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70.

「でも何でわざわざ来てくれたんだ?事務所でボスから注意勧告されただろうに」
「あんな話聞いたあと、ジョシュを1人にしておけないなって思って」
「なるほど、そういうことか」
「俺は昔の夢見て思い出しただけでも、数日立ち直れないくらいダメージ受けるから。他人に詳細話したなら尚更だろうって、心配になってさ」
「大丈夫だよ、俺は。タフだから」
「そうでもなさそうだけどな?」
「本当に大丈夫だよ。て言うか、あんたの方が余程、人生ハードモードだろ?」
「まあ、それは否定しないよ。初期設定からバグだらけだし」

部屋のソファに座っているメイに向かって、ジョシュアはキッチンから話し掛けてくる。あのあとすぐに彼がTシャツとジーンズを身に着けてくれたので、メイは内心ほっとしていた。全く、さっきのあれ・・は何だったんだ?


「熱いから気を付けろよ」ホットミルクの入ったマグカップのうち1つをメイの前に置き、1つを手にしたままベッドに腰を下ろす。「カフェイン駄目なんだろ?」
「そうなんだよね。ジョシュが作ってくれるチャイが好きなのに」
兄さんドクターのお許しが出たら、いつでも作ってやるよ」
「悪いね、気を遣って貰って」
「当然だよ」彼は、カップに口をつける。「次回の検診はいつなんだ?」
「7月1日」
「一緒に行こうか?」
「大丈夫だよ、それこそ」彼はつい、笑ってしまった。「なるべくなら、兄貴に会わせたくないし」
「何で?」
「理由はわからないけど、ジョシュの話すると不機嫌になるんだよね」
「えっ?」
「俺といつも一緒にいるから、焼きもち焼きそうだって」
「よくわからないな。むしろ俺の方が、兄さんに嫉妬してるのに」
「何でまた?」
「俺がどれだけあんたに尽くしたところで、肉親には敵わないだろ?」
「そりゃそうだけど」
「体のこともあるだろうし、よっぽど心配なんだろうな。一緒に暮らせばいいのに」
「兄貴もそう言ってくれてるけど、そうしたらまた元の何不自由ない生活に戻ってしまうし、独身の頃ならともかく、今は交際中の彼女もいるしね。俺もいい加減兄離れ・・・して、自立しないと」
「俺といると却って、自立の妨げになるんじゃないか?」
「そんなことないよ。俺は生まれた時から特殊な環境にいて、病気のせいで散々甘やかされて育って、こんな年になってもほんとに世間知らずだから。いろいろ教えてくれるジョシュに感謝してる」
「そう言って貰えると嬉しいけどな。ボスからは、メイと距離を置くようにって注意されたし、俺もそう思うんだ」
「いや、それはいいよ。さっき良さんと直談判して、全部俺に任せてくれるってことになったから」
「そうなのか?」
「うん。良さんもわかってくれたから。今まで通りで大丈夫」

そこでふと、会話が途絶えた。ジョシュアはマグカップを持った両手にしばらく視線を落とし、それからゆっくりと飲み干した。カップをテーブルの上に置くと、ジーンズを脱いでベッドに潜り込み、通路側のスペースを空けて微笑んでくる。

「今回は、一緒に寝るか?」
「Yep!」

メイは同じようにホットミルクを飲み干し、マグカップ2つを持ってキッチンへ運ぶ。蛇口を捻り、シンクに置いてあった雪平鍋に水を満たし、少量の洗剤を入れ、カップを浸けておく。

「そのままにしといていいぞ」と、ジョシュア。「あとで纏めて洗うから」
「わかった」

部屋に戻ってから、オーバーシャツとジーンズを脱いでソファの背凭れに掛け、靴下をその下側に突っ込む。隣に体を滑り込ませると、ジョシュアは腕枕をして、しっかりと抱き締めてくる。いつものように。

「前から思ってたけど。ジョシュって、お父さんみたいだな」
「失礼だな?」彼は、憮然として言う。「12歳しか違わないだろ?」
「1周り違うのか、そう言えば」
干支ゾディアックが一緒ってことだよな」
「そう。ってことは、兎か」
「どうせなら、龍か虎がよかった」
「まあね。捕食される側だもんな」
「兎と言えば、10代の頃、バニー・ガールが売りのハコで演奏してた時期があったけど。まだ若くてうぶだったから、目の遣り場に困ったよ」

