見出し画像

健やかなる時も① 109

9月1日。
叔父を乗せたジープが、ゲートを潜ってくる。
彼は群青の制服を着ていたけれど、僕は白衣のまま。
一緒に司令部へ赴き、小此木一佐と面会して。
それから軍病院へ戻り、窓際の休憩スペースで、あらためて彼と向かい合う。

「それにしても、見違えたな。すっかり精悍になったじゃないか?」

「日焼けしただけですよ。この日光は遮りようがないですから」

僕が笑うと、彼も笑った。
叔父は父より5歳年下で、防大出のエリートだ。
彼に言わせれば、父の方が学校の成績は良かったのだが。
大学に進むこともなく、すんなり家業を継いだのだそうだ。

「俺が婿養子に行く時も、反対したりはしなかったよ。とにかく鷹揚な人でね」

「そうなんですか」

「前々から思ってたが。お前は兄貴にそっくりだよ」

「よく言われます」珈琲を飲みながら、僕は答える。「母からも、同じことを」

「争いごとを嫌う人だったから。お前が軍人になったと知ったら、悲しむだろうな」

「叔父さんがパイロットになった時も、いろいろ思うところはあったみたいですよ」

「まあ、そうだろうね。俺に直接言うことはなかったけど」

「そう」僕は思わず、溜め息をつく。「どういう訳か、肝心なことに限って言ってくれない人でした。いつも ──── 」

そんな時でさえ、上空にはひっきりなしに戦闘機が飛び交って。
僕と彼は、そのたびに話を中断せざるを得なかった。
白髪の増えた短髪を、知らず、父と重ねながら。
僕は、叔父の言葉の続きを待つ。

「 ──── 仁」

「はい」

「ここへ来る前に、府中へ寄ってきたんだ」

「ええ」

「奥さんと一緒に、優くんの墓参りを済ませてきたよ」

「……」

「お前とあの子は、産まれた時から一緒だったから。まるで、実の兄弟みたいだったよな」

「そうですね」僕は、同意する。「まさか、医大で再会するとは思いませんでしたが」

「彼の両親は猛反対したらしいぞ。ただの医者ならまだしも、医官だなんて……」

「……」

「返す言葉がなかったよ。彼が空自へ入隊したのは、俺の影響だろうからな」

「叔父さんは、憧れでしたから。優にとっても、僕にとっても」

「……」

「でも。優はあくまで、自分の意志で医官を志したんです」

「……」

「だから ──── そんな風に言わないで下さい」

「そうか」

「そうですとも」

僕は窓越しに、再び空を仰いだ。
真っ青に晴れ渡った、クウェートの空を。
優のいた日本へ繋がっている空を。

あまりの眩しさに、思わず目を瞑ると。
叔父は、こんな言葉を口にした。

「なあ、仁」

「はい」

「死ぬなよ。何があっても」

「……」

「生きて日本へ帰って来い」

「……」

「お前はいつも、自分の居場所はないと思ってる。でも、それは間違いだ」

彼は、カップを置いて微笑んだ。

「俺も、篤子も。優くんのご両親も。同期の連中も。皆、お前の帰りを待ってるぞ」

「……」

「だから。大手を振って帰って来いよ」

「…ええ」

「あとたった2週間だ。それまで、何かでかい不幸事があるとは思えんが…」

「……」

「くれぐれも、気を付けろよ。今や、世界中何処にも、安全な場所なんてないんだからな」

「ええ」僕は、頷いた。「判っています。そのことは ──── 」

そう答えながらも。
僕の胸には、微かな不安がよぎっていた。
ここ数日、クウェート周辺の治安は安定していて。
夜中の発砲も、空爆も、殆どなくなっていた。
気味が悪いほど平和な時間に、僕はむしろ危惧を抱いていた。
近いうちに、何かが起こるのではないか。
そんな、根拠のない予感と共に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?