#035 読書メモ 大澤真幸「社会学史」1/3

大澤真幸さんの「社会学史」を読了しました。大変に学びや気づきの多かった本なので、メモを共有します。見出しは私のコメント、本文が抜粋になります。あまりにメモが長いので三回に分けて掲載します。

社会学というのは「近代社会の自己意識の一つの表現」と考えられる

  • 社会学の歴史が浅いことには理由があります。たまたま誕生が遅かったわけではないのです。  先取りして、私の言葉でポイントを言えば、社会学は、「近代社会の自己意識の一つの表現」なのです。近代社会というものの特徴は、比喩的な言い方をすれば、「自己意識をもつ社会」です。自分が何であるか、自分はどこへ向かっているのか、自分はどこから来たのか。それが正しい認識かどうかはわかりませんが、近代社会とはこういう自己意識をもつ社会なのです

学問には「直進する学問」と「反復する学問」の二つがある

  • 学問には「直進する学問」「反復する学問」の二種類がある

  • 生物学をやるのに生物学の歴史を知らなくてもいい。もちろん、ダーウィンの進化論とか、いまでも生きている学説は知らなければいけません。しかし、二百年も三百年も前の学説を知らなくても生物学はできます

  • 逆の学問もあります。典型は哲学です。哲学というのは──ジャンルにもよりますし、分析哲学系の人にとってはやや違いますけれど──、基本的には哲学即哲学史なのです。哲学史と哲学が別にあるわけではない。そのような哲学をやった一番典型的な学者はハイデガーです。彼の哲学はすべて哲学史。もっと新しいドゥルーズやデリダにしても、みんな哲学史です。たとえば「スピノザについて論じる」というかたちで、自分の説を語っているわけです

社会学の歴史には三つの山がある

  • 社会学の歴史を振り返ると、大きく三つの山があります。まず、十九世紀の誕生前後に一つ。次に、十九世紀から二十世紀への世紀転換期、第一次世界大戦の直前ぐらいに大きな山があります。それから最後の山が、第二次大戦後、特に一九六〇年代以降の現在にまで至る流れです。その三つの山の中でも一番華々しく、最も目立つのは二番目の山です。この時期に活躍した社会学者たちが、クオリティにおいても量的にも最も優れています

ハイデガーは近世以降で最も偉大な哲学者

  • ハイデガー(Martin Heidegger,一八八九─一九七六) などが出てくるのが第一次世界大戦と第二次世界大戦のちょうど中間ぐらい。その後にもたくさんの哲学者が出てきたし、読まれてもいるけれど、二百年ぐらいの距離を置いてみれば、ハイデガーより偉大な人は出ていないと思います

マックス・ヴェーバーはうつ病の時期に最も優れた仕事を残した

  • マックス・ヴェーバーは一八六四年に生まれました。彼は一八九七年、三十三歳の夏の終わりに、急に重い鬱病(神経症) を発症しました

  • この年は、ヴェーバーにとっては人生の絶頂期になりかけていた時期でもありました。というのも、その年の春にハイデルベルク大学に就職しました。ヨーロッパの名門大学です

  • ついに一八九九年から一九〇〇年にかけての冬学期に、ヴェーバーは大学に辞表を出します。しかし、ヴェーバーは優秀でしたし、看板教授でしたから、大学側も最初は慰留しました。しかし、だんだん病気が重くなっていって、一九〇三年、大学のほうもあきらめた。ヴェーバーは、三十九歳のとき、大学を退職します。名目上のポジションは持っていましたが、給料も出ませんでした

  • よく知られている『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、一九〇四年の夏から一九〇五年にかけて書かれた、一番記念碑的な大業績です。あるいはその直前に、これも非常に重要な論文ですが、『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』という長ったらしい題の、ふつう「客観性論文」と言われている論文があります。これは一九〇四年の春に書かれている。  彼はなぜか、鬱病が一番重い時期に、最も重要な著作を書いているのです

ヴェーバーと同じような病気になった人が当時は沢山いた

  • ヴェーバーの病気について私が気にしておきたい二つ目の理由は、この病は──もちろんヴェーバーの生活史の中で起きていることですが──よく見ると個人的な問題ではない、ということにあります。  問題は、十九世紀の終わりから二十世紀初頭という時期です。この時期は、ヨーロッパやアメリカで、多くの芸術家や知性が同じような症状に苦しんでいます。つまり、これは「憂鬱の時代」なのです

