ダ・ヴィンチの「仕事論」

世界一有名な絵画は?

と問われれば多くの人は即座に「モナ・リザ」と答えるでしょう。作者はいうまでもなく「史上最高の画家」の評価をほしいままにするレオナルド・ダ・ヴィンチです。

ちなみに本記事のタイトルは、わかりやすく「ダ・ヴィンチの仕事論」としていますが、美術史を学んだ人間は「ダ・ヴィンチ」という表記は用いず、必ず「レオナルド」と表記します。

レオナルド・ダ・ヴィンチって、そもそも「ヴィンチ村のレオナルド」って意味ですから、ここから「ダ・ヴィンチ」だけとってきたら、単に「ヴィンチ村のアイツ」くらいの意味にしかならないんです。

しかし、いきなり「レオナルドの仕事論」などというタイトルにしてしまうと、馴染みのない人からすると「え?ディカプリオ?それとも熊!?」と混乱してしまうので、このようなタイトルにしているということで、美術史界隈の方はご容赦ください。

ということで、誤解の心配がなくなった以下の文章では「レオナルド」という呼称で進めたいと思います。

レオナルドは「元祖マルチタレント」

ということで、話を元に戻せば、これもよく知られている通り、レオナルドは当時から画家として非常に高く評価されていましたが、活動領域は美術以外の領域にも広がっていました。

たとえばレオナルドは、画業と並行して、武器や橋の設計など工学・建築分野、また水や光などの自然科学分野の研究、あるいは生物や人体などの生物・医学分野においても先進的な研究を行いながら、チェーザレ・ボルジアをはじめとした時の権力者に対しては政策や軍事面でのアドバイザーも務めていました。

さらには貴族や枢機卿などの権力者の親類の結婚式のようなイベントのプロデュースも手掛けていて、レオナルドが演出した結婚式に出席したある貴族は「今日の結婚式は大きな龍が出てきて火を吐いたり、すごかった」といった手紙を残しているくらいですから、こちらでも相当の手腕を発揮していたようです。

このような人が現在の社会にいるでしょうか!?

まずはアーティストとして世界的な名声を獲得しながら、同時に研究者として物理・医学・生物学分野で画期的な論文をバンバン発表しつつ、同時に工学・建築分野のイノベーションで世間の度肝を抜きながら、おまけに国家元首に対して政策や外交についてのアドバイザーも果たしつつ、オリンピックや万博などのイベントのプロデューサーとしても一流と評価されている、という状況です。

とてつもない知的生産性の高さです。

レオナルドの「わがままさ」が生産性の理由

レオナルドがここまで高い生産性を発揮できた要因はなんでしょうか?

理由は色々と考えられると思いますで、私が非常に大きな要素として考えるのが、レオナルドの「わがままさ」です。

自分が本当に夢中になってやれる仕事・・・チクセントミハイの言葉を使えば、自分がゾーンに入ってフロー状態になれる仕事しかやらなかった、というのがレオナルドの生産性の高さの一つの要因だというのが、私の仮説です。

生産性と「わがまま」というのは、あまり絡めて語られることのない要件ですが、私はこれからの社会において「わがまま」というのは非常に重要なコンピテンシーになってくると思います。

しかし、特に日本では「わがまま」というのは一般にネガティブな性格特性だと考えられています。むしろ「わがままが社会全般でネガティブに捉えられているからこそ、日本の生産性はどんどん低下している」という言い方もできると思います。

ノーベル文学賞も受賞した作家のヘルマン・ヘッセはその名も「わがままという美徳」というエッセイを書いています。

ひとつの美徳がある。
私が非常に愛している唯一の美徳である。
その名を「わがまま」という。
私たちが書物で読んだり、先生のお説教のなかで聞かされたりするあの非常にたくさんの美徳の中で、わがままほど私が高く評価できるものはほかにない。(中略)
とにかくこのわがままという言葉を文字通りに解釈してみようではないか!
一体「わがまま」とは何を意味するのであろうか?
われのままの心をもつことであろう。

ヘルマン・ヘッセ著、岡田朝雄訳『わがままこそ最高の美徳』草思社、p.116

私もまた同様に、現在の閉塞した日本の状況を改善するためには「わがまま」が必要であり、そのお手本としてレオナルド・ダ・ヴィンチほど適した人はいない、と思うわけです。

仕事の依頼に全く応えない

例を挙げてみましょう。

よく知られているとおり、芸術家としてのレオナルド・ダ・ヴィンチは極端な寡作で、完成作品は10作品程度しかありません。ピカソがおよそ15万点の作品を残したことを思い出せば、その出力はざっくり「一万分の一」ということでしかなく、これはいかにも少ない。

なぜこんなにも完成作品が少なかったのでしょうか?

絵画依頼が少なかったから?いやとんでもない。当時にあってすでに超一流の画家という評価を得ていたレオナルドには、権力者や富豪からの依頼が引きも切りませんでした。

では、なぜ寡作だったのか。そもそも引き受けなかったか、あるいは引き受けても納品しなかったのです。つまり、自分が本当に「面白い!」と思って興味を持てる仕事に取り組むだけで、そう思えない仕事には頑なに逃げ回り、無理やり引き受けさせられた場合は仕事をやり遂げなかった、ということです。

ここに、歴史上最も高い生産性を示した人物の秘密がある、と私は思うのですね。

これはモチベーションに関する問題です。現代的な言い方をすれば、レオナルドは自分がモチベーションを感じられる仕事のみを徹底して追求する一方で、自分が興味・関心を持てない仕事は徹底的に遠ざけたということです。

貴族の依頼も無視

象徴的とも言えるのが、時の富豪でありマントヴァ公妃でもあったイザベラ・デステからの度重なる絵画制作依頼に対するレオナルドの対応です。

イザベラはレオナルドに心酔し「どんなテーマでも構わないので絵を描いて欲しい」と再三にわたって懇願しますが、レオナルドはのらりくらりとこれをかわし、結局はついに逃げ切ってしまいます。

レオナルドが仕事を引き受けてくれるかどうか、気を揉むイザベラに対してレオナルドに近い第三者が書き送った手紙が残っているのですが、その一箇所にこのような記述があります。

先日、レオナルドに会って直接確認することができました。レオナルドはこのところ数学の実験に没頭しています。イザベラ様のご依頼について話を振ってみると、彼は「絵筆など見るのも嫌だ」と言っております。

なんともはや、この手紙を受け取ったイザベラの気持ちはいかばかりであったか。

お金のために働かない

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