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短編小説『クソリプ』

吉田がランチのために席を立ちあがりかけたところ、ディスク上の資料に紛れた自分宛ての企画書に目が留まった。メディアに毛が生えたようなwebサイトの編集から今の文芸メインの出版社に転籍し、初めて見知らぬ者から受け取る企画書だった。実名と出版社名を公表するTwitterアカウントを見つけて送ってきたのだろう。送り主の「曲谷豊」という氏名には聞き覚えがあり、どこかで会った人物かもしれないという予感が記憶の底で働いた。封書の中身は予想通り出版の企画書で、手記らしき変なノートが混ざっていた。表題の「クソリプ王子の手記」に吹き出しそうになったが、吉田の中でやはりこの人物と関わったことがあるような気がしてならなかった。

送付状には、クソリプを楽しむために集まった人間同士の悲喜交々のドラマ、これを本にできないか云々、みたいなことが書かれていた。手記が混ざっている時点で個人の感情を押し売りしている感があり、辟易したが、以前に接点を持った記憶が興味となり、日々のクソリプ活動をつづった手記とやらをはじめから終わりまで一気に読んだ。


七月七日

本日、記念すべき「第一回クソリプサークル会合」を玉川通りのロイヤルホストで開いた。遊び心にあふれたリプ活動をモットーに立ち上げたサークルがついに始動した。おそらく日本で唯一の団体であり、手前みそながら貴重な存在だと感じる。活動記録や日々思うことなどを書きとめるのも悪くないと思い、日記をつけることにした。

この日集まったのは、俺、スイマンモクマン、真田彦、青いちご。ユキは急用のため欠席。

初対面といってもTwitter上で何度もやり取りしているし、見知らぬ間柄ではない。なのに、直接顔を合わせて話すとなるとそれなりに緊張するものだ。腹を探り合うように言葉を選ぶ時間が続いたが、「クソリプ王子さん、アイコンと似てもにつかないですね。盛り過ぎですよ。てっきり20代前半の方かと思ってました」と年下の真田彦に軽口を叩かれ、気を使う必要はないんだと開き直れた。どちらかというとTwitterでは一番印象の薄かった真田彦が、案外大胆だったと分かったのも、対面ならではの発見だった。

今日の会合の目的は他でもない、このたびサークルを立ち上げた意義と、実のあるクソリプにするための「方針」を確認するためだ。俺たちはこれまで思うがまま好き勝手にリプを飛ばしてきたが、こうしてサークルを立ち上げる以上、「理念」がなければならない。バラバラの個をまとめ上げるための、一本の手綱みたいなものだ。これをどうするか話し合うのが今回集まった趣旨だった。

みんなもこだわりがあるだろうし、この話し合いに結構な時間が割かれると思ったが、あっさり早く片付いた。俺が持ちだした三か条に、みんな「異議なし」という反応で、開始から三十分も経たないスピード決定だった。この展開はやや拍子抜けしたものの、俺が打ち出す方針にみんなついてきてくれるとのことなので、素直に喜ぶことにした。「リーダーはクソリプ王子さんなんだから、我々はついていくだけですよ」メンバー最年長のスイマンモクマンがステーキを頬張りながら言った。45歳という年齢以上に老けて見えた。年配者にも太鼓判を押してもらって、いざクソリプサークルは俺が打ち出した方針のもとで船出したのだった。

俺が提唱した三か条をここに記しておく。クソリプとは、「チャーミングであること」「批判精神を持つこと」「弱者は狙わないこと」

憎めないようなユーモアの中に棘がある。鳥のように高いところから俯瞰して、誰もが気づかない盲点に一刺し浴びせる。そのような攻撃を浴びせる対象は、文化人、政治家、売れっ子タレント、その他SNS上で影響力のある著名人など、高い地位にある人たちに限定。今後メンバーが送るクソリプは、この三か条に沿うものでなければならない。

本日の議題は早々と片付いたため、あとは各々の自己紹介や、Twitterで気になっているインフルエンサーのこと、お気に入りのクソリプなどについての談義に時間をつぶす。話すうちに打ち解けあい、午前二時のお開きまで話は尽きなかった。会計時に周囲を見渡すと、残るのはいつの間にか我々だけの寂しい空間になっていた。

今日参加できなかったユキは、このメンバーに打ち解けられるだろうか。唯一の若い女性ということもあり、若干心配だが、まあ大丈夫だろう。

七月十日

クソリプは楽しい。俺はこれも人付き合いの一種だと思っている。SNSという特殊な空間で、匿名だからこそ生まれる、心と心のこすれ合い。言葉に言葉がぶつかり、火花を散らす。SNS時代ならではのコミュニケーションバトル。

今日の俺が送ったクソリプは、今まで送った中でも5指に入る切れ味だった。グラビアアイドルの立花紗耶香の、「今日は兄の誕生日。来年新卒だから、スーツをプレゼントしました」というツイートに対し、俺がつけたリプはこんな感じ。

おめでとうございます。水着で稼いだ金がビジネススーツに変身!

