウンドカルチャーの煽りをびゅうびゅうに受けていたところもあるとは思うんだけど。 でも、いま思えば、あのこ

振られたらそこで終わり、じゃないよ

告白はスタートラインであってゴールじゃありません。たとえばいまあなたに好きなひとがいて、そのひとに想いを伝えたとして、そこできっぱり断られたとしても、ぜんぜん落ち込む必要なんてないんですよ。なぜか一回フラれただけで諦めてしまうひとが多いけれど、わたしは、むしろ肝心なのは二回目、三回目だと思っています。 告白は一発勝負じゃないんです。一発で勝とうとするから落ち込むのであって(それはむしろ傲慢なのだ)、はじめから三回勝負と思っておけば良いのです。一回目は「わたしってあなたが好き

好きになってはいけないひとを好きになってしまったときに考えたい、ひとを好きになるということについて

ときどき、きまった恋人のいる女の子から「ほかに気になるひとができてしまったんだけど、どうしよう」という相談を受けます。そういうとき、わたしはいつもいいじゃんいいじゃん〜すきになっちゃえば〜と言います。本当にそう思っているからそう言います。でもたいていの場合、彼女たちは自分のことを責めに責めに責め続けていて、できれば想いをぎゅっと押し込めて、そのうえに分厚い蓋をして、さらに頑丈な鍵をかけようとしています。 ひとはさまざまな理由で「このひとを好きになってはいけない」と思うようで

煙草は吸えないから吹いてる

だれも煙草を吸わない家庭で育ち、小心者だからずっと煙草が苦手だった。母は煙草が嫌いで、特に女の子は子どもを産むのだから煙草なんて、とよく言った。 わたしはずっと自分が女性であるというだけで「いつかもし子どもがほしいと思えば、自分が産まなければならないこと」について微妙に受け入れられないまま生きている。未だにそうである。これはただ生物学的に女だけが痛い思いをしなければならないなんて不公平だという話でもあるし、もっとジェンダー的な、たとえば育休や産休にともなうキャリアの中断

夢の目撃証言をあつめるひと

亡くなった友だちが夢に出てきたので、なんとなくお参りに行った。数年ぶりに降りた地元の駅はずいぶんきれいになっていた。駅までそのひとのお母さんが迎えに来てくれた。わたしはこのお母さんのことがとても好きだった。友だちに似て、つよくて、やさしいひとだった。忘れないでいてくれてありがとう、とお母さんは言った。忘れるわけないじゃないですか、とわたしは言った。 友だちの部屋はまだそのままになっていた。やっぱり今でもそこに居そうなかんじがした。たくさんお供え物がしてあった。お父さんがやた

あたらしい結婚のはなし

職場で「結婚しました」と言うと、案外「あら、では大変ですね」と返されることが多い。なにが大変なんだろう?とずっと思っていたけれど、次第にそれは「家事」のことを指しているとわかった。つまり、「あら、では(料理も掃除もしなきゃいけないし)大変ですね」ということだ。 わたしがそれにしばらく気づかなかったのは、まったく家事をしていないからである(!)だからべつになにも大変じゃないのだ。 と言うとなんだかすごくダメな嫁みたいですが、お互いに働いているし、なんなら自分の方が激務な

うち、母子家庭なんで

「うち、母子家庭なんで」というお母さんの言葉に、ずっと違和感を感じていた。だいたいその後には「お金がないんです」と続く。お母さんがその一連の説明をするわずかなあいだ、子どもたちのほうをよく見ていると、だいたいは何も聞いていないようなふりをしていたり、あるいはあいまいな笑顔を浮かべていたりする。 ある時ふと、なぜ「うち、母子家庭なんで」という枕詞を置くのかな、と思った。たぶんそれがわたしの感じている、「引っかかり」の正体だった。単純に「お金がないんです」では、だめなのか?