#063 イノベーションのボトルネックは「目利き」にある

イノベーションに関する議論を経営者とさせていただくと、よく「なかなか良いアイデアが社内から出てこないんだよ」という嘆き節が聞かれます。僕はそれを聴くたびに「すごい自信だよなあ」と思うわけです。というのも、このような嘆きを吐くということは、つまり「イノベーションにつながるアイデアがもしあれば、自分はそれを見抜くことができる」という傲慢な前提を置いている、ということですから。

しかし、実際のところはどうか。過去のイノベーションに関する研究からは、イノベーティブなアイデアの目利きは非常に難しい・・・というより「ほぼ不可能」だということがわかっています。

例えば、一橋大学イノベーション研究センターによる研究では、最終的に成功したイノベーションが社内で最初に提案された時、積極的に評価されて経営資源が動員されたケースは全体の一割未満、消極的に評価されてある程度の資源が動員がされたケースが二割程度、残りの七割は積極的に否定され、当初は資源は動員されなかったことがわかっています。

あるいは、シリコンバレーにおける投資判断の歴史を紐解いても、たとえばGoogleはファーストラウンドの資金調達に際して三百回以上ベンチャーキャピタルから投資を断られています。シリコンバレーの投資家といえば「アイデアの目利きのプロ」ですが、そのような彼らからしても、大きな富を生み出すイノベーティブなアイデアの目利きは難しいのです。

このような事実を踏まえると、イノベーションのボトルネックは、よく言われる「アイデアの不足」にあるのではなく、「アイデアの目利き」にあるのだということが洞察されます。

ハーヴァード・ビジネス・レビューからの引用を引きます。

イノベーションへの取り組みを強化しようとすると、ほとんどの組織は常に同じ想定から始めようとします。それは「より多くのアイデアが必要だ」という前提です。彼らは、実現可能な新製品やビジネスになり得るアイデアを見つけるために「デザイン思考」あるいは「ブルーオーシャン」について話し始めます。しかし、殆どの組織では、イノベーションはアイデアの欠如によって停滞しているのではなく、すでに組織内に存在している優れたアイデアに気付くことができないことで停滞しています。つまり、これは「アイデアの問題」ではありません。これは「認識の問題」です。

“Innovation isn’t an idea problem”, David Burkus, Harvard Business Review, 2013/Jul/23.

イノベーションの目利きは非常に難しい。過去の歴史もまたそれを示しています。いくつかのイノベーションの事例は、それらが発案された時、それがのちの市場においてどのように評価されるかを想像することは、ひっくり返るほどに難しいのだということを私たちに教えてくれます。

例えば蓄音機。今日の音楽産業の礎となった蓄音器を発明したのはトーマス・エジソン[1]ですが、エジソンは、蓄音器の用途を以下の様に想定していました。

  1. 速記者を必要としないで手紙を書く、または口述筆記する

  2. 目の不自由な人のための音の本にする

  3. 話し方の教育に用いる

  4. 音楽を録音、再生する

  5. 家族の記録として、家庭の肉声や遺言を録音する

  6. オルゴールや玩具にする

  7. 帰宅時間や食事時間を教える事が出来る

  8. 発音を正確に録音するので保存出来る

  9. 教師の講義を録音し、ノート代わりとして単語の記憶用として使う

  10. 電話機を組み合わせ、通話を永久保存する

・・・・確かに「音楽の録音、再生」は四つ目の機能として挙げられていますが、どうにも利用使途がはっきりしません。この軸足の定まらないリストから容易に想像される通り、エジソン自身はこの蓄音器という発明品をどのようにして商業化するかについてかなり困惑していた様で、結局、エジソンは蓄音器を発明したものの、その直後に開発したずっと儲かりそうなアイデア=白熱電球に関心を集中させ、蓄音器はほっぽらかしにされています。

エジソンの天才性は、発明のアイデアを生み出す事よりも、そのアイデアを商業的な価値を生み出す仕組み、今風に言う「ビジネスモデル」を構築することにこそ発揮された、というのが後世の多くの歴史家の評価ですが、その「商業化の天才」であるエジソンですら、蓄音器の持っているビッグバン的な商業価値を見抜くことは出来なかったのです。

「電話」の可能性を見抜けなかったウェスタンユニオン社

蓄音器の発明にまつわる上記のエピソードは、巨大な富を生み出す事になるイノベーションの芽を見せられても、その可能性を見極めるのは極めて難しいということを示唆しています。これと同様の事例が、よく知られている電話機発明に関するエピソードでしょう。

電話を発明したのはアレクサンダー・グラハム・ベル[2]ですが、彼はやっと開発に成功した電話機の特許を、すぐに他者に売却しようとしてしまいます。ベルは電話の発明者として歴史にその名を残しているわけですが、もともと通信事業そのものにはあまり関心を持っていなかったのです。彼が終生のテーマにしていたのは「聾(ろう)教育」でした。ベルの母と妻が難聴者だったことは余り知られていません。彼は、愛する人に対してコミュニケーションの豊かさを教えることに人生を捧げた人だったのです。ちなみに”奇跡の人=ヘレン・ケラー”とその家庭教師、サリバン先生の物語は大変有名ですが、ヘレン・ケラーの父親にサリバン先生を斡旋したのもベルでした。当時のベルは「電話の発明者」としてよりも「聾教育の大家」として名が知られていたのです。電話を発明した当時のベルの肩書は、「ボストン大学音声生理学教授」というものでした。

