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人口の80%が外国人の都市で人々はどのように共存しているのか

私はAPUという全校生徒の半分が留学生の大学で約4年間学んできました。そんな環境で留学生との寮での共同生活や、授業でのグループワークなどを体験し、多文化共生についてはとても意識するようになりました。実際全部とても良い経験になったし、他の大学では経験できないものだと思うのでこの大学に入れてよかったと思っています。ただ、一つだけ疑問がずっとありました。それは自分がAPUで学んだ多文化共生はAPUを出てからも使えるものなのか、日本を出て外国人だけの環境でも活かしていけるのかということです。なぜなら、半分が留学生といっても、もう半分は日本人だけで占めているし、留学生もどんどん日本語を話せるようになっていき、日本の文化、慣習にも適応していくからです。そうすると結局日本のルールに慣れる、日本人のように振舞うという留学生からのアプローチがないとAPUでの多文化共生は作っていけないのではないかと思っていました。
そんな疑問を持ち大学生活終盤に近付いた中で、私は現在ドバイで留学をしています。ドバイを留学先に決めたのは偶然のことでしたが、先に書いたような疑問を解決するにはもってこいの場所でした。なぜならドバイは単一民族国家の日本とは全く異なる、人口の80%以上が外国人で構成されている都市だからです。これ想像つきますか??日本でもだんだん外国人を見る機会が多くなったと感じるかもしれませんが、割合でみればたったの2%です。そんな環境で
"様々な国の人々がどのように共生しているのか"
を4、5か月意識して生活をしてきたら、いろんなことが見えてきたので今回はそれについて書いていきたいと思います。

(以下は自分の経験と主観に基づいた考察になるので、証拠などはありません、ご理解ください笑)

多文化共生を実現している都市の文化とは


私は約5か月間ドバイで生活してきましたが、いくら探してもこの地の文化というのが見えてきません。文化がないというのがドバイの文化なのかもしれませんが、”この国ならでは”みたいなものがないです。

これを作っている要因としては上記の通り人口の80%以上が外国人で、伝統文化残していく現地人がマイノリティになっていることです。それに加えてドバイは歴史の浅い国で、調べたところドバイとしての歴史は1800年代からだそうです。なのでそもそも伝統という伝統はないのかもしれません。これらがドバイで文化を感じられない理由だと思ってます。

外国人として異国にきて特定の文化を感じられないのはすこし寂しいですが、この文化がないというのが多文化共生をしていくにあたって大きなアドバンテージになっていくと私は思っています。何がアドバンテージなのかというと、外国人がこの地に住むにあたってカルチャーショックなどの文化の壁をとても小さくできることです。これどういうことだってなる思うので日本の例をもとに説明していきます。日本では、電車やエレベーターに乗る際降りてくる人を待ってから乗り込んだり、公共交通機関では大声でしゃべらない、電話をしないとかって当たり前に守られていることですよね。ただこれって明確なルールが存在するのではなく、別に守らなくても違法ではないあくまでも暗黙の了解だと思います。このような特に明文化されていないルールを外国人が感じ取っていくのって絶対大変ですし、それを理解するには集団主義や、国民性まで考えていかないとわからない部分もあると思うので、適応するのに長い時間がかかります。私はこれが外国人が日本に住む上での一つの障害なのではないかと思っています。

しかしドバイは現地人がマイノリティ+住民が流動的なので、その暗黙の了解を作っていく人々がいません。したがって何かルールがあれば必ず明文化されていて、それを守らなければ罰金というシステムになってます。先ほど文化がないと言いましたが、暗黙の了解や国民の共通認識などがないと言ったほうが正しい表現かもしれません。実際ドバイに住んでからこの地の風習に合わせなくてはいけないということがほとんどなく、最低限の明文化されているルールとモラルを守っていけば何も気にすることなく暮らしていくことができています。私は外国人が現地独自の風習を守る必要がないという環境が、外国人にとってとても住みやすい環境を作っている要因だなと肌で実感しています。そのためまず多文化環境を作るには全く新しい土壌での環境づくりをし、特定の文化を作ってはいけないというのが一番に言えると思います。

ルールに関して


アラブ首長国連邦はイスラム教国家なので、ドバイにもある程度イスラム教のルールがあります。例えば、スーパーにお酒が売ってなかったり、泥酔した状態での外出や、公共の場での飲酒、キスなどは禁止されています。ただイスラム教じゃない人もたくさんいる中で、すべてをがちがちに強制すのは無理があって、実際はあからさまに酔ってなければ全然外出できますし、お酒飲めるところは探せばたくさんあります。警察もそれを統制するために頑張って活動しているかと言ったら、全然そうは見えません(笑)。
電車内のルールもすごくて、居眠り禁止、飲食禁止、ガムも禁止という感じで、そこまでする?って思うところもあります。しかしこれをしっかり定めておくことで起こりうる問題を防ごうとしているんだろうと思います。実際どうやったらバレるんだろうとは思いますが(笑)
ドバイの治安維持として間違いなく言えることは、してはいけないことがしっかり共有されているということです。ただ国がそれを統制するために頑張っているかと言われたらそうではなく、住民が何らかの形でばれてしまうことを少し危惧して、皆がいい治安を保っているという印象です。ルールをしっかり作っておいて簡単に破らせないようにして、統制はある程度緩いっていう感じですかね。ということで多文化環境では厳しそうに見える細かいルール作りというのが必要なんじゃないかと思います。これで自分の感覚的に日本の次くらいに治安がいい場所だと思うのですごいです。

