#070 顧客志向は本当に顧客「志向」なのか?

このスライドを初めて使ったのは、2019年に上梓した拙著「ニュータイプの時代」だったかと思います。以来、いろんなイベントで用いているのでこの研究室のメンバーの方は見たことがある人が多いかもしれません。

2007年に日本で販売された携帯電話機の主だった機種を並べたものです。もともと、このスライドは「経営におけるアートとサイエンス」に関する問題を考えるために作成したものです。

綿密に市場調査をやって、出てきた結果を統計で分析して、その結果に対して実直に製品を作っていった日本企業はほとんどが撤退に追い込まれた一方で、顧客の声は聞かず、あくまで「自分たちは一体どんな製品を世の中に出したいのか」という問いを突き詰めることで製品を作っていったアップルは、この製品をきっかけにして時価総額世界一の会社になりました。

経営学の知識とスキルを用いて統計に依拠しながら、いわばサイエンスに立脚して製品を作った日本企業と、まるでアーティストのように自己の内面を掘り下げることで製品を作ったアップルとの比較から「経営におけるアートとサイエンス」の問題を考えてみようということです。

あらためて確認しておけば、私は別に経営学もマーケティングも否定するつもりはありません。ただし「経営学やマーケティングと人間の関係」については大きな問題意識を持っています。つまり、重要なのは人間とマーケティングの主従関係で、当時の携帯電話業界のビジネスは「マーケティングという主人が人間を奴隷として使う」という構図になっていたように思います。

関係者のほとんどは「顧客調査を設計して実査を行なって出てきた結果を統計的に分析してそれをチャートにまとめて役員にプレゼンしてOKをもらってスケジュールに間に合うようにデザインして生産して上市する」というマーケティングプロセスを滞りなく前に動かすことに全エネルギーを集中していて「この製品を世に出すことでどういう変化を起こしたいと思っているのか」という問いについに向き合うことができませんでした。こういう関係になってしまうと、結局のところ強いビジネスは作れないですね。

というのが、これまでにいろんなところで述べてきたことの骨子ですが、ここで考えてみたいのが、少し別の論点で、それは

この時の日本企業とアップルで、顧客志向があったのはどっちだと思いますか?

という問題です。いま、この記事を読まれているみなさんはどう思われますか?

おそらく、教科書的に答えるとすれば、顧客の望んでいるものをつぶさに調べ上げて、その通りのものを作っていた日本企業の方が「顧客志向がある」ということになるのじゃないか、と考えると思うのですね。

しかし、本当にそうだろうか、と思うのです。ビジネス用語というのは手垢がつきますね。「顧客志向」という言葉も、言葉本来が持っていた意味が手垢によって曇ってしまっているように思います。なので、こういうビジネス用語は定期的に手垢を洗浄してまっさらな状態で手のひらに乗せてあげることが大事だと思います。

で、このように考えてみると、本来「志向」というのは「望んでいるものを全て与えること」ではないわけですね。広辞苑で「志向」と引いてみると「心が一定の目標に向かって働くこと」とありますから、「顧客志向」をこの定義に当てはめてみれば、「顧客に向かって心を働かせること」となるわけです。

このように考えていくと、定量・定性のマーケティング調査と統計によって顧客のニーズを把握するという行為は、むしろ「顧客に向かって心を働かせる」こととは真逆だということがわかります。要するに「心を働かせること」という面倒臭いことを放棄してデータに頼ろうとしたわけですね。

当時の関係者のやっていたことを人間関係に当てはめて考えてみればよくわかります。

例えばここに「ああ、素敵だなあ」と思える人がいたとして、お近づきになりたいな、と思った時、皆さんならどうしますか?アプローチを二通り考えてみましょう。

アプローチ1
分厚いアンケートを送りつけて好きな料理、好きな音楽、好きなブランド、好きな映画、好きな場所について調査し、その調査結果を精密に分析して好みに合致したデートを企画して誘う

アプローチ2
相手の好みや価値観を想像した上で、自分の知識・経験の中から相手がきっと喜んでくれるだろう、驚いてくれるだろうというデートを企画して誘う

人による、という回答があるかもしれませんが、多くの人は「アプローチ1は気色悪くてもう無理」と言うのではないでしょうか。一方で、もちろんアプローチ2も「外す可能性」はあるわけですが、一定の確率でフィットが合う人は出てくるはずで、そうなると一気に関係性は強まることになります。

このように考えてみると、人間関係においては決してやろうとしないことを、私たちはビジネス上の慣行的な常識として何の疑いも持たずにやっていて、しかも多くの場合、それがうまく機能していないわけです。いったい何をやっているんだろう、と思いますよね。

なぜこういうことが起きるか?ぜひ皆さんにも考えて欲しいのですが、私が考える理由は二つです。

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