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健やかなる時も① 112

反射的に身を伏せた直後。
壁越しに見えたのは、立ち上がる黒煙。
聞こえたのは、けたたましいサイレンと、複数の爆発音。
クウェート軍の高射砲が、即座に応戦したのだろう。


安全を確認したのち、砂を払いつつ立ち上がると。
後方のドアから、内藤が飛び込んできた。

「一尉!ご覧になりましたか?」

「ああ。丁度いいタイミングだった」言いながら、煙草を揉み消す。「大変なことになったな」

「小此木一佐からお電話が入っています」

「判った。とりあえず、非常事態に備えよう」

「了解しました!」


部下に指示を飛ばし、階段を駆け下りつつ、僕は思う。
147と山本、真鍋は無事なのだろうかと。
しかし、彼等のことを気にかける間もなく。
僕は対応に追われることになる。
いつものように。


「最初に、軍関係の格納庫と滑走路が爆撃されたんだ。最大の目的は、恐らくそれだったんだろう」

「イスラム過激派の犯行でしょうか?」

「ありえないね」一佐は、即座に否定する。「幾ら何でも国際会議の直前に、市街地を空爆したりはしないさ」

「それで、現在の状況は?」

「連合軍はすでに動いている。米軍は、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。ただじゃ済まさんだろう」

「日本軍は?」

「幸い、穂積二佐がいてくれたからな。ただ、空軍の戦闘機は全部やられて」

「ええ」

「唯一無傷だったのは、展示用に整備してあったラプターだけでね」

「冗談でしょう?」僕は、驚いた。「あの骨董品ですか?」

「そう。でも、彼は躊躇わなかった。連合国空軍のF-35と一緒に、さっき飛び立ったところだ」

受話器を耳に当てながら、ふとテレビを見ると。
アル・ジャジーラの生中継が始まったところだった。

「携帯はオンにしておけよ。連絡を密に取るように」

「了解しました」


電話を切った僕は、いても立ってもいられずに。
衛星携帯の電源を入れながら、屋上へ向かって走った。
真昼の空爆のせいで、各軍のネットワークは悉くダメージを受け。
情報が錯綜し、混乱している今。
悔しいことに。
僕に出来ることなど、何もない。
激しい爆撃の最中、逃げ回る人達に対して。
恐らくは、それに巻き込まれているだろう147に対して。
安全な場所で報告を聞き、何もしてやれない自分が情けなくて。
不甲斐なくて仕方なかった。



市街地上空には、複数の機影が飛び交って。
その中の一機の能力は、明らかに群を抜いていた。
叔父の乗るF-22A。
中東に残る、最後のラプターだ。

恐ろしく低空を飛びながらも。
彼は巧みに、残った一機を洋上に誘い出している。
映画さながらのドッグファイト。
でもこれは、実際の戦闘だ。
その証拠に。
英軍のF-35は、ミグの空対空ミサイルをまともに喰らい。
一機、また一機とペルシャ湾に散っていく。
黒い黒煙を吐き、炎に包まれながら。

( ──── もういい!もうやめてくれ!)

そう思いながら見上げる空は、雲一つなく晴れ渡り。
眼下の修羅場が嘘のようだった。
純白の機体が、目まぐるしく飛び交う様を。
僕は、歯がゆい思いで見詰めていた。
医官としての自分ではなく。
義父の身を案じる、1人の人間として。


F-22Aが洋上に達した直後。
轟音を上げて、ミグが彼の背後につく。
叔父が幾ら凄腕であっても。
どれだけ実戦経験を重ねていたとしても。
あの位置でロック・オンされたらおしまいだ。

( ──── 外れてくれ!)

手すりをきつく握り締めながら、僕は祈る。
世界中の神々に向かって。
僕はもう誰も失いたくないし。
誰も死なせたくない。
あのミグに搭乗しているのが誰だろうと。
北朝鮮だろうと、ロシアだろうと、僕には関係ない。
彼等にも家族はいるし、帰る家もあるだろう。
そんなことは判っている。
判っているけれど。
僕にだって、彼しかいないのだ。
自信家で、短気で、すぐ手の出る人だけど。
僕には、彼だけなのだ。
叔父以外の全て、両親も親友も。
この29年間で、皆失って。
僕にはもう、彼しかいないのだ。


見守る僕の目の前で。
ラプターが突如、鮮やかに機首を返した。
垂直方向への急上昇、そこからの180度ロール。
得意のインメルマンターンだ。
後続機も、必死に追撃しようとするものの。
いともあっさり、背後を取られた。
相手の動揺を見透かしたかのように。
短距離空対空ミサイル、AIM-9X。
サイドワインダー2000が火を噴いた。
直後。
ミグは、微かな爆発音を轟かせ。
灰色の煙と共に、洋上に落下していく。
つい数分前。
彼自身が撃墜した、F-35と同じように。




呆然としている僕の方へ向かって。
ラプターは、真っ直ぐに飛んで来る。
そして。
軽やかに旋回し、去っていく。
クウェート国際空港に向かって。

そんな叔父に対して。
僕もまた、敬礼を返す。
痺れるような緊張と、安堵を覚えつつ。
彼の手腕に、最大限の敬意を表しながら。


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