景観を保つために


一度でも外国人と生活したことがある人はわかると思いますが、公共物の使い方などが必ずと言っていいほど問題となってきますよね。ドバイでも同じことが言えます。じゃあドバイがどうしているのかというと、莫大なお金をを費やすことで解決しています。どういうことかというと、単に清掃員の数めちゃくちゃ多いのと、綺麗に保つための設備の供給がすごいです。実際どの建物にも必ずと言っていいほど清掃員がいて、長時間ずっと清掃しています。フードコートなどでは食べ終わったらそのままプレートをテーブルにおいて帰れば清掃員の方が片付けに来てくれます。
この前歩いていたら面白いものを見つけました。

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犬の糞を持って帰ってもらうために公共からごみ袋が提供されているというホスピタリティです。日本では考えられないです(笑)。
またドバイはごみの分別も一切なく、ペットボトルも缶も燃えるゴミも全部同じゴミ箱に入れます。下手に分別をしようとしても、ごみを分別しない文化の人が多ければそれは機能しないですし、後々廃棄するまでの過程で別の問題が起こるのを避けているのだと思います。
日本人みたいに自分のことは自分でするみたいな意識があればいいですが、人それぞれそれまで生きてきた土地でのルールが違って、何か一つのルールを作っても守ってくれないのがわかっているため、このようなホスピタリティになっているのだなと感じました。下手に人々を信用して裏切られるより、自分たちがお金かけてやったほうが楽だってのも見えますが(笑)。
ただこの清掃などの作業を高賃金で行うことは避けたいですよね。そこで出てくるのがインド周辺諸国などからの出稼ぎ労働者です。軽く調べてみましたがドバイの清掃員の平均月収は2000AED(約6万円)だそうです。物価は日本とあまり変わらないので相当ブラックで、どうやって生活してるんだろうってレベルです。ただ彼らを使えば、景観維持のため莫大な量が必要な清掃員も低賃金で多くの数が賄えるのです。なので多文化共生環境では低賃金で働く出稼ぎ労働者というのは必須なのかもしれないです。しかし貧富の差というのも出てきてしまうので、それは問題かもしれません。

差別に関して


海外だと気になるのが、人種差別だと思います。多文化共生をしていくにはあってはならないものですが、結論から言ってドバイには人種差別はないと思っています。私自身はアメリカに行った留学生などから聞くような人種差別は一切受けたことがありません。この理由を考えてみましたが、欧米などで差別されているであろう人種が大多数を占めているからだと思います。実際に下のグラフを見るとわかる通りインド、パキスタン、バングラディッシュのインド周辺諸国からの人が、80%の外国人のうちの半数ほどを占めています。

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すごい偏見にはなりますが、このように白人以外がマジョリティになることによって差別っていうのは起きにくいと思います。あと皆が外国人としてこの地で生活しているので、ただ単に差別できる立場ではないというのもあると思います。
この人種のパーセンテージが大きく変わっていくと、差別問題も出てくるのではないかと思いますが、先に書いた通り出稼ぎ労働者は絶対に必要なので現時点でそれはあり得ないと思います。でも今の出稼ぎ労働者が行っている仕事をロボットができる時代が来たら、ドバイの人口比率は大きく変わっていくと思うので少し怖いです。

まとめ

ということでまとめると、本当の意味での多文化共生環境を作っていくなら、その土地ならではの文化やルールなどを作らず、しっかりと罰金などに結び付いた明文化されたルール作りが必要で、なんらか文化の相違を埋めるには多額な費用を投じて解決していく、そうすると自ずと差別もない環境が作れるというのが私の考えるドバイモデルです。
これを書いていても感じましたが、APUでやっているのは、自分達のことは自分達でやって相手には迷惑をかけないなどの日本のルールベースの多文化共生で、それを留学生たちに教え込ませることで多文化共生を実現しているんだなと感じます。APハウスのkitchen duty(日本人と留学生の寮生が一緒になって毎日当番制でキッチン周りの掃除をする決まり)などからもそれは見えてくると思います。外から来た人に、内部のルールを適応させる、これも一つの良いモデルだと思いますが、これって日本人が必ずマジョリティになる環境だから実現可能なのであって、海外でこれをやるとなるとかなり厳しいと思います。あと実際日本みたいに外国人が2%くらいで、その国独自の言語を使ってるっていう国も多くはないんじゃないかと思います。てかそもそも外国人はたくさんいるけど現地民が明らかなマジョリティの環境って本当に多文化共生なのって思っちゃいました。ということで本当にいろんな国の人が混ざっている環境で、APUのようなやり方ができない場所ではドバイのようなやり方が必要なんじゃないかなと思います。これに気付くことができたので私の疑問は払しょくできました。

最後に、ドバイは本当にいろんな人が共存していて日本では考えられないような人口構成なので、治安もいいし隔離なしでこれるし、私と同じような疑問を持ったAPU生がいたらぜひドバイにきてそれを実感してみてほしいなって思います。

最後まで読んでくれた方ありがとうございました。卒論は書かないのでこれを自分なりの卒論にします(笑)


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