当時のインテリは台頭する大衆にみんな絶望した

  • あるいはイプセン。彼は、最初は虐げられた人たちのための作品を書いていますが、やがて低俗な大衆に嫌気がさし、失望する。マラルメもいます。彼は理想を追求することの不可能性の認識から、いまで言えば心身症とでも診断されるような症状をともなう虚無主義に陥る。他にもいくらでも例を挙げることができますが、もう一人だけ、憂鬱の群像の例を挙げれば、やはり『パリの憂鬱』のボードレール

  • たとえば、ヴェーバーより年上で、『ボヴァリー夫人』を書いたフロベール。この人は鬱病や 癲癇 があったことでよく知られています。あるいは、『トム・ソーヤーの冒険』のマーク・トウェイン。彼は明るい小説、冒険譚で有名ですが、晩年は、人間憎悪の塊のようなものを書くようになっています。

  • とにかく、十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけて、時代の感情の色が鬱なのです。「鬱の時代」と言っていい。もちろんヴェーバーが病気になったことには個人的な理由があるのですが、少し広い目で見ると、時代の現象なのです。この時代はどういうわけか、ある種の感受性や知性をもっている人が、憂鬱になりやすい時代だった

ヴェーバーの症状はウソ!?というくらいにフロイトの典型的症状だった

  • それで結論的に言うと、ヴェーバーの神経症は、精神分析の教科書に載せてもいいのではないかと思うほど、典型的なフロイト的症状なのです。つまり、エディプス・コンプレックスの典型例です。こんなにうまくはまっていいの? というぐらい極端な典型例なのです

  • ヴェーバーは三十代で重い鬱になってしまった。それに関して、まず、彼の本当の意味での社会学者としての仕事は、鬱の中でこそ書かれている、と言える。同時にその鬱は、ふつうの伝記にはヴェーバーはたまたまそういうことになってしまったと書いてあるけれど、時代のコンテキストに置いてみると、それ自体を社会現象として見ることができます

  • 鬱をつくり出しているのはもちろん社会学だけではありません。鬱をつくっている何らかの社会的な要因がある。その要因と、社会学的知性が真に成熟することとは、実は同じ根を持っている可能性がある

目の前の現実を「あり得ないことが起きてる」と考えながら眺めるのが社会学の感覚・・・これはイノベーションを起こす上で重要な感覚

  • しかし、「現に起きていることが、現に起きているのに、どこかありそうもない」という感覚がないといけない。「なぜこんなことが起きてしまったのか」と。現に起きているわけだから、そのこと自体は否定しようもないのですが、その起きているものについて、何かありそうもないという不確実性の感覚をもたないと、社会学にはならないのです

  • と、「○○はいかにして可能か」という問題が出てくるときには、「現にそれがあるのに、それが奇跡的に見える」ということが重要です。それが説明を要さない自明のものに見えてしまったら、探究の対象にはなりません。現にある(あるいはすでにあってしまった)社会秩序なのに、それがあることが不確実だったように見える。そういう感覚を社会学では、重要な用語として「偶有性(contingency)」と言います

  • 偶有性についてはいずれまた説明しますけれども、「必然的ではない」という、必然性の否定であるのと同時に、可能であること、つまり不可能性の否定です。偶有性とは、必然ではないが、不可能ではないこと、です。現にあるけれども、必然には見えないことは偶有的です。だから、「他でもあり得たのに」という感覚があるのが、偶有性のポイントです

「社会」と「政治」の対立

  • しかし、「politikon」を政治的であると同時に社会的と訳したことに関して、二十世紀の有名な学者が怒っているんですね。誰かと言うと、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt,一九〇六─一九七五) です。この言葉は本来、ギリシア語では「政治的」だったのに、ラテン語で「社会的」と訳された。それで、「政治的」という言葉がもっている重要な含みが失われてしまったと、アーレントは怒って彼女は「社会」という言葉と「政治」という言葉を非常に厳密に使い分けていて、ほとんど対立的な意味で使っていますから、腹を立てるのもわからなくもない

