健やかなる時も② 27
土曜の夕方だったせいか、電車はやけに混んでいて。
用事があるという彼と共に、一旦渋谷で降りることにした。
窓の外に広がる交差点にも、到着したホームにも、同じように人が溢れていて。
僕と彼は一瞬、お互いを見失いそうになったのだが。
乗降客に半ば揉みくちゃにされながらも、何とか外へ抜け出すことが出来た。
しかし。
階段へ向かう人の群れに紛れて、ほっとしていたのも束の間。
「おい、やべーっ!あそこにアルカイダがいんじゃん!」
背後から突然聞こえた、若い男の声。
最初はそれが、誰に向けられているのか判らなかったのだが。
僕より先に、ハッサンが気付いたようだ。
無視して歩き続けようとすると、違う男が答えて言う。
「アルカイダ?自爆テロとかじゃね?」
「山手線に爆弾仕掛けに来たとか?」
「物騒だよな、全く!何で日本にアラブ人がいんの?砂漠に帰れっつーの!」
「てか、あいつらとアメリカの戦争に、何で俺等が巻き込まれちゃう訳?」
「俺等の税金使ってよ。マジで納得いかねーんだけど?」
如何にも馬鹿にしたような言葉、げらげら笑う声。
思わず立ち止まろうとした僕の腕を、ハッサンが強く引く。
見た目は確かにアラビア人だが、彼は大卒のインテリで。
来日してから10年以上、東京で生活している人だから。
傍若無人な若者の会話を、その内容を。
彼はきちんと理解していたのだ。
「相手にしてはいけません」ハッサンは、首を振りながら言う。「慣れてますから」
「そんな」僕は、敢えて日本語で答える。「例えあなたが良くても。僕の方が我慢出来ませんよ」
「大丈夫です。わたしは気にしていませんから」
そんな僕等のやり取りにも気付かずに。
若者はなおも、大口を叩き続ける。
「てかさ、俺にやらせたら楽勝なんだけど?」
「そうそう。俺達だったら、テロなんて瞬殺だよな!」
「自衛隊が軍隊になったって、クソの役にも立ってねーんだし」
「つーか、ニュースで見たんだけど。米軍にも連合軍にもお荷物扱いだってよ?」
「そりゃそうだろう。実戦経験殆どねーんだから。税金の無駄使いだよ」
「だよな。何が悲しくて、中東のテロリスト如きに世界中が振り回されてんの?」
「あんなん終わらせんの簡単だって。ゲリラの巣に核ミサイルぶち込んでやりゃー、速攻エンドっしょ?」
「ほんっと頭わりーよな。あんな連中、助けてやることねーのに。テメーで這い上がれっつーの!」
「つーか。そもそもあいつらがアメリカに楯突いたりしやがるから、皆がメーワクしてんだよ!」
さすがに耐えかねて、ハッサンの手を振り解き。
そいつらの顔を拝んでやろうと振り返った瞬間。
僕の本能は反射的に、違う何かを捉えていた。
短い茶髪と、ドレッド・ヘアーの若者達の背後から近付いてくる、小太りの男。
群衆の中に浮かび上がる無表情な顔と、不穏な空気を。
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