#036 僕らの武器「オピニオン」と「エグジット」を用いて社会を変えよう

大きな組織の要職にあるわけではない、僕たちのような「リトル・ピープル」(©︎宇野常寛さん)は、時に「自分達に社会を変える力などない」と考えてしまいがちです。しかし、そんなことはありません。実は、私たちは社会を変える武器として「オピニオン」と「エグジット」を持っている。それをあらためて確認しましょう。

これまで、組織やコミュニティにおける重大な意思決定は、その組織やコミュニティにおいて「もっとも経験豊富な人々」によって担われることが通例でした。しかし、昨今のように環境変化が急速に起きる社会では、必ず「経験の無不良資産化」が起きますから、この「経験豊富な年長者による意思決定」という慣例は、必ずしも組織の意思決定の品質を担保することにはなりません。

いや、むしろ、組織の意思決定の品質を壊滅的に毀損する可能性があります。特に昨今では、美意識も倫理観も持たない年長者=劣化したオールドタイプが権力を握ってしまったことで暴走に歯止めがかからない、という状況が様々な組織で起きています。当然のことながら、このような年長者に自分が所属する組織の舵取りを任せておけば、自分の人生そのものが危機にさらされることになります。ではどのようにすればよいでしょうか?

ここでカギになってくるのが、組織の中層以下にいる人たちによる「オピニオン」と「エグジット」です。社会や組織で実権を握っている権力者に対して是正の圧力をかける時、この「オピニオン」と「エグジット」が大きな武器となります。

オピニオンというのは、おかしいと思うことについてはおかしいと意見をするということであり、エグジットというのは、聞き分けのないオールドタイプの権力者の下から脱出する、ということです。このように指摘すると何やら不穏に響くかもしれませんが、これはなにも珍しいことではなく、多くの人が日常生活の中でやっていることです。

たとえば商品を購入して何か問題があれば、クレームという形でオピニオンを出しますし、それでも改まらなければ買うのを止める、取引関係を中止するという形でエグジットをしますね。これは株主にしても同様で、経営陣のやり方に文句があれば株主総会で意見を言い、それでも改まらなければ株式を売却することでエグジットできます。

つまり、企業を取り巻くステークホルダーのうち、顧客と株主については、オピニオンとエグジットを行使するための仕組みや法律がきちんと整備されているということです。なぜこれが整備されているかというと、きちんと監視してフィードバックするという仕組みがうまく機能しないと、社会が回らないからです。

さて、顧客や株主についてはオピニオンを出し、場合によってはエグジットするということが仕組みとして担保されている一方で、そういった仕組みが整備されていないのが従業員だということになります。

もちろん、明示的に「オピニオンを出してはいけない」などと掲げている組織はないわけですが、実際のところはどうかといえば「オピニオンを歓迎しない」ということを半ば公然と表明しているリーダーも少なくありませし、あるいは実際にオピニオンを出した人がその後、人事面で不遇な扱いを受けることで、間接的にそのようなメッセージを伝えているケースもよく見られます。

このようなリーダーに対して同調し、権力のおこぼれにあずかろうとする人も少なくないわけですが、そのような人々が一定数を占めるようになると、組織のモラルは崩壊し、やがては壊滅的なコンプライアンス違反を犯して社会に居場所を失うことになるでしょう。

オピニオンとエグジットを用いる

この状況に対して、リトル・ピープルがとりうる対抗策が二つあります。一つが「オピニオン=自分の意見を出す」ということ。そしてもう一つが「エグジット=その組織から脱出する」ということです。

確かに、このような行動様式は、本人に一時的な不利益をもたらす可能性があります。だからこそ、多くの人はこのようなアクションを起こさずにつつながなく過ごすことを選ぶわけですが、中長期的にみれば利益の方がずっと大きい。キャリアは非常に長い時間にわたるゲームであることを忘れてはなりません。

たとえば、自分が所属している組織が自分の価値観に照らして許容できないことをやろうとしているというとき、本人は大きなストレスを抱えることになります。このストレスを解消するためには基本的に、組織に変わってもらうか、自分を変えるしかありません。

このとき、多くの人は「自分を変える」というオプションをとってしまうわけですが、そんなことをし続けていればやがて思考力は衰退し、倫理感は麻痺し、最終的には自分自身も自分自身のキャリアもダメにしてしまうことになります。

昨今の日本において頻発している不祥事や偽装は、このような「人格を崩壊させた人達」によって主導されているわけですが、彼らの職業人生とその末路を想えば「哀れ」としか言いようがありません。人格を崩壊させてまで組織にしがみついてキャリアを全うしたとして、そのような職業人生が幸福なものだったと考える人は世界に一人もいないでしょう。短期的な利益のためにオピニオンもエグジットも封じてきた彼らは、最終的に「取り返しのつかない」状況に自分の人生を追い込んでしまったということです。

