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健やかなる時も② 44

0400。
薄暗いうちから、20kmほど走り込む。
湾岸道路は、涼やかな潮風に満たされて。
短い秋の終焉を、嫌でも感じさせられる。


タイ、ベトナム、シンガポール、マレーシア。
それからアフガニスタン、パキスタン、イラン、イラク、そしてクウェート。
3年間、そんな地域ばかり走り回っていたせいか。
久し振りに迎える日本の冬は、酷くこの身に堪えそうだった。






いい感じに体が温まったところで、一度マンションに戻り。
シャワーを浴び終わった頃に、電話が鳴る。
この時間は、オン・コールに違いない。

「はい、穂積です」

「おはよう。室谷です」

「あ、はい。おはようございます」

「明けのところ申し訳ないけど、ヘルプ頼めるかい?」

「勿論です。事故ですか?」

「そう。首都高で、大規模な玉突き衝突があったらしい」

「ああ、やっぱり」僕は、思わずそう呟いた。「サイレンを聞きましたから。丁度伺おうと思ってたところです」

「助かったよ。初療室に待機していてくれ」

「了解しました」





自転車を飛ばして病院へ戻ると。
センター内はすでに、戦場と化していた。

「もしもし、聞こえますか?お名前は?」

「輸血急がせろ!何やってる!」

「よし、次はCTだ!」

慌ただしく着替えを済ませ、消毒をし。
心臓マッサージをしている医師に声をかける。

「先生、代わります」

「ああ、頼む!」

研修医と交替でマッサージを続けている間にも、矢継ぎ早に指示が飛ぶ。

「気道確保しました!」

「こっちは駄目だ。ドレナージの準備して!」

「血圧、落ちてます!」

「いかんなぁ」ベテランも、思わず唸る。「そっちの心電図は?」

「フラットのままです」

「何分経過した?」

「えーと ──── 27分ですね」

「家族との連絡は?」

「まだ取れていないそうです」

そうこうしているうちに、再び救急車が到着し。
次から次へと、負傷者を搬入してくる。
ざっと見渡しただけで、20人はいるだろうか。
さて、次の重傷者は ────

そんなことを考えていた僕の耳に飛び込んできたのは、子供の喚き声。

「痛い、痛いよ!」

「ボク、頑張って!もう病院だからね!」

「ママ、何とかして!死んじゃう、死んじゃうよ~!!」

ストレッチャーから転がり落ちんばかりに暴れるのを。
3人の救急隊員が、必死に押さえつけている。
同じように呼び出されたのか、河辺医師も駆け付けて。
その子供の全身状態を調べようとする。

「大丈夫よ。お名前は?」

「いいから助けてよ!痛くて死んじゃうよ!!」

どれほど彼女が声をかけても、両脚をばたつかせて抵抗するから。
研修医は、点滴すら入れられないようだ。
蘇生措置を共に施していた秋野医師が、そちらを一瞥して言う。

「穂積くん、ありゃ駄目だな。加勢してやってくれ」

「判りました!」

ようやく心臓の動き出した患者を渡して。
僕は、搬入口へ走り出す。
休む暇もなかった昨日に引き続き。
今日もまた、長い1日になりそうだ。
そんなことを思いながら。


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