その話を聞いて、メイは、例の疑問をぶつけてみることにした。

「 ──── ジョシュ?」
「うん?」
「ちょっと、変なこと訊いていいか?」
「いいよ。何でも」
「異性はまだわかるんだけど。同性の裸見て目の遣り場に困るっていうのは、おかしいかな?」
「いや、別に。俺もよくあるし」
「ほんとに?」
「軍にいた頃は半裸でバスケとかやらされたりしたけど、どうも苦手でな。日本に来たばかりの頃は、公衆浴場や温泉も極力避けてたよ」
「ああ、わかるなそれ。俺、見るのも見られるのも嫌だから、どうしても温泉とか入らなきゃいけない時は、一番隅っこに座って、他人からずっと目を背けてる」
「見られるのも駄目なのか?」
「駄目だね、人に見せられるような体でもないし。何年か前にグラビアの撮影した時、カメラマンからYシャツのボタン全部外して、胸はだけてって指示されて。それだけはやめて欲しいってお願いしたくらいで ──── 」
「グラビア?」
「ええと」メイは、慌てて理由を考える。「アメリカにいた頃、モデルのバイトしたことがあったんだ」
「なるほど。あんたは背も高いし、スタイルもいいし。何より、美人だからな」
「そんなことないけど。実際やらされて、あれはあれで大変な仕事なんだなとは思ったよ」
「俺も宣材とかジャケットの撮影とか散々やらされたけど、さすがに脱げとは言われなかったぞ」
「ミュージシャンは音楽が売りだからな。見た目ビジュアルで点数稼がなきゃ売れないっていう今の風潮はおかしいよ」
「まあ、確かにそうだけど。俺が所属してた事務所の社長なんか、売れるものは見た目でも経歴でも、体でも家族でも何でも売れって方針だったからな」
「面白いな。俺も、全く同じこと言われたよ」
「モデルのバイトで?」
「いや、その。アート関連・・・・・の仕事してた時にね」
「まあ、ビジュアルも大事だとは思うけどな。アリーシなんかむしろ、それで売ってるって豪語してるぞ」
「アリーシさんほどの美貌の持ち主ならそうだろうね。歌もピアノもギターも、若さも、全部プラス加算になる」
「そういや彼女、自分は普段あれだけ攻めた格好してるのに、女子棟の若いスタッフが胸元の開いたセクシーな服着てたり、太腿の付け根までのミニスカ穿いてたりすると、どきどきして直視出来ないって言ってたな」
「へえ」
「日本の温泉行くのが趣味だった音楽隊の同僚も、胸の大きな子や綺麗な体の子はつい見てしまうから、意識的に目を逸らすようにしてるって言ってたし。女同士でもあるみたいだぞ、そういうの」
「そうか、よかった。自分が異常なのかと思ってた」
「ま、他人の裸見るのも自分の裸見せるのも平気な奴いるけどな。そうじゃない奴もいるよ」
「ごめん、突然。でもお陰でほっとしたよ」
「いつでもどうぞ」彼は、ぽんぽんと背中を叩いてくる。「Father Knows Bestパパは何でも知っているって言うくらいだしな」
「さっきのこと、まだ根に持ってる?」
「全然」彼は、くすくす笑った。「ひょっとして、俺の裸見てどきどきしたんだろ?」
「ジョシュだけじゃないけど、まあね」メイは、素直に認めた。「反則だぞ?いきなりあんな格好で出てくるなんて」
「それもそうだな。次回から気を付けるよ」

話しながら、ジョシュアは右手の指先で彼の髪を梳くように撫でてくる。何でだよ?と、メイは思った。これまでそんなこと、一度もしたことないのに ──── 

「大分伸びたな。もう結えるんじゃないか?」
「そうだね。良さんみたいに結んでおこうかな」
「いいんじゃないか?似合うと思うぞ」
「こんなに伸ばしたことなかったからね。これまで一度も」

頬に触れてくるジョシュアの右手を、左手で捉えてみる。如何にもピアニストらしい、長く美しい指だ。

「俺もだけど、あんたも相当な深爪だな」メイの指を見ながら、彼は言う。「何かやってたのか?」
「子供の頃ピアノ習ってたから。ちょっとでも伸びると気持ち悪いんだ」
「ああ、わかる。俺も同じだ」
「習慣になるよな、こういうの」
「そうそう」
「ジョシュ、眠いんじゃないか?朝早かったから」
「まあ、割とな」
「俺もさっき部屋で寝ようと思ったのに、全然眠れなくて。今は大分眠くなってきたけど」
「俺がいなかったからじゃないか?最近、あんたの安眠枕になってるからな」
「ああ、なるほど。そうかも」メイは、欠伸を噛み殺す。「日本では、子供の頃は両親と一緒の布団で寝たりするんだけど。俺、そういう経験全くなくてね。こういうの、凄く新鮮なんだ」
「ずっと病院にいたからか?」
「そう。あと、前に話した通り、家庭環境が特殊だったから。一緒に風呂入ったり同じベッドで寝たりしてくれるのは、兄貴だけだったよ」
「そうか。それで兄さんにべったりなんだな」
「うん。ジョシュに会うまでは」
「嫌じゃないか?」
「嫌ならわざわざ来ないよ」
「だよな」彼は、にっこり笑った。「光栄だよ、あんたの役に立てて」
「あともう一つ ──── 今度機会があったら、ジョシュのピアノ聴かせてくれないか?」
「おっ?」彼は、咄嗟に体を起こす。「やっとその気になったか?」
「ジョシュに限らず、ここで親しくしてくれてる人達 ──── 李くんやパイさん、ディーさんや徳さんが、どんな音楽やってるのか。聴いてみたくなったんだ」
「ああ、だったら丁度よかった。今日の18:00からディーさんが宿泊者向けのワークショップやることになってて、そのあとのセッションのホストを俺が頼まれてるから。聴きに来るといい」
「いいのか?俺、何も弾けないけど」
「勿論!」彼は、メイの額に唇を当てる。「見学だけでも大歓迎だよ」




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