自分が所属するシステムが機能不全に陥れば、自分の身もまた安泰ではいられません。つまり、オピニオンとエグジットという圧力をかけてシステムに対してストレスを与えるのは、とりもなおさず、自分自身の利得に最終的には跳ね返ってくる、ということです。

システムを健全に機能・発展させるには適時・適切なフィードバックが不可欠です。スリーマイル島原発事故では、複合的・連鎖的に進展する事故の状況に対して、情報を処理するコンピューターの処理能力が間に合わず、適時・適切なフィードバックが不可能になったことで、最終的にメルトダウンという事態にまで発展してしまいました。

人間もまた、環境から得た情報を処理して環境に働きかけるというシステムだと考えられますから、このシステムのパフォーマンスを向上させるためには、より良いフィードバックが非常に重要だということになります。そして、オピニオンやエグジットというのは、もっともわかりやすく、有効なフィードバックだということです。

しかし、残念ながら日本ではこのフィードバックがあまり用いられていません。オピニオンという点に関しては、上司に強く反論したり、意見したりすれば「空気を読めないヤツだ」というレッテルを張られてしまい、組織の中で評価されません。あるいはエグジットという点に関しては、昨今では転職が一般化しつつあるものの、各種の統計を見る限り、日本の労働市場の流動性はまだまだ低い水準にあります。

昨今では、いい歳をしたオトナが子供じみた不祥事を次々に起こして世間を騒がしていますが、このような事件を主導しているオールドタイプを生み出す要因になっているのが、この「オピニオン」と「エグジット」の欠如だということを忘れてはなりません。

つまり、ああいった人物が継続的に生み出されている問題の背景には、中堅以下のオールドタイプがオピニオンもエグジットも行使しないためにフィードバックが機能していない、という問題が横たわっているわけです。

小さなオピニオンでも社会を変えられる

さて、ここまで読まれた読者の方のなかには、発言力も影響力も持たない自分のような立場にある人間がオピニオンを出したところで何も状況は変わらないよ、と思ったかも知れません。オピニオンを出して組織や社会を変革できるのは、すでにリーダーシップを発揮する立場にある経営者や政治家であって、自分にそんなことができるわけがないという考え方、つまり「世界を変えるのは大きなパワーだ」という考え方です。しかし、このような考え方は、二つの点から完全に間違っています。順に説明しましょう。

まず一点目の理由として指摘したいのは、過去の歴史を振り返る限り、世界が良い方向に大きく変わるきっかけとなったのは、意外にも「小さなパワーの集積」であることが少なくないからです。例えば米国の公民権運動のきっかけになったのは、たった一人の若い黒人女性=ローザ・パークスが、バスの白人優先席を空ける様に命じられた際、これを断って投獄されたという小さな事件、いわゆる「バス・ボイコット事件」がきっかけになっています。

ローザは当時工場に勤める女工さんで別に公民権運動の活動家だったわけでははありません。この事件も、別に革命を起こそうとか運動を主導しようといった意図があったわけではなく、ただ単に「白人用の席から立てと言われた時に理不尽だと感じたから」で、革命指導者として運動を先導しようなどと考えていたわけではありません。

つまり、ここで発揮されているのはごくごく小さなリーダーシップでしかないということです。しかし、その小さなオピニオンがきっかけとなって、やがて世界の歴史そのものを変えていく様な大きなうねりになって全米の運動につながっていくことになります。

サイエンスライターのマーク・ブキャナンは、著書「歴史は「べき乗則」で動く」の中で第一次大戦勃発の原因となったオーストリア皇太子の暗殺が、皇太子を乗せた自動車の運転手の道間違いによって発生しているという事例を取りあげて、歴史というのはパワーを持つ権力者による「大きな意思決定」よりも、どこかで毎日行われているようなちょっとした行為や発言がきっかけになって大きく流れを変えるという、カオス理論で言及されるところのバタフライ効果について論じています。

このローザ・パークスの話は、もしかしたら、私たち個人が持っている道徳観や価値観に基づいたオピニオンやエグジットが、百年後の世界のあり様を「それがなかった時」とは大きく変えることになるかも知れないということを示唆しています。 

小さなパワーを集めやすい時代

次に「世の中を良い方向に変化させるのは大きなパワーだ」という考え方が、完全に間違っていると指摘する二つ目の理由として挙げなければならいのが、今日、先述したローザ・パークスが発揮したような「小さなリーダーシップ」を集積するためのツールがどんどん整備されつつあるからです。

それをまざまざと感じさせてくれたのが、一連の「Me Too」ムーブメントでした。簡単におさらいすれば、ミートゥームーブメントとは、性的な被害を受けたにも関わらず、仕方なく泣き寝入りしていた女性たちによる「私も被害を受けた」という全世界的な告発のムーブメントです。

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