これだけで立花紗耶香のファンから一斉攻撃を受けた。分かっていたことだが、いつもながら奇妙に思う。この人たちは、一体どうして、自分がやられたことでもないのに怒りのエネルギーをぶつけてくるのか?

この人たちに限らず、世間のクソリプに対する見方は冷ややかだ。クソと罵倒するくらいのことはある。

かくいう俺も、クソリプはクソであることを自覚している。送らずともよいものだと。それくらいの認識は備えている。

しかし、誹謗中傷しているわけではないし、心に深いダメージを与えるほど汚い言葉を浴びせているつもりもない。クソリプは、ギリギリ許されるコミュニケーションというのが俺の言い分だ。

ここまでクソリプが叩かれるのは、まだSNSの過渡期の段階だから、と思っている。

今は受け入れられなくても、意識の成熟とともに、やがて受容されるのではないか。そう見ている。

受容されなくても、「そういうものだ」とみんな受け入れていくようになることも考えられる。

この世に自動車が誕生し、排気ガスをまき散らす巨大な鉄の塊が公道を埋め尽くすようになったが、同時に人間とは時としてこれほどマナーが悪くなる生き物かと、当時の人々はウンザリしたはず。

けれど、そのうち、マナーの悪さや礼儀知らずの問題を声高に叫ぶことはなくなり、車社会の一部に自然と溶け込んでいった。

クソリプもそれと同じなのだ。すぐれた技術革新は高度な利器を生む。それと同時に、余計なものも生む。

なぜ技術革新が必要とされたかといえば、便利になるためだ。

便利になりたいという考えは、人間の欲望そのもの。

欲望から生まれた高度な文明には、醜い成分が当然のごとく含まれる。

便利の代償として受容していくしかないのだ。

七月二十五日

二回目の会合を前回と同じロイヤルホストで開く。初参加のユキは二十分くらい遅れて到着した。前髪をきれいにそろえたロングヘアの、黒縁メガネをかけたおとなしめの感じの子で、年は二十代後半くらいに見えた。方向音痴で道に迷い、そのせいで迷惑かけたことをひどく謝った。席に着いた後もうつむき加減に話す様子に彼女のいじらしさが伝わった。俺がたまらず「そんなに悪びれる必要ないよ。わざと遅れたわけじゃないんだし」とフォローすると、彼女は軽く頷いてそれに応えた。緊張しているようだったから、手首に着けているストライプ調のミサンガを誉めると、明るい表情になって「ありがとうございます」と返してくれた。それ以降は何とか下を向くことなく目を見て話してくれた。

なぜ。クソリプにはまったのか、俺はぜひとも彼女に聞きたかった。純粋に、サークルのリーダーとして、メンバーがどんな考えで発信や行動をするのか知っておきたいのがまずひとつある。もうひとつ、暇つぶしの憂さ晴らしに過ぎないクソリプなぞに、なぜ若い女性がはまるのか、純粋に一個人として興味があった。すると、こんな答えが返ってきた。

「とくに理由なんてないですよ。ストレス発散したいだけです」

他のメンバーと同じだった。軽い気持ちではじめて、今ここにいる。理由など、ない。それは俺も同じだった。

何か答えらしい答えを期待していた俺だが、一番期待していない答えに納得してしまったから不思議なものだ。

しかし、人って、何かしら理由をつけたくなる生き物でもある。その理由に、何か特別なものを見出したくなるのだ。

七月二十六日

今日、青いちごのクソリプに批評したくて、DMを送った。直接のやり取りは普段しないほうだが、ちゃんと感想とアドバイスを送りたくて直接コンタクトを取ることにした。

俺の賛辞に彼は素直に喜んだ。尊敬するクソリプ王子に褒められるのは光栄だ、と言い、そこで倍返しとばかりに俺のクソリプを誉めてくれた。

思えば、この男との出会いがきっかけだった。普段から俺のリプを拝見していたという彼は、鋭い切り替えしと豊富な語彙に感動し、直接俺にDMを送って感想を述べてくれたのだ。「いつも王子さんのリプライ読んでいます」「いや、すごいですね。ぼくもあんなふうな痛いとこ突くリプ送ってみたいですわ」「クソリプ界のスター、まさにクソリプ王子」