ベルは大学で鉄の薄板を人工鼓膜として活用することで難聴を治癒するという研究に打ち込んでおり、これが電話機に振動板を用いるというアイデアにつながっていくことになったのです(この点は、異分野の知がイノベーションの源泉となるという現象の一つの事例でもあります)。

要するに、通信事業そのものにはあまり興味がなかったということで、ベルは、当時アメリカ最大の電信会社であったウェスタンユニオン社に、自分が発明した電話機の特許を10万ドルで売却しようとします。しかし、なんとウェスタンユニオン社はこの申し出を断ってしまうのです。ウェスタンユニオンは、ベルの申し出に対して以下の様な返答をよこしています。

貴殿の提案した電話機について、慎重なる検討を重ねた結果、この機器が電報を代替して通信手段になりうる可能性は全くないという判断に至りました。

ベルの提案に対するウェスタン・ユニオン社の返答

ウェスタンユニオンがベルに対してこの返事をしてから、たった5年の間に電話機は全米に5万台普及し、20年後にはそれが500万台にまで普及します。同じ期間に、ベルが、ウェスタンユニオンに断られたために仕方なく自ら設立したAT&T社は、当のウェスタンユニオン社を追いぬいて全米で最も大きな会社に成長し、ベルの申し出を断った全ての電報会社のことごとくを子会社として買収することになります。

繰り返しますよ。ベルから特許売却の打診を受けた当時のウェスタンユニオンは全米でもっとも規模の大きい通信会社でした。当然ながら数多くのエンジニアや訓練された経営管理者を擁していたはずです。その彼らが、「慎重なる検討を重ねた結果」として、「遠く離れている人と話すことを可能にする」という、感情に訴えかける様なとてもわかりやすい便益を提供するイノベーションの可能性を理解できなかったのです。

音声付映画の可能性を見極められなかった映画会社社長

あるいはトーキー(音声付映画)の例も同様です。ご存知の通り、ルミエール兄弟が最初に映画を発明してからしばらくの間、映画は「音声なし」のフォーマット、いわゆるサイレント映画が主流でした。当時は技術が未成熟で音声フィルムと映像フィルムをシンクロさせられなかったのです。音声のない映画を観るためにわざわざお金を払って映画館に行く、というのは今の我々からはなんとも想像しにくい状況ですが、このサイレント映画に1920年代当時の人々は熱狂したんですね。

そして数多くの芸術が、その技術的制約ゆえに表現を洗練させたように、映画の世界においても「音声が伝わらない」というハンディを逆手にとって、むしろそれだからこそ可能な表現を用いた傑作映画が多数作られることになります。代表的なのはチャプリン[3]の一連の作品でしょう。チャプリンは、技術的にはトーキー(音声付映画)が十分可能になった1930年代以降もサイレントに拘り続けました。

映画の世界にトーキーというイノベーションが登場したのは1927年のことです。このアイデアは最初に当時のワーナーブラザース社長であったハリーワーナーに持ち込まれています。しかし、ここまで読まれた読者はもう想像できるでしょう。そう、なんとワーナーはこの申し出を断ってしまうのです。ハリーワーナーは「世界に、俳優の声を聴きたいという人がいるとはどうしても思えない」というコメントをこの時に残しています。「音が出る」という便益は、「映画は無声」という別の常識が支配していた時代には、極めて理解しにくいものだったのです。 

ここまで蓄音機=自宅で音楽を聴く、電話=遠く離れた人と話す、トーキー=映画に音声を与える、という極めて価値のわかりやすいイノベーションを取り上げ、それらのイノベーションが当初は全く評価されなかったという事例をご紹介してきました。つまり、イノベーションの可能性に関する評価は、そのイノベーションがもたらすインパクトが大きければ大きいほど見抜きにくい、という特性を持っているということです。

ポイントは「多人数で目利きする」こと

ここで「ネットワーク密度」がポイントになってきます。イノベーションがもたらすインパクトを正確に見越す事は非常に難しい。従って、一人による単視眼的な見方では、イノベーションの可能性を見過ごしてしまう可能性があります。下図の様なネットワークの密度が低く、思いついたアイデアをただ一人の上司が評価するという組織の場合、この上司がNOを出したイノベーションの種はそれで葬り去られてしまうことになります。

ネットワーク密度の低い組織

一方、下図の様なネットワーク密度が高く、部門を超えて同僚や管理職に働きかけられる組織では、直属上司が例えNGを出しても、他部門の誰かがそれを拾う可能性がまだあります。

ネットワーク密度の高い組織 

例えば、有名な3M社のポストイットの開発では、商業的ポテンシャルに否定的だった直属上司は開発にストップをかけたものの、他部門の部門長がポストイットの可能性を見抜いて商品化していますし、花王のアタックは、やはり洗剤事業部の部長はNOを出したものの、当時の丸田社長がアタックの可能性にかけてゴーサインを出したことでイノベーションが実現しています。

また今やファミリーカーの代名詞になりつつあるミニバンも、もともとはクライスラーで何度も否決された商品アイデアでしたが、技術者が転職したことで初めてゴーサインが出て開発に至っています。イノベーションの可能性を見極めるのは非常に難しい。だからこそ、複眼的・多面的な検証が欠かせないということですが、ネットワーク密度の低い組織ではそれが難しいのです。

イノベーションは「拾う神」によって実現される

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