健やかなる時も① 108
深夜。
定時にナース・ステーションを訪問し、翌日の打ち合わせをしたあと。
僕はいつものように、当直室へ戻る。
PCを立ち上げ、メールの整理などしていると。
久し振りに叔父からメールが入っていた。
【9/1にクウェートへ寄ることになった。時間が合ったら会いたいと思ってね。】
もし、実現すれば。
彼と顔を合わせるのは、1年振りになる。
今や唯一の肉親とも言えるべき叔父は、生まれついての戦闘機乗りで。
現在は、各地で教官を務めている。
そんな彼は、僕の自慢であり。
同時に、近付き難い存在でもあった。
父母の死後。
彼は周囲の反対を押し切って、僕を養子に迎えてくれ。
姓を変え、過去をクリーン・アップしたのち。
自衛隊の訓練校に斡旋してくれたのだ。
もし、彼がいなかったら。
僕は多分、近場の施設に入れられて。
酷く無気力な大人になっていただろう。
そう思えば。
有賀や彼の両親、叔父夫婦を始め。
今僕がここにこうしていられるのは、決して僕だけの力ではなく。
多くの人の善意や、示唆によるものなのだと。
あらためて思わされる。
だとしたら。
147はどうなのだろう?
仮に彼が過去の人間であったにせよ。
今ここにこうしているからには、何かしら理由があり。
何か、果たすべき役割があるのではないか。
あの夜僕が、ハンヴィーⅡの中で言った通り。
何か、意味があるのではないか ────
頬杖をつきながら、そんなことを考えていた時。
不意に、ノックの音がした。
僕は慌ててPCの画面をクローズし、振り返る。
「急変か?」
「いや」147の声。「どうしてるかなと思ってね」
「また君か」僕は、呆れて言う。「添い寝なら結構だぞ」
「そんなつもりじゃないよ」彼は、ドアを開けながら言う。「ちょっと寝付けなくて」
「羊でも数えてろ」
「25874匹まで数えたよ」
「導入剤をやるから。自分の部屋で寝てくれないか?」
「前から思ってたんだが。あそこは何か出そうじゃないか?」
「贅沢言うな。隔離病棟を丸ごと使わせてやってるのに」
「まあ、そう邪険にしないでくれよ」彼は、右手でドアを閉める。「あと少ししか一緒にいられないんだから」
「それはそうだが ──── 」
そう言いかけた時。
僕は彼が、自分の枕を大事そうに抱えていることに気付いて。
思わず、笑ってしまう。
「ちょっと待て。何だい、それ?」
「枕だよ」彼は、きょとんとして言う。「羊にでも見えるか?」
「いや、そうじゃなくて。幾つだ、君は?」
「さあ。それは君の方が詳しいんじゃないのか?」
「男の歳には興味ないんでね」
「でも、可愛いだろう?」彼は、にっこりした。「正直に言ってご覧」
「何処が可愛いって?」その口振りに、つい吹き出してしまう。「全く。いい大人が ──── 」
笑いつつ立ち上がり、コーヒーメーカーのスイッチを入れると。
彼は枕を抱いたまま、僕のベッドの上に腰掛ける。
「飲むだろう?」
「ああ。ありがとう」
「いや、でも、ますます眠れなくなるかな?」
「大丈夫。カフェインには強いんだ」
「そうか」
彼に背を向けながら、準備をしていると。
147は、思い掛けないことを言う。
「 ──── 良かった」
「何が?」
「初めて、笑ってくれたな」
そう指摘されて。
僕は思わず、口を噤んだけれど。
そんな僕を見て、彼はまたくすくす笑う。
くそ。
調子のいい奴だと知りながら。
何だか、上手い具合に乗せられてしまった。
ちらりと横目で見てみると。
彼は僕のベッドの上で、すっかり寛いでいる。
「 ──── 一尉」
「うん?」
「君と、離れたくない」
「……」
「何とかして、日本へ帰る方法はないか?」
「それを今、考えているところだ」
「へえ」
「君が歳相応の姿なら問題ないんだが。外務省にSFファンは少ないらしくて」
「仕方ないさ。わたしも理解出来ないからな。今どうしてここにいるのか」
「タイムトンネルを通った記憶とか、UFOに攫われた記憶とかはないのか?」
「ないね。今のところ。見当もつかない」
「……」
マグカップを渡すと、彼は会釈して受け取って。
そのまま2人で、熱い珈琲を口にした。
彼はベッドの上、僕はデスクに向かって。
あと2週間。
その間に、何とか出来るのだろうか。
彼のことを。
そして、ここのことを。
僕が帰国したのち、撤退前まで管理していけるのだろうか。
ついこの前まで、市ヶ谷でぶらぶらしていた連中に。
この国の風土や、情勢の過酷さが理解出来るだろうか。
ふと見ると。
いつの間にか、彼は珈琲を飲み干して。
ベッドの上で転寝していた。
ちょっと迷ってから。
上掛けのシーツを引き剥がして、彼の体にかけてやり。
ついでに、狭い寝台の上に腰を下ろした。
伸びかけた漆黒の髪、長い睫。
綺麗に整えられた口髭。
額に手を触れても、彼はぴくりともせず。
深い眠りに落ちているようだった。
あと2週間。
僕は、彼を守りきれるのか。
あの時約束した通り。
こんな不確かな状況の中で。
何度となく、そう自問するけれど。
答えなど、出る筈もなかった。
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