こちらが恥ずかしくなるくらいの褒め殺しようだった。さすが営業をやっているだけあっておだてるのが上手い。正直、俺は簡単に誉める人間を信用はしていない。といいつつ、彼が命名したニックネームをそのままアカウント名に採用してしまったが。

彼とのつながりが、スイマンモクマンや真田彦、ユキとの出会いを呼び、こうして輪になったのだから、人の出会いはわからない。

七月三十日

ユキに「クソリプよかったよ」とのDMを送る。彼女が送ったのは、新婚生活の朝の光景をつづった女性インフルエンサーのツイートへ向けてのものだ。投稿された目玉焼き写真と、「は・や・く・お・き・ろ」というのろけコメントに付けたのが、「別れたとき削除されるやつ」というクソリプ。

まず、シンプルなのがよかった。あと、絵が浮かびやすい。この新婚カップルが別れたときに展開されるSNS上の光景。のろけツイートが、人知れず忽然と消え去る寂しさ、それを取り巻く人々の嘲りと冷めた目線、そんな業深き人間の性があぶり出されてくる。そんな批評を送ったところ、彼女は恐縮しつつも喜んでくれた。「実は、頭に“可哀そうに”を付けようと思ったんですけど、ないほうがキレがよくなるかなーと思って。結果的によかったですよね?」彼女は客観的な分析ができる子だ。そして素直な性格をしている。ダメ出しもしてほしいというから、足りないと思うところも指摘した。すると彼女は誉めるよりも喜んでくれた。とても謙虚で人間がよくできているなと思った。

クソリプへの感想コメントから、お互いの仕事のこと、職場で抱える悩みなどを話し合った。彼女は医療事務の仕事をしているらしかったが、これが本当にやりたい仕事か悩んでいるということだった。就職で有利という理由だけで取った医療事務の資格に、いまひとつ自信が持てないらしい。職場の人間関係の悩みもあるらしく、仕事もろくにしないのに長く働いているというだけで威張るお局事務員のせいで毎日が憂うつとのこと。不満やストレスを抱えすぎて弱気になっているようだった。俺は「あまり根詰めて考えるなよ。逃げたくなったら逃げればいい」と励ました。そして、職場の人間にぶつけられない憤りは、SNS空間でぶちまければいい。そのためにこの広大な空間は存在するんだ、みたいなことを言った。そうだ、人間みんな弱いんだ。クソリプクソリプと、そんなふうに冷たく言わなくてもいいじゃないか。クソリプを送る人間だって、いろいろ抱えているんだよ。ひどい犯罪をやっているわけじゃない。蚊にさされたくらいに思っとけばいいじゃないか。「匿名」と「生活圏外の人間関係」という武器がなければ、他人に甘えられない弱者もいるんだよ……そんなことまでユキには言わなかったが、自分を追い詰めるより言い訳で逃げたほうがいいとは、本気で思う。形は違っても、みんなどこかでやっていることだから。

八月一日

今日も、ユキとDMでやり取りをする。けっこう突っ込んだ話ができた。

ユキは最近、失恋したという。「橋の下に捨てられたワンちゃんと一緒です」一方的に別れを告げられて独り残された状態を、彼女はこう表現した。しばらく夜の街をさまよい酒に逃げる日々だったことを、つらつらと書いて送ってきた。その文字は涙に濡れているようだった。彼女は言わなかったが、クソリプにはまった原因もそこにあるのではないか。「このことは他のメンバーには内緒にしてくださいね」俺にだけ話すことだと彼女は言ってくれた。

