イルカ探訪誌 3

  私はまず、イルカについての大まかな知識を得るため、ウィキペディアのイルカの項目から読み進めることにした。

 しかしこのスタートとしてウィキペディアを選ぶのは些か問題がある。

 わからないことがあればすぐにインターネットで検索するのは、ネット時代に毒された若者という謗りを免れない上、そこで得た知識をこのようなソーシャルな場で披瀝するのは、自らの見識の浅さを露呈してしまうことにもなりかねないだろう。

 さらに言えば、インターネットで得た情報を、インターネットに開示するというのは、輪になってバケツリレーをするようなもので、なんの生産性も終着点も内容に見えるし、リレーの過程でバケツの中の水がこぼれてしまったり、不純物が混ざり込んでしまったりと、いわゆる伝言ゲームにおいて指摘されるような危険をはらんでいると言える。

 ていうか伝言ゲームだ。

 しかし弁解をさせてもらうならば、今やインターネットは情報の海であり、さらにそれは砂漠のような無限の乾きと拡大を以て、宇宙のような底知れぬ広さと質量を獲得し続けているという現状を鑑みた場合、私が今行っているような、ある限定された情報をリパッケージして発信するという作業は、単なるキャッチ・アンド・リリースではなく、原料の仕入れ、加工、発送、供給という一連のプロセスを経た立派な生産活動と言っても良いのではないだろうか。

 経済の成長に生産を通して貢献することと、インターネットの拡大にブログを以て貢献すること。

 この両者の間にどれほどの違いがあると言えるだろう。

 前者ばかりが礼賛され、後者が蔑ろにされる理由はどこにあるというのだろう。

 このやり場のない憤りは、私のエゴだろうか。

 これはもはやイデオロギーの対立であり、両者の共存は有り得ず、一方の破滅か、または双方の交流の断絶という形でしか幕を下ろすことはできない。

 戦争か、沈黙か。

 ウィキペディアという禁断の果実に口をつけた瞬間から、我々はその軛から逃れる術を失ったのだ。

 そして私はイルカを語る。

 額に押された『Wikipedia』の烙印から滴る血の轍が、私と貴方を繋ぐ唯一の回線なのだから。
 

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