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200.

「 ──── ありがとうございます、楠上くすがみさん!」
「僕までいつもありがとうございます!お気をつけて!」
「いえいえ、仕事なので」圭介と拓海に楽器のケースを手渡した楠上は、にっこり笑った。「明日の朝お迎えに来ますね!」
「はい、よろしくお願いします!師匠もお疲れさまでした!」
「おう、また月曜な!」アレックスは、笑顔で手を振った。「じゃ、おやすみ!あんまり夜更かしすんなよ?」
「はい、おやすみなさい!」
「おやすみなさい!」




マンションのエントランスで2人と別れ、エレベーターに乗って最上階へ向かい、玄関ドアを開けて靴を脱ぎ、長い廊下を通って広々としたリビング・ダイニングルームに入っても、拓海は何処か浮かない顔をしている。

「 ──── どうした?」テナーのケースをソファの脇に置きながら、圭介は尋ねる。「俺、何かした?」
「ううん、そうじゃないけど」キッチンで手を洗いながら、拓海は首を傾げる。「瞬さん最近ずっと銘さんのところに泊まってるみたいで、仕事大丈夫かなぁって」
「ああ、あれな?」隣に並んで同じようにしながら、圭介は考える。「実はちょっと、訳があるんだよ」
「訳って?」
「ええと ──── ああ、でも、拓海ならいっか。俺と奏さんと、和哉さんは知ってることなんだけど」
「やっぱり、何かあったの?」
「ジョシュさんがアメリカ行ってから、銘さん、かなり情緒不安定だったろ?」
「うん」タオルで手を拭いたあと、拓海は頷く。「最近は少し落ち着いたみたいだけど、僕もずっと心配してたんだ」
「沖縄行く前は瞬さんが銘さんの様子見てくれてて、少し安定したんだけど ──── 拓海、コーヒー飲む?」
「ああ、じゃあ、僕が淹れるよ。圭介は楽器のメンテやらなきゃでしょ?」
「やった!サンキュ!」手を拭き終わった圭介は、リビングのソファへと向かう。「 ──── で、そのあとしばらく帰って来れなかったじゃん?」
「うん。台風のせいで、予定が狂ってね」
「銘さん相当寂しかったのか、その間に夜遊び覚えちゃって。大変なことになってたんだ」
「なの?」ケトルで湯を沸かしながら、拓海は、大きな目を丸くする。「 ──── あっ!それで朝、ずっと起きれなかったとか?」
「そそ。今だから言うけどな?」
「でも、気持ちはわかるよ。僕も母さんのこととかいろいろあって、自棄やけになって、マッチングアプリにハマってた時期とかあるから」拓海はペーパーフィルターをセットし、深い溜め息をつく。「そのせいで、ルカさんにも圭介にも、和哉さんにも銘さんにも迷惑かけて ──── 」
「いや、その話はいいって。もう終わったことだし、お前はそういうのからちゃんと足洗ったんだし」楽器を出し、丁寧にスワブを通す。「この前祥さんから直接LINEいただいたけど、銘さん、寝不足と深酒で体ボロボロになってて、相当ヤバかったみたいでさ」
「だろうね。元々体の弱い方だから」
「瞬さんもそのこと知って、めっちゃショック受けて。だから、自分の仕事セーブしてでも、銘さんの傍にいようって思ってるみたいなんだよ」
「えっ?」拓海は驚いて、顔を上げる。「でも瞬さん、真尋さんの写真集のお陰でめっちゃ知名度上がって、依頼が殺到してるって。この前ヨシさんが仰ってたよ?」
「そうなんだよ。そうなんだけどさ?」圭介は楽器を抱いたまま、項垂うなだれる。「ええと、ここから先は、お前に話していいのかわかんねえけど ──── 」
「いいよ、何でも。今更隠し事される方がきついから」
「あの ──── 瞬さん、銘さんのことが好きなんだよ。likeじゃなくてさ」

