心が虹になり冬になる

秋から冬に変わり、いったいいつどこの何のタイミングで秋らしく、いや冬らしくなったんだろう。庭に植えてあるブルーベリーの木葉が一斉に赤くなり始めた時?落葉樹の葉が木からこぼれ落ちた時か。それとも変わり目のタイミングで気圧のせいで頭痛がしているのか人の動きが新しい年に向かって動くスピードは早く見えてるからだろうか。複雑じゃない。ちゃんと息もしてる。血圧も90ダイだ。自分の中ではある方だ。空をみて白い息がでてもう冬が始まる。
季節や行事なんて俺からしたら何も変わらない毎日で日本に帰ってきてからは人の気持ちを読み取って空気を読み元気な自分を演出している。
今日も笑顔はバッチリだ。そもそも休憩の時も同じ職場の人の前でも笑顔でいないと行けないんだ。理由がある。俺が笑ってないと不機嫌そうに見られるからだ。でもそれは俺がそういう自分を作っていたからこんなことになってるのか?
馬鹿馬鹿しい。人とプライベートで接するのが苦手だ。仕事の時とは違い会話や笑顔の逃げ場がないからだ。だから人に合わないし合わせない。
好きな本を読みアニメを観て猫を撫でて花に水をあげる。そんな毎日でいいと旅から帰ってきてから改めていわゆる一般的な普通を覚えた。
良くも悪くも体調は薬さえあれば安定してる。
仕事の時のお客様は神様だと言うがこっちも選ぶ権利はある。不理屈なことを言われても上に報告が行けば抗えない。自分の落ち度を探して鎮火させる。そーいえばもう誰かと同じ時間を共有したりしてないな。海外にいた時は必ず誰かいて1日の出来事を話していたもんだ。今日はどんな日だった?がいつもの口癖。
親友が一緒に旅行に行こうと誘ってくれた。最初は嬉しかった。ただ旅行の日が訪れる日が近づけば近づくほど嫌になってくる。でも行ってしまえば楽しいものだし誰かと夜お酒を飲んで寝る間も惜しんで話す機会もなかった。疲れると思った。だが心地よくて逆に1人でいるのが寂しかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
その気持ちから旅行や出かける頻度や友達に会う回数も増えた。だが直近で周りの不運があり、不運という言葉では収まらないくらい大きいもので自分は人と関わるとこんな気持ちになってしまう。いっそのこと気持ちの変化なんかしなければ不運の話も聞くことはなかったのだろうか。他人事ではない。話も長くなった。結論何が言いたいか。まだ俺の気持ちは不完全燃焼だ。気持ちの整理も追いつかず現実から逃げている。でも前とは違う逃げ方だ。少なくとも死にたいと思う逃げ方ではないこと。死が怖いということ。自分が思うよりずっと周りが考えて思ってくれる思い。
それには中々気付けない。でも気づこうとしてる。だからまだ生きてるし、生きれなかった友達。大きな山があって大きな水の池があり暑い、寒いと感じれる。誰かを想う気持ちを持てる。
水もあげなきゃ花も育たない。一緒にいてくれる猫もいる。それでいいと言い聞かせたい。多分そんな弱ってるよ。俺いま落ち込んでるよ。って気づいて欲しいが為にこの文章を書いてるのかもね。みんな生きていっぱい幸せを届けよう。
貰う側ではなくあげる側でいよう。
いつも。いつまでも。

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