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健やかなる時も② 48
いつもの静寂を取り戻した院内を抜け出した時にはもう、空は真っ暗になっていて。
高層ビル群の眩い光が、雲をほの赤く染めている。
微かな疲労を感じながら、思わず伸びをすると。
私服に着替えた河辺医師が、背中を叩いてくる。
「あなた、これから予定あるの?」
「ないですね。特に」僕は再び、欠伸を噛み殺す。「帰って寝るだけです」
「明日のスケジュールは?日勤だったっけ?」
「いえ。当直勤務が続いてたんで、明後日まで休暇を貰いました」
「何してるの?普段は」
「別に、普通ですよ。洗濯したり、掃除したり、飯作ったり。気が向いたらジム行ったり ──── 」
「へえ」
「河辺先生は?」
「もうプライベートなんだから。先生はよして」
「じゃあ何て?」
「正巳でいいわよ」
「名前じゃ呼べませんよ。幾ら何でも」
「あたしが将補の娘だから?」
「そういう訳じゃないですけど」
「まあいいわ。好きに呼んで」
そう言うと。
彼女は強引に、腕を絡めてくるから。
僕はたちまち後悔した。
予定がないとか、帰って寝るだけだとか。
余計なことを言ってしまったなと。
「あ、あの、正巳さん?」
「何?」
「病院の近くで、こういうのはまずいんじゃ ──── 」
「別にいいじゃない。独身なんだし、お互い」彼女は、平然として言う。「それより、ちょっと付き合って頂戴」
「えっ?」
「何度誘っても、うんって言ってくれないんだから」彼女は、早足で歩き出す。「先輩の言うことは聞くものよ」
「それはそうですけど。今日はちょっと ──── 」
「またそう言って逃げるつもり?」
「……」
「付き合ってもいいでしょう?食事ぐらい。助けて貰ったお礼もしたいから。こんな時でもないと一緒に帰れないし」
子供のように、腕を引っ張られながら。
僕はついに観念した。
彼女がいつも言うように。
軍に籍を置いている以上、河辺将補は今も僕の上官で。
彼女はその令嬢であり、防衛医大の先輩でもあるのだから。
一抹の不安はあるものの。
義理であれ、何であれ。
たまには付き合わなければならないと思ったのだ。
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