秘密を打ち明けてくれたお返しとは言わないかもだが、俺も自分の過去を打ち明けた。元東大受験生だったこと。その名の通り、「受験生」のままで終わったこと。四回チャレンジして失敗。結局東大進学はおろか大学で学ぶこともかなわず、何の色もつかない社会の構成分子となった。ピザのデリバリー、自動車シートの組み立て、靴屋のリペアなどを経て、今はプランターの配送ドライバーをやっている。机にしがみついて勉強していた頃の俺が描く未来は、こんな生気のない灰色じゃなかった。もっと生きがよくてツヤもある、まぶしい光に照らされた世界だったはずなのだ。そんな胸の痛みを抱えながら生きている。彼女には、痛みを抱えながら生きている人間はたくさんいるし、そんな人間は同じ痛みを持つやつを絶対裏切らない、ということを言いたかった。私も、クソリプ王子さんのこと、裏切らないですよ、と彼女は言ってくれた。

彼女とのやり取りは0時を回るころまで続いた。その夜は何だか興奮して眠れず、冷えたビールが飲みたくなって深夜のコンビニへと駆けていった。見上げると何星かわからないが、やたら光っている星を見つけた。

八月四日

ユキに「今度の週末、食事どう?」と誘った。DMだけじゃ話足りなく、いっそ会って話したい。そうお願いしたら、意外にもあっさりOKの返事が来た。「私も、いろいろ聞きたいことがあったのでちょうどよかったです」思い切って誘ってよかった。

八月十日

ユキと食事した。この日は、自分の中でクソリプとは何か、気づいていないことに気づかされもして、いろいろ収穫のある一日となった。

俺たちが入った居酒屋は、宮崎の地鶏が評判の麻布にあるお店だった。お酒が得意じゃない彼女は、甘酒を一杯頼んで後はレモンサワーだけ注文していた。俺も今日は話メインでいきたかったので、ビールを数杯頼む程度にとどめた。しかし、話していくうちに気持ちがのって終盤は日本酒が入るようになったのはご愛敬ということにしておこう。

二人だけの会合ということで、クソリプ王子さんのこといろいろ教えてほしい、と彼女は言った。いつもは私が愚痴を聞いてもらう立場なので、今日はクソリプ王子さんが自分のことしゃべってください、私がいっぱい質問しますので。甘酒をちびちびさせながら彼女はそう懇願した。

正直、助かったと思った。そうやってルールを決めておけば、話が途切れて沈黙が流れる心配もないだろう。もしかしたら、彼女も同じ不安を抱えていたので、知恵を出してくれたのかもしれない。

なぜクソリプにはまるようになったのか、サークルを立ち上げたきっかけは何だったのか、将来どんな活動を予定しているのか、みたいな、クソリプ活動に関することを知りたい、と言ったときの彼女の眼差しは真剣そのもので、押されるくらいの迫力があった。こんなふうにグイグイ押してくる一面があるのは意外だった。

彼女が質問のたびに「クソリプ王子さん」というものだから、回りくどくでしょうがなく、本名を教えた。曲谷豊。これが俺の本名だから、名前で呼んでくれと伝えると、「じゃあマガリさん」と今まで呼ばれたこともないニックネームをつけられた。悪意はないだろうけど、ちょっと引っかかる呼び方だなと思いつつも、彼女との話を進めていく。彼女の質問を受け、しゃべったことを以下にまとめておこう。

まず、Twitterアカウントを作ったきっかけだけど、特別なことはない。たぶんみんな一緒だと思うけど、何かを発信したいわけでもなく、ただふと感じたことや思ったこと、気づいたことなどをメモみたいに残すだけだった。だから、最初は誰に向かって言うのでもなく、本当にただ「つぶやいていた」だけ。フォロワーも少ないし、人脈も広くなかったから、何の反響もないのは当たり前。それに特別な不満はなかった。

ところが、とある芸人のツイートに対して送った、何気ないリプが受けてしまったんだよね。今までにない「いいね」がついた。それはかなり新鮮でインパクトある体験だった。話で聞いていただけの絶景ポイントを、実際に見て感動したような、そんな感じ。なるほど、これがTwitterの醍醐味か、ちょっと自分が有名人になった気がして、気持ちよかったのを覚えている。

そのときそんな意識はなかったけど、結果的にはクソリプだったんだろうね。確か、収録を終えてゲストと楽屋でツーショットを撮った写真をあげていた投稿だったけど、それに対して俺は「この写真のただいまの最高価格5円」と送ってやったの。俺はたまたま前回のオンエア見てて、この芸人さんのサイン色紙がヤフオクで5円で売られてたと嘆いたいたから、それに合わせてぶっこんだだけなんだけどね。コメント欄見た感じ、俺のリプが一番いいねが多かった気がする。

