健やかなる時も① 116
屋上へ向かう前に一度、ナース・ステーションへ顔を出す。
内藤が体調を崩し、山本と日勤を交代したからだ。
「異常ないか?」
「ええ」彼は、PC前を離れて微笑む。「いつも通りです」
入院患者のカルテと、日本から送られてきたFAXの山に目を通したあと。
デスクに座るとすかさず、珈琲の入ったマグカップが出される。
「お、サンキュ」
「いえ」
「疲れてないか?あんなことのあとなのに」
「平気です。却って目が冴えてるぐらいで」
「怪我人は相当いたのか?」
「かなりの数でした。空爆が収まった隙に、出来る限りのことはしたのですが…」
「うん」
「147の判断と処置が迅速でしたから。連合軍の医療チームや市立病院の救急車もすぐに駆け付けましたし」
「なるほど」
「彼は、慣れているみたいでした。ああいう場面に。顔色ひとつ変えることなく…」
「まあ、そうだろうな」僕は、頷いた。「ゲリラと一緒に行軍していたらしいから」
「そうなんですか?」
「ああ。だから、わたしなんかよりずっと、そういった経験は多い筈だ」
音声を消したテレビを見上げながら、そう答えると。
彼は何故か沈黙する。
それから。
遠慮がちに、こんなことを言ってくる。
「 ──── 一尉」
「うん?」
「先に、お帰りになるんですよね?」
「残念ながら」
「……」
「半数を置いていくのは忍びないが、一佐の命令だからな。我々よりも、陸軍の帰還が優先らしいし」
「それは、いいんですが……」
「うん」
「出来ればこれを、持っていって戴きたいんです」
そう言いながら。
山本が取り出したのは、綺麗に畳まれた白衣。
それを見た瞬間。
胸の奥が、鋭く疼いた。
有賀のものだ。
「何だい、これは?」僕は敢えて、しらを切る。「どうしてこんなもの?」
「これは、有賀三佐が着ていらしたものです。帰国される直前まで」
「……」
「もし一尉が行かれるなら。三佐のご家族にお渡しして欲しいんです」
「それは構わないが。どうしてこれを君が?」
「ロッカーに残っていたんです。急なことだったので、返却されるのを忘れておられたのでしょう」
「……」
目の前の白衣を見ながら思い出したのは、有賀のことではなく。
むしろ、物陰でそっとこれを抱き締めていた山本の姿だった。
だから。
ほんの少し迷ったあと。
僕は、こう訊いてみた。
この数ヶ月間、感じていたことを。
「なあ、山本」
「はい」
「有賀と ──── 何かあったのか?」
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