その言葉に、拓海はぴたりと手を止める。ああ、やっぱり ──── 何だか前から、そんな気はしてたんだ。

「俺、個人的に瞬さんのこと大好きだから、拓海に悪い印象持って欲しくなくて。だから黙ってたんだ」
「いや、僕も瞬さんのこと大好きだし ──── っていうか、瞬さんが銘さんにベタ惚れなのは、前からわかってたよ?」
「マジで?」
「マジで。でないとあんなエモい写真撮れないでしょ?」拓海は、コーヒーをハンドドリップしながら頷く。「ただ、葵さんみたいに、憧れの延長なのかなーぐらいな感じだったんだ。あの人、ゲイには見えないし」
「どうなんだろうな?奏さんやアドさん達みたいにアピってくれてる人はわかるけど、それ以外って割とわかんねえし。いちいち人に言って歩くものでもねえしさ?」
「まあ、確かにね」
「瞬さんすげえ優しくて、穏やかないい人なんだけど。どっちかっていうと、人間全般警戒してるような印象受けるから」
「それは多分、僕と一緒だよ」余熱したマグカップにコーヒーを注ぎ、トレーに乗せてリビングルームへ向かう。「虐待受けて育った人はどうしても人間不信に陥るし、自己肯定感持てなくなるし」
「ああ、なるほどな。そういう人だから、何て言うか、 ──── その手のことで傷付いて欲しくないんだよ」
「うーん」拓海はカップを2つテーブルの上に置き、圭介の右隣に腰を下ろす。「瞬さんは慎ましい人だし、ジョシュさんって存在があるから、先には進めないだろうしね」
「そこなんだよな。銘さんはジョシュさんと相思相愛だから」
「ていうか、あの。これは個人的な感想なんだけど」拓海はコーヒーを1口啜り、首を傾げる。「ジョシュさんと離れてまだ1ヶ月しか経ってないし、別れた訳でもないのに。さすがに展開早くない?」
「俺もそう思うけど、そのせいで銘さんが荒れてるのを、瞬さんはほっとけなかったんだと思うよ。あの人、ガチでいい人だから」
「まあねぇ。僕等はともかく、その辺の事情を知らない人は、好意的には見てくれないかもね」拓海は思わず、溜め息をつく。「こういう時いつも思うけど、みんなが幸せになれる方法って、ないのかな?」
「難しいよな。ていうか、俺等はいいけど、葵さんが厄介そうでさ?」
「ああ、そうだった。あの人、銘さんの信者通り越して、ファナティックだもんね?」
「そう。だから葵さんにはなるべくバレないようにしないと」圭介は楽器をケースに戻し、クロスを被せて蓋を閉める。「協力してくれよ?」
「いや、絶対バレてると思うけどね?」
「そうか?」
「そうだよ。だって前は葵さんが、銘さんとこに住み込みするって言い張ってたんだから」
「あー、そういや、そんなこともあったな?」
「銘さんも、異業種の瞬さんだからこそ、心許せてる部分はあると思うし。そっとしておいてあげたいよ、僕的には」
「だよな。俺もそうする」圭介はマグカップを取り、コーヒーを飲む。「俺達がせめて大学生なら、もうちょっと銘さんの役に立てるんだけどな」
「そうなんだよ。僕が住み込み出来れば一番いいんだけど、母さんが7日に退院することになったから」
「えっ、マジで?」
「マジで」拓海は、がっくりと肩を落とす。「だからまたしばらくは、お世話係だよ」
「大丈夫なのか?またベランダに締め出されたり、暴力振るわれたりしねぇ?」
「ちゃんと薬飲むようになったみたいだし、とりあえずはね?」
「とりあえずって、毎回それじゃねえの?」
「そうなんだけど。ずっと入院させておく訳にもいかないし」
「じゃあ日曜までか、お前と一緒にいられるの」
「うん。毎回長い期間お世話になって、申し訳ないよ」
「ていうか。前から思ってたんだけど、いっそここから三田まで通えば?」
「えっ?」
「母さんが退院したからって、別に一緒に住む必要はねえだろ?毎日様子見に行って、終わったらうち来ればいいじゃん?」
「ああ、 ──── その発想はなかったよ」
「そしたら、お前が被害に遭う確率も減る訳だしさ。どう?」
「どう?って ──── 」

拓海はマグカップを手にしたまま、俯いてしまう。いや、いいよ?僕だってずっと、圭介とこうしていたいよ。ここで一緒に勉強したり、洗濯したり、掃除したり、料理作ったり、お風呂入ったり、学校に通ったり。今の生活がとにかく平和で、楽しくて仕方がないから。こうやってずっと2人きり暮らせたらどんなにいいだろうって、いっつも思ってる。でも、それだと、ただでさえ忙しい圭介と花音かのんさんが、自由に会えなくなってしまうし、病気の母さんをほっとく訳にもいかないから。やっぱり、無理だよ ────


「ううん、大丈夫。どうしても駄目な時はまた、避難させて貰うけど」
「ほんとかぁ?」圭介は、疑わしそうに言う。「またお前が暴力振るわれたり怪我させられたりするの、俺、嫌だからな?」
「大家さんも隣のおばさんも協力してくれるっていうし、ケースワーカーさんもお巡りさんも巡回してくれるっていうし」
「毎回そう言って退院しといて、毎回病院に逆戻りだろ?意味なくね?」
「でも、僕はやっぱり見捨てられないよ。だから、 ──── 」
「わかったよ」圭介は溜め息をつき、立ち上がる。「風呂入ろ。俺、準備してくっから」
「ああ、うん。ありがとう」

少年の背中が廊下へ消えていくのを見送りながら、拓海はまた溜め息をつく。圭介は心配してくれてたみたいだけど、僕が瞬さんのこと、嫌いになれる訳ないよ。ぶっちゃけ、僕だって今、瞬さんと同じ状態だから。圭介のことがこんなに好きなのに、圭介には花音さんがいるから。僕はやっぱり幼馴染みのまま、友達のままじゃなきゃいけない。少なくとも、来年の3月までは ────











