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自分の気持ちがわからない話と、「死ぬまで生きる日記」の感想

私は話を上手くまとめるのが下手である。
話している途中にも話したいことコロコロ変わるし、着地点が見当たらなくなる。
また、よくやるのが他人のセリフを言うって行為。
私のnoteを覗いてみたことがある方は知ってるかもしれないが、私はかぎカッコ「」を多用する。
例えば、今日お母さんが飲みに行くから家にいないってことを人に話したい時は
『今朝お母さんが「今日友達と飲みに行くわ〜」って言ってたわぁ』
みたいな話し方をする。
『今日お母さん飲みに行くから、おらんねんて』
とは言わない。
きしょい喋り方するな私とは前々から思ってたけど、ある時ふと思った。

私、自分の考えがないから、他人の言葉を利用してない?

そんな気がする。なんだか。

今年の初めのつぶやきだが、これは私にとってとんでもない発見だった。
今までは、これって割とみんなそうなんだと思ってた。
けど、もしかしたら私特有なのかもしれない。

昔から感想文とかお手紙が大の苦手で、小学生の時に「クラス全員に一言お手紙を書きましょう」って言う授業があった。
誰かに甲乙をつけたくないって言う理由を盾に、わたには全員に「Thank you :)」って書いた。
親友にもそうした。
全員描き終わって、みんなで手紙の交換会をして、手元に来たお手紙を見た時に、みんなすごく色々書いてくれてた
「いつも笑顔だね」とか
「またポケモン一緒にやろ」とか。
みんなそんな風に思ってくれてたん?
そんですぐにそんなに内容書けるん?
って思った。
自分みたいに本当に一言全員に同じこと書いてる人はいなかった。

成人式の前撮りの時「両親に一言お手紙を書いて、ソレを持って写真を撮りましょう」ってのを写真屋さんがサプライズで用意してくれてた。
私はもう絶対にそんなんうまくかけないことが自分でわかってたので、
「いつもありがとう」
とだけ書いて
「これでお願いします」
ってわたした。
写真屋さんは「もっと書いてもいいんだよ!?」って言ってたけど、その一言だけにしてもらった。
母にはみかみながら渡したら
「あんたお手紙苦手やもんなー」
って言って笑ってた。

この間、入社後初めて上長との面談があった。
「仕事どんな感じ?」とか「どんな感じでキャリアアップ目指していきたいとかある?」とか色々聞かれた。
何もわからなかった。

毎日生きるのが大変だから?
まだ何もわからないから?

多分違う。

私の気持ちがわからないからだ。

突然そう思った。

昔は自分以外になりようがないから、自分の普通はみんな大抵普通なんだと思ってた。
が、蓋を開けたら私はADHDの診断書を待つこととなった。
妹が検査を受けたついでに受けた時に初めて「私の生きづらさは世の中全員のものではない」と知った。
この瞬間から私にとってADHDは「免罪符」になると共に、自分は普通ではないという「足枷」にもなった。

それでも、なんとか普通になりたかった。
得意なことや好きなことがあんまりないから、きっと発明家や文豪のようにはなれない。
じゃあせめて、慎ましく、平均点ぐらいに生きたい。

きっとその気持ちが「私の気持ち」を殺して「他人に合わせる」や「他人に応える」に成り変わり、自分の気持ちが見えなくなってきたのかな。と思った。
わかんないけど。
もしかしたら生まれつきなのかもしれないけども。


この間こんなnoteを書いた。

なんとなーく「死にたいな」と思い続けているんです。って言う話をつらつらと書き連ねているだけのnoteなのですが、
そこのコメントで、「死ぬまで生きる日記」という本をお勧めしてもらった。
試し読みをして「私と同じ気持ちだ!」と思って、久々に読書をしました。
感想文は苦手なので、私がこの本から受けた影響についてちょっとだけ。

この本は、漠然と死にたいと思っている著者がカウンセラーさんと共にその気持ちについて考えて行くお話。

まず最初にびっくりしたのが、著者がクリニックに行った時「普通の人は死にたいと思わないから、あなたは病気です」と言われて薬を処方されたこと。
普通は死にたいって思わないんだ!?
つまり毎日ハッピーってこと!?
かなり驚いた。

読んでいって共感できなかったのが、彼女は育った環境が少し特殊というか、訳ありだったこと。
私自身は全くそう言う家庭ではないので、ある意味「心に傷があるわかりやすい理由があって羨ましい」とも思った。

母親というものにコンプレックスのようなものを抱いている著者がカウンセラーさんからおすすめされたのが「マザーリング」
これはお母さんが赤ちゃんの気持ちに寄り添って「眠たいね」とか「楽しいね」とか言うみたいに、感情を口に出す(おそらく心の中で思うだけでも良さそう)って言うもの。
自分で自分の母親になるのだ。

この本を読んでから自分でこれをやってみようとするが、案外難しい。自分の気持ちがよくわからない。
すごくわかりやすい「眠いね」「お腹すいたね」とかは出てきても、私って疲れてるの?それとも怠けてるだけ?、楽しいの?それとも空気読んでるだけ?なんてよくわからなくなる。
もう少し実行してみようと思います。

へぇ、確かに。と思ったのが
「死にたいと思いながら生きているということは、生きたいと思って頑張っている」
と言うこと。
死にたいと思うのが辛いのは、生きたいから死にたい気持ちと争っているのか。
「生きると死ぬの間がなくて、極端になっている」
って言うのも目から鱗だった。
確かに私の人生って、生きるの楽しい!or 死にたい!の2択かも。
白黒つけないで、「どちらでもない」を用意するといいのか。

この本を読んでいても、私とは違う境遇だったので、完璧に自分がどうしてこう言う感情をもっているのかについてはわからなかった。
が、自分の出来上がった思考の癖が少しゆるゆると解けて、こういう風に生きるのもいいなと思えるようになった。

以上!
毎度のことながら突然私のnoteは終わります。
次は仕事慣れてきたよnoteがかきたいな。

またお会いできれば嬉しいです。

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