看護師やって35年以上過ぎて
35年以上看護師をやってきて今更だが、免許を取ってフルタイムで働き通して無事定年を迎える人って何%くらいなのかな。自分が新卒の時に見た50代の先輩は、夜勤明けの時は「この人死ぬんじゃないか?」みたいなドス黒い顔をしていたけど、今じゃ自分がその年代。夜勤明けの自分は体が思うような動きにはなっていないし、「今走ってコール対応する場面でしょ」って思っていても、腰の痛みと右下肢の痺れで走っていない。気持ちだけは走っているけど、なんの意味もない。
今の新人さんからは自分は同じように思われているんだろうなあ。それともどんなふうに自分が見えているのだろうか?。一度聞いてみたいと思う。
そもそも看護師になっったのはひどいDVの家から出るために行きたい進路を諦めて偶然知ったこの仕事が最短距離で社会に出て、ずっと働ける国家資格であることであり、患者の一番近くに居て何らかの関わりが濃いことだったから。仕事の細かいところなんて分かっていなかった。たしか入試の競争率は確か48倍だと言っていた。
今と違い学内にいる時間は三年間のうち数ヶ月で、あとは系列病院のどこかにいて何らかの実習をし夜遅くまでその日の振り返りのカンファレンスで絞られ居残り、そのまま同級生の女の子に家に転々と居候しながらノートを書いて翌日のプランをなんとか立てて、そのまま同級生の女の子の部屋の廊下に何も敷かないで横になり、寝た気のないワケのわからないまま朝になって実習病院に向かう日々だったことを思い出す。僻地医療の実習もあり、その時は医局の片隅に住んで病院食を食べて実習していた。その他の時期は何を主に食べていたのだろうか。自分の家にはどれくらい帰っていたのだろうか。もう覚えていない。自分の家は自分の住処ではなかったし、安心できる場でもなかった。
今と違い系列病院には全診療科があったから、系列外の病院に実習のお世話になることはなかった。その実習の中で買い手優先のマッチングが病院と教務によって密かに行われ、卒業時には受入れ可能とされた2つか3つの職場の中で就職先が卒業時には決められていた。通学期間の三年間のうち、三年の12月までは病院実習で国家試験の勉強どころではなかった。何をやったのかわからない卒業論文を書き上げて、やっと実習が終割った。翌日からは即国家試験対策。
学校には国家試験の過去問題がなぜか手に入っていて、それを繰り返し読み込み何が本試験に出るのかを予測してぶっつけ本番で、行ったことのないどこかの高校の体育館で国家試験を受けた。だいたい寝不足だし、マークシートを1か所ずらしてチェックしてしまうと全てがパーになってしまうので、問題が読めても答えが分かってもマークシートのズレの方が気になってならない。
試験の最後の方は頭の中でそんなに気にも留めてなかった音楽がひたすらエンドレスで流れ続けていて、その音楽を自分で止めることはできない。試験が終わった後のバスや地下鉄の中でもその音楽は頭の中で鳴り続け、翌日の朝になってようやくその音楽は止まった。
数秘術からのメッセージを受け取り、自分との対話で豊かな人生を送れますように。