23:00。

きっちり1時間で練習を終え、機材を片付け、防音室を出る。自分の部屋のドアを軽くノックすると、はい、と声が聞こえた。

「あれ?」ドアを開けながら、銘は尋ねる。「起きてた?」
「あ、はい」スウェットに着替えてデスクに向かっていた瞬は、ノートパソコンを開いたまま振り返り、頭を下げる。「先にお風呂いただきました」
「えっ、マジで?一緒に入ろうと思ってたのに」
「すみません。俺、髪長いので。乾かすのに時間かかるからと思って ──── 」
「そっか、残念」銘はチェストから下着を取り出し、くすくす笑う。「仕事してたの?」
「はい。結構溜まってしまったので」
「あとで見せてくれる?」
「ええ、勿論」瞬はもう一度頭を下げ、右手を振った。「ごゆっくり」






簡単に風呂を済ませ、歯を磨き、髪を乾かして部屋に戻ると、瞬はまだノートパソコンに向かっていた。銘はハンガーにバスタオルを干し、背後にあるベッドに腰を下ろす。

「あっ。それ、今日撮った奴?」
「そうです」
「うわっ、すごっ!」銘は、彼の右肩に顎を乗せる。「毎回思うけど、やっぱ瞬くんの写真って、一味違うよね?」
「そうですか?」
「だと思うよ。構図とかもだけど、よくこういう表情撮るよなぁって」
「ライブに限らず結婚式なんかもですけど、周りの人の反応の方が面白かったりもするので。たまに入れるようにしてます」
「なるほどね」

画面には、ステージ袖にいる圭介と隼斗ハヤトが、微笑み合って何か話している姿が表示されている。瞬はそれを手際よく編集して次の画像を選択し、黙々と同じ作業を続けていく。

「現像とかトリミングとか、そういうのもほんと早いよね?」
「俺は、そうですね。下手に悩むと進まないんで、感覚だけでやってしまうところがあって ──── 」
「どういう風にすれば一番が生きるのかっていうのが、頭に入ってる感じ?」
「ある程度のパターンはあるんですけど、機械的にこなしてしまうと仕上がりも単調になってしまうので。たまに敢えて逆転させたり ──── 」
「へえ。音楽とも通じるね、そういうの」
「そうなんですか?」
「うん。でも、ジュリーニョの口癖は、"王道を恐れるな"だったから。なるべく正攻法で行くようにはしてるけど」
「なるほど。いい言葉ですね」
「俺の写真は?」
「先に現像しちゃいました」
「えっ、何で?」
「皆さんお待ちなので」
「あっ、そうか。瞬くんのFacebookに上げてるんだっけ?」
「そうです。親しい人限定で ──── 」
「俺、アカウント持ってないから。見れないんだけど?」
「ああ、そうでした。LINEの方にお送りしますよ」
「でも何か、自分の写真欲しがる奴ってどう?痛くない?」
「そんなことないですよ」瞬は、思わず笑ってしまう。「 ──── はい、送りました」
「おっ、サンキュ!」銘は彼から体を離し、iPhoneを手にしてベッドへ潜り込む。「 ──── うわっ、凄い!かっこいい!自分じゃないみたいだよ!」
「いや、銘さんですよ?間違いなく」
「俺、ベース弾いてる時、結構きつい表情してるんだよね。笑って弾きたいのに、どうしても出来ないんだ」
「普段は見られない表情ですから。俺は、好きです ──── 」

何気なく答えた直後、瞬は急にその言葉を意識してしまう。ちょっと待て。今のって、誤解されないか?

「あっ、いや!あの、すみません!好きって、そういう意味じゃ ──── 」

耳元で鳴る鼓動を感じながら振り返ると、銘はiPhoneを手にしたまま眠りに落ちていて、それを見た瞬はほっとしたような、拍子抜けしたような、複雑な気分に囚われる。

「 ──── 朝早くから仕事して、ライブこなして、練習までして。そりゃ、お疲れですよね」
 

そう独り言ちたあと、瞬は銘の手からiPhoneを外して枕元に置き、彼の体に布団を掛け直してやる。全ての作業を終え、パソコンを落としてバッグにしまい、少し悩んでからスウェットを脱ぎ、ベッドの足元から壁側に体を滑り込ませ、リモコンで照明を消すと、Tシャツにローライズボクサーという格好の銘は、ごく自然に体を寄せ、胸に顔を埋めてくるので、瞬は諦めて左腕で腕枕し、向かい合うような格好で彼を抱き締める。その温もりと重さを受け止め、安らかな寝息を聞きながら、瞬は目を閉じ、必死に邪念を振り払う。ああ、だよな。わかってはいたけど。これはこれで、何と言うか。結構な生き地獄だよ ────



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