いま、なぜ「人生の経営戦略」なのか?

年内の上梓に向けて、いま「人生の経営戦略」をテーマにした本を書いています。すでに何度か、このNOTEでも書きかけの原稿を公開してフィードバックをいただいていますが、今回は執筆の理由、つまり「私がなぜこのタイミングで”人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー”について書こうと思ったのか、その理由の一つについて説明したいと思います。

端的に言えば、それは「私たちが、かつてない難しい時代を生きているから」ということになります。

私たちは、近世が始まって以来、かつて人類が経験したことのない低成長時代を生きています。グラフを確認してもらえばすぐにわかる通り、先進国の経済成長率はここ50年、低下の一途を辿っており、2010年代を通じての経済成長率は1%前後となっています。ちなみに同じ時期の日本の経済成長率は事実上のゼロでした。

先進七カ国の経済成長率の推移(出所:世銀データをもとに山口作成)

私たちの社会の制度や仕組みは「社会が成長し続けること」を基本的な前提としていますから、「低成長の社会」あるいは「ゼロ成長の社会」では、それらの制度や仕組みが、実際の社会のあり方と大きな歪みを生み出すことになります。

この歪みを修正するためには、

  • 社会を再びかつてのような高成長社会に戻す

  • ゼロ成長社会に合わせた形で制度や仕組みを再構築する

の二つのアプローチしかありません。

私個人の意見を言わせてもらえば、すでに前著「ビジネスの未来」でも指摘した通り、この問題を解決するには後者のアプローチを採用するしかないと考えていますが、残念ながらこの考え方はどうもマイノリティのようで、現在の日本では前者のアプローチを目指そうという考え方が、特に大企業や政府の上層部において主流派を成しています。

そして実際に、彼らのイニシアチブによって、アベノミクスをはじめとしたさまざまな取り組みがここ20年にわたって行われているわけですが、皆様もご存知の通り、これらの取り組みはさしたる成果を残すことなく、さらに言えば結果検証されることもなく、うやむやのままにされています。

その結果が次のグラフのとおりです。 

日本の経済成長率の推移

この図は、高度経済成長期以来の日本の経済成長率の推移を表しています。

一瞥してお分かりの通り、ここ20年の日本の経済成長率は平均1%を切る水準で推移しています。一方で、年功序列・終身雇用・新卒一括採用といった、日本社会に特有の雇用慣行・労働慣行が出来上がったのは、平均成長率が9%を上回っていた高度経済成長期のことで、バブル崩壊に至る直前の10年でも平均成長率は5%を超えていました。しかし、このような時代はもう二度とやってこないと思っていた方がいいでしょう。

フランスの経済学者、トマ・ピケティが、世界的なベストセラーとなった著書「21世紀の資本」において指摘している忠告は、人生の経営戦略を考える上で大前提の認識になると思います。

重要な点は、世界の技術的な最前線にいる国で、一人当たり算出成長率が長期に渡り年率1.5パーセントを上回った国の歴史的事例はひとつもない、ということだ。過去数十年を見ると、最富裕国の成長率はもっと低くなっている。1990年から2012年にかけて、一人当たり産出は西欧では1.6パーセント、北米では1.4%、日本では0.7パーセントの成長率だった。このさき議論を進めるにあたり、この現実をぜひとも念頭においてほしい。多くの人は、成長というのは最低でも年3〜4パーセントであるべきだと思っているからだ。すでに述べた通り、歴史的にも論理的にも、これは幻想に過ぎない。

トマ・ピケティ「21世紀の資本論」

 私たち人間は、直前に経験したことがどんなに特異なことであっても、あたかもそれが当たり前の状態のように考えてしまう認知的な歪み、いわゆる「直近バイアス」を持っています。

だからこそ、私たちは1960年代から1980年代にかけて経験した経済成長率を、あたかも「回復されるべき基準点」のように考えてしまうわけですが、自分の人生の戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーを考えるに当たっては、まず「あのような時代は二度とやってこない」と考えることが必要です。 

選択の巧拙がもたらす格差の拡大

しかしでは、具体的に「低成長社会」「ゼロ成長社会」の到来は、私たちの人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーに、どのような影響を与えるのでしょうか?

様々な影響が考えられますが、最も重要な点をここで頭出しをしておけば、それは 

選択の巧拙によって人生が大きく変わる社会がやってきた

 ということに尽きると思います。

なぜなら「ゼロ成長社会」では、ランダムに自分の居場所を選択しているかぎり、その居場所の成長率の期待値もゼロになるからです。

ここで、もしかしたら「成長の期待値がゼロになるのなら、むしろ選択の巧拙は関係なくなるのではないか」と考えた人もいるかもしれません。ここはよく誤解されているのですが「ゼロ成長社会」とは「すべての場所の成長がゼロになる社会」ではありません。

「ゼロ成長社会」にも、成長している場所、発展している場所もあれば、衰退している場所、停滞している場所もあります。それら全てを足し合わせて平均がゼロになるのが「ゼロ成長社会」です。「ゼロ成長社会」では「成長・発展している場所」と「停滞・衰退している場所」とがまだら模様になるのです。

このような社会では、当然ながら、個人の「居場所についての選択」が人生に大きな影響を及ぼすことになります。かつての高度経済成長期、あるいはバブル期のように平均成長率の高かった時代であれば、社会は「とても成長率の高い場所」と「まあまあ成長率の高い場所」のまだら模様でしたから、ランダムに選んだとしても、その結果がもたらす人生への影響はさほど大きなものではありませんでした。

付言すれば、そのような社会だったからこそ、新卒一括採用といった、世界にも例を見ない奇怪な制度が世の中に根付いたということもできるでしょう。

新卒一括採用というのは、言うなれば「候補者に考える時間を与えない仕組み」です[1]。どの組織がいいのか?どの産業がいいのか?をじっくり考えるには相応の知識と時間が必要になります。そのような知識を持たない学生に、時間を与えず「とにかく卒業までに就職先を決めなければならない」「そこに間に合わなければ落伍する」という社会規範を形成することで、選ばれる側の企業は厳しい評価の目線に晒されることなく、さしたる理由もなく、なかばランダムに応募してきた学生から、自社にフィットしそうな人材を選ぶことができます。

応募する側の学生も、世の中全体が発展・成長している限りにおいては、ランダムに選択した企業の成長の期待値はプラスになりますから、とにかく「ご縁のあった会社に入って、そこで一生懸命に働こう」ということで良かったわけです。

しかし、こうやってあらためて書いてみるとよくわかるのですが、就職活動でよく使われる、この「ご縁」という言葉は言い得て妙ですね。ランダム、つまり「偶然」によって決まったものを、あたかも「必然」のように捉え直したい、そこに何らかの意味があるのだと思いたい、という心情がよく現れているように思います。

閑話休題。ところが、前述した通り、現在の世の中は「ゼロ成長社会」となっており、発展・成長している場所と停滞・衰退している場所がまだらの状態になっています。このような状況の変化が起きているにも関わらず、就職活動のあり方も、職業を選ぶ上でのマインドセットも、大きな変化が起きていないのです。

しかし、さしたる情報も考察もなく、自分がいる場所をランダムに選んでいれば、どのようなことが起きるかは火を見るより明らかでしょう。

20代が人生を決める

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