それが大きな処女体験になったのは間違いない。それでちょくちょく有名人のツイートに絡むようになった。芸能人や有名インフルエンサーに絡むと、多くの人の目に留まるからね。いいねももらいやすいし、拡散もされやすい。やっぱり独りの空間でちびちびやるよりは、ずっと楽しいよ。

俺と同じように、クソリプで味をしめた奴は一定数いるんだね。それが青いちごやユキちゃんといったサークルメンバーになるわけだけど。同じ匂いのする者同士、やっぱり惹かれ合うものなのかな。

ただ、俺の中にはずっと、クソリプのポリシーみたいなものがあって。それは、一般人には絶対絡まないということ。ちょっと揶揄う相手は、やはり大きな存在でないと。それは注目されやすいから? まあそんな意味もあるけど、一番大きいのは、弱い人をつつくのはよくないかな、ということかな。あと、誹謗中傷は絶対にしない。混同する人も多いけど、クソリプと誹謗中傷はまったく違う。確かに、本人がどう受け止めるかの問題だけど、そこは俺の中で明確に区切っている。人を罵倒したり、根拠なく名誉を棄損するような発言はしていないつもり。それは俺の美学といえば大げさだけど、守っていきたい砦だね。

サークルを立ち上げようと思ったきっかけ、まあそんな大それたことしようと思ってはじめたわけじゃないけど、せっかく出会った仲間だし、何か新しくはじめるのもいいかな、と。ただ親睦を深めるだけじゃもったいないし、中身のあることしたいと思った。だから、組織っぽく理念もつくったけどね。

クソリプをする俺たちって、言ってみれば色物扱いじゃない? そりゃ市民権得られないのは分かるけど、今はSNS過渡期だから、無理もないと思う。俺は、次第にそれも受け入れられていくと思うんだよね。何でもそうだけど、新しく入ってきた技術って、最初は受け入れられないものだし、副作用がつきものなんだ。でも、そのうちそういうものだという耐性も生まれて、もう何にも文句を言う人がいなくなるんじゃないかな、と俺は見ている。

ここで俺たちが、洗練されたクソリプを生み出しつづけたら、ひとつの文化だって生まれる。えーと思うかもしれないけど、新しい文化なんて最初は否定されるもんだよ。今は当たり前のようにもてはやされている歌舞伎とかだって、男が女の格好して一体何考えてんだという声は絶対あったと思うよ? 確かにいいものは残るし、それに値しないものは消え去るのみ。でも、続けていかなければ残るも残らないもない。

今の境遇や人生に満足しているか? それは前も言った通り、ほど遠いね。それがクソリプに走らせた? まあ、関係あるかもしれないね。確かに、仕事が大好きで人生に満足していたら、やっていなかっただろうな、とは思う。

だからといって、ヘンに卑下する必要はないと思うね。ここまできたら、とことんやろうかな、と。やる意義はあると思う。クソリプは、なくてもいいけど、あってもいいじゃん? というのが俺の見解。第一、クソリプも許容できない社会ってどうよ? どうせ人間、面と向かって本音を言わない世界でしか生きていけないわけじゃん、それなら、匿名でもいいから言いたいこと言おうよ、クソだろうが何だろうが、心にためておくよりはずっとマシだね。俺はそう思うね。

酒は確かに入っているけど、酔っ払って前後なく話してるわけじゃないよ? これは全部本当のこと。思っていることのすべて。でも、ここまではっきりと言語化することはなかったね。おかげで、ああ俺ってこんな考えでやっているんだ、と発見もあって楽しかったよ。俺自身もよく分かっていなかったのかもしれない。また、ごはん食べよう。今度は、ユキちゃんのクソリップに対する想いを聞かせてね。

八月二十日

何だか、今日は疲れた。ちょっとしばらく休みたくなった。ユキと楽しい食事の時間を過ごした後だっただけに、反動も強く働いた。

今日のサークル会合は三軒茶屋の居酒屋で開催した。これまでのファミレス会合をやめ、居酒屋でやろうと言い出したのはユキだった。確かに最初から居酒屋でやってもよかったかもしれない。それほど込み入った議論をするわけでもないし、いつも雑談や関係のない話ばかりで終わるのだ。そろそろ会合という言葉もやめて、親睦会とかオフ会という名に改めてもいい。

