諸子百家ZOOM 第6回 孔子
マナー講師やってて天下取れるとなぜ思ったのか≠マナーを決めるものが権力者だからだ
昔の秩序の復活は殷周の時代や、ギリシャからの歴史から見て新しいものではない。
不文律となって上流階級に伝わっていたものを、創作が入っているかもしれないが人々に伝えたのが大きい
儒教・儒学の考え方が孔子の生前と漢代で変わった、パウロのキリスト教みたいなものが変わった
統治の道具として礼法を定め直す道具になった
権威の箔付けに使う道具として優秀だった=法家・儒家
ない状態から身を立てるには
例 グローバル化
孔子「私ならグローバル化に対応できます、これをやりなさい」
キリストにおけるパウロ的なのがいる、そいつを探せ
Twitter起業家的なアレ=空っぽだった場所に何か構造物をおける箱
テキストからだとどうしても道具論になってしまう
マナー講師で天下を取ろうとした。
というか、皮をかぶって、自分を大きくする。
正当性の道具、権威の箔づけの道具になっている
秦の法家思想に対置される形での儒家思想。
儀礼を決められるのは権力者
権力者は儀礼を決めれる。
ないから、決められる。
儒学、礼法のような儀式の独占によって権威を確立する手法は統治者としては便利な手法であって「天下を治める礼ができるから統治に足る存在である」と逆説でアピールすることができるというためのものなので、統治者サイドから孔子の論を使う分には便利としか言いようがない。日本での受け入れられ方も、既存秩序への順応のために使用されているという点を無視はできない。
孔子、ない状態から身を立てるために、騙って自分を大きく見せてチャンスを掴もうとする。
大きく見せて高位に就こうとした。起業家のような存在。
儒教という道具
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