見出し画像

なぜなぜ誤解

ミロコンカチ。

上記のことばを聞いたことある人はいるだろうか。わかった人がいたら本当にすごい。

 正解はザブングルの「みろやこの筋肉、カッチカチやぞ。」を略しただけである。Googleで検索してもヒットしない。なぜなら、私がいま適当に言葉を考えただけであるからだ。

 社会人になると、なにかしら意味のある行動を常に追い求められる。自分がとってきた行動を履歴書に記載し、面接のときになぜその大学その学部に行ったか。なぜ新卒でその会社に入ったか。営業になるとロジカルシンキング。製造職につけば、効率化、問題が起こったときの原因究明。ちなみに、タイトルはトヨタの生産方式「なぜなぜ分析」をもじったものだ。起こった事象に対して5回繰り返せばその真の原因に突き当たる、という考え方があるらしい。

 こんな感じでなにかと社会は意味を求めたがる。そして、いつのまにか意味に支配されていく。―――果たして本当に意味を求める必要があるのだろうか。本音を言えば、学校に入る理由も家から近い、制服が可愛い。会社に入るのも、大手で福利厚生がしっかりしている、知り合いが働いていて雰囲気が分かる、などそんな大層な理由はないはずだ。ただ、社会通念上それでは筋が通っていないことになるので、なにかしら肉付けしているだけだ。若ければ若いほど大人たちがなぜなぜと言っているのを不思議がる。そして、無垢な子供の意見がときに新鮮に聞こえたりする。

 で、冒頭の謎の言葉であるが、最近意味からの脱却を図る動きが強く出ている気がする。AIに仕事を奪われる、という言葉が氾濫するなか、一つの脱却手段が”人間らしさ”になっている。TikTokやYoutubeなどであげているショート動画をみることがたまにあるが、ひたすらスイカに輪ゴムをつけて破裂させる動画を撮ったり、CDをフリスビーのように投げドライブに吸い込まれるのに挑戦する動画だったりというのを見かける。自分たちの少年時代もFlash動画の毒ミッフィーやニコニコ動画でハイパーポーションを作るといったようなものが存在していたので、そこまで昔と大差はないかもしれないが、そういったシステム化できないものがもっと注目を集めていくかもしれない。意味があるものは原因がわかってしまうとそれはシステム化できてしまう。だからこそトヨタは効率の良い生産ができるようになる。

 これは、なかなかよくない流れかもしれない。そういった”人間らしさ”みたいなものはある種アーティストが担ってきたところもあると思う(もちろん人により思想が違うので一概には言えないが)。システムに組み込まれ労働する人たちの心情を歌い、絵で表現し、社会を風刺する。それは、社会に迎合せず生活のために必ずしも必要のないことをしているアーティストだからこそちょっと言わせてもらいます、というある種の茶々だっとと思う。ただ、その動きがあまりにメインストリームになると、本当に生活に必要なものの価値がどんどん薄れ、だれもやらなくなる。ロボットが全てできれば良い。現実にいろいろなものがスマホで完結できるようになってきている。ただ、例えば、子育て、介護、看護これらは人のつながりが不可欠だし、飲食店の接客だって、配膳ロボットがいてもその配膳ロボットを現実にケアしなければならないのはロボットに置き換わり縮小されたホールの従業員だ。つまるところ100%無人のコンビニを作るのが難しいように(ただいま試行錯誤真っ只中だと思うが)、なかなか隅々まで行き届かないのが現状だ。しかし、「機械化した方が人件費が下がってお得ですよ、今なら国から補助金も出ます」みたいなことがメーカーと外食産業間で商談が行われ、その年の売上になれば会社としてはOKなのだ。こうやって世界はできていく。

 話が逸れたが、必死にAIに抗い、”人間らしさ”を求めた場合、”本当に”意味のない人間が量産されていくのではないだろうか。ミロコンカチ、もはや日本語としては意味不明である。こんな意味不明さが世間のスタンダードとして氾濫してしまったら、お年寄りに若者言葉がわからないのと同じで最終的に他人と意思疎通など取れないのではないかと思う。
 よくアーティストの人のセリフで、「僕みたいな人が社会にいてもいいかもしれないけど、いっぱいいたら困るよね。」ということがある。確かに蛭子さんみたいな人ばかりの世の中だと、社会は回らないかもしれない。意味に疲れ始めたとき、その先にあるものはなんなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?