アリストテレスの学問はすべて目的論の体裁をとってる

  • アリストテレスの学問は、どの分野に関しても、必ず一種の目的論の構造をもっています。どういうことかというと、最も望ましい状態、究極的なゴールみたいなものが必ず設定されるのです。終極状態というのは、いま説明の対象となっているその事態の本質を十全に成就しているということです。そのゴールとの関係で、さまざまな事態がどの程度、本質を実現しているのか、どのくらい望ましいかと位置づけられる。終極状態との間の距離が測られているのです

  • 場合、自然法(神の法) がまず自明の前提として、社会にある。ですから、その法に従って人間は生きるはずです。ということは、「社会秩序はいかにして可能か」という問いに思い煩う必要がないのです。  ですから、古代や中世においては、社会秩序についての問いは、原理的に封じられています。自然法を前提にしたとたんに、その問い自体が消えるのです

護神論は背理法で良い。いわゆる「パスカルの賭け」

  • パスカルは敬虔なクリスチャンです。ジャンセニスムという、一番プロテスタントっぽいカトリックです。ご存じのように、学問的にもいろんな業績を残しています。デカルトの同時代人であり、ライバルです。デカルトの書いていることは神に対して 冒瀆的だと、パスカルは何度も怒っている

  • そのパスカルに、「パスカルの賭け」という有名な思考実験があります。  神を信仰していない人に対して、どうやって信仰させるか。ふつう西洋の知の常道では、神の存在証明をやるわけです。神の存在が真理であることを証明して、無神論者を信仰に導く。トマス・アクィナスなども一生懸命、神が存在していることは確実だという証明を与えようとしている。でも、パスカルは存在証明なんてしません。別の手を使う。それが「パスカルの賭け」という一種のゲームです

  • 「パスカルの賭け」で何を賭けるかというと、神がいるかいないか、です。おそらく当時の人にとっては「いる」と仮定して生きるのと、「いない」と仮定して生きるのでは、ずいぶんと違ったのでしょう。で、どっちに賭けるのが得かを考えるようにパスカルは誘う。  神は「いる」と思っていても、「実はいない」という可能性もあります。「いる」と思っていて、「やっぱりいた」ということもありえます。クリスチャンだから、それは最後の審判の日にわかる、ということになるのでしょう。最後の審判の日まで神には会えそうもない中で、いるほうに賭けるか、いないほうに賭けるか。さあどっちにするか

  • つまり、この賭けは「神がいる」のほうに賭けておけば絶対に負けずにすむ──これがパスカルの言っていることです。  これとグロティウスの言っていることは、実は同じです。つまり、「神はいないかもしれないけど、いるほうに賭けなさい」というのは、神は実際にいないとしても、人間が「神はいる」と仮定して生きている以上は、実際問題としては「いる」に等しい、ということですから。グロティウスもこの線で解釈すべきなのです

ホッブズは「万人は平等」という画期的な前提を置いた

  • 本当のブレイクスルーは、グロティウスよりも少し後に訪れました。それをもたらしたのは、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes,一五八八─一六七九) という人です

  • この論理のどこが画期的だったかというと、まず、スタート地点において人間がみんな平等であるということから始まっていることです。自然権はすべての人に平等に所属しているわけです。これは、アリストテレスなどと違うところです。アリストテレスは人間に序列があることを前提にしていました。きちんとした友愛で生きられる人と、真の友愛は獲得できない奴隷のような人とか、分けて考えた。だから、社会システムがヒエラルキー的に序列化されていることがアリストテレスの理論の前提だったのです。  しかし、ホッブズは違って、人々の平等を前提にしました

  • もちろん、ホッブズの時代は絶対王政ですから、実際には王もいれば貴族もいます。しかし、論理の上では平等を起点において考えている。ここが重要です

  • ハンナ・アーレントは、ホッブズの理論はブルジョワジーに適合的な最初の理論だと言っています。ホッブズが、論理の端緒の前提の中で、身分制的な序列をラディカルに解除しているからです。アーレントは、十九世紀に本格的に登場するブルジョワジーのイデオロギーの中核部分が、ホッブズに先取りされている、と考えたのです

  • 二十世紀に入ったところで触れることになるタルコット・パーソンズ(Talcott Parsons,一九〇二─一九七九) は、戦前と戦後を結ぶ社会学者として非常に重要な人です。そのパーソンズは、社会学における、「社会秩序はいかにして可能か」という問題に、「ホッブズ問題」という名前を与えました。それくらい、ホッブズの議論の中には社会学的な問題への重要な一歩があるのです

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