とはいえ、趣旨はサークル活動の内容や今後の方向性を決めていく会議なわけで、大事なことも話し合う。今回は「サークルの今後」についてどうするかがテーマだった。

現在のメンバーは五人。会員を増やして活動の充実を図るか、それとも現状維持のまま、内容を濃くしていくか。組織の拡大を図るのなら、体制もきちんと整えたほうがいい。会費を集めて活動の原資とし、会計係や広報係といった役割分担も決める。そんなふうに組織としての体裁を整えたほうがいいんじゃないかという話をしたかった。

けれど、俺以外、そんな話にはあまり興味がないふうだった。「今のままでいいんじゃないですか。そんな大げさに考えなくても」スイマンモクマンの発言に、みんな首を縦に振る。どうやら、サークルとしての体裁を真剣に考えていたのは俺だけだったようだ。みんなは、ただクソリプを通してゆるいつながりが生まれればいい、その程度でよいらしかった。だったら、わざわざ理念など決めずともよかったし、サークルもつくらなくてよかったのでは、と思ったが、我がサークルは民主制を導入している関係上、現状維持が多数となればそれに従うしかなかった。

「王子は熱血漢だな。俺たちそんなに重く考えていないですよ。適当にクソリプ送ってたまにこうして集まって楽しめればいいじゃないですか」

薄ら笑いを浮かべて言う青いちごの表情は分かりやすく赤らんでいた。何だか俺だけが一人熱くなり、クソリプのようなつまらない遊びに真剣になって取り組む姿勢がいかにも滑稽であるかのように指摘されたみたいで、酔いがサーっと冷めていくのを感じた。クソリプ文化いいですね、広めましょうよ、賛同者集めてサークル? いいですね、俺がつながってる仲間をつなぎますよ。そうおだて、背中をはたくように押したのは君じゃなかったのか? まあ、それとて軽い気持ちで言い放ったリップサービスだったのかもしれないが。

青いちごにとってサークル活動など小さな存在なのだろう。今日はいつになく真剣に話さなかったな。それどころか、ユキの隣にずっと張り付いて話し込んでいた。一応、サークルの今後を話し合う会議だぞ。意見らしい意見も何ひとつ言わず、女子にのぼせ上るだけなら、いっそ参加などしなくてもいい。ふたりだけで飲んでいるわけじゃなく、みんなで集まって酒を飲んでいるのだ。他は誰もいないみたいな空気をつくる奴らの感覚は、社会人としてどうかと思うぞ。

ユキもユキだ。空気を読めよ。何だ、青いちごがしきりに話しかけてくるのに任せて話し込む必要はないじゃないか。今日は完全に二グループに分かれての会議みたいだったぞ。

何なんだろう、この感情は。俺は明らかにイライラしていた。今でも青いちごの顔を思い出すと大声で罵りたくなる。この前、ユキと二人だけで飲んだのは楽しいひと時だった。俺の心はとても温かい気持ちに満たされた。それがどうだろう、今日の会合で、俺だけしか知らない秘密の園は俺だけのものじゃなかった、この冷たい事実を突きつけられて途方もない虚無感に襲われている。

八月三十日

ユキから相談があるので電話していいかというDMが来た。前回のふたりだけの飲みで、電話番号を交換していた。まさか向こうからかかってくるとは思わなかった。最初ユキは前回の件を謝るつもりでかけてきたと期待してしまった。それくらい俺は根に持っていたのだった。

用件は、ユキが記事を書いているwebメディアでクソリプサークルのことを取材したいがどうだろうか、ということだった。ユキの仕事は医療事務とばかり思っていたが、副業でライターの仕事もしているらしい。陰キャだと自分で言っていたが、とんでもない、アクティブな女子ではないか。

今、ユキが企画を出しているところで、まだ正式決定ではないらしい。だが編集部の反応は決して悪くなく、ゴーサインが出る可能性もあるとのことだった。もし決まれば、自分にインタビューをさせてほしいとも言われた。

もちろん、こっちとしてはOKだった。取材、おもしろそうじゃないか。メディアに取り上げられるなんて、クソリプを広めたい我々としてはいい機会だ。俺は胸の鼓動が高まるのを覚えた。

しかし、彼女がそのあとにこぼした「私はただ青いちごさんの知り合いということで、このサークルに入っていることは内緒なんです。だから、もし取材が決まってもメディアの人にそれを話すのはやめてくださいね」とのお願いに、盛り上がったテンションも一気にダウンしてしまった。内緒にしてほしいならそうするが、なぜその事実を隠す必要があるのだ? 口外すると印象が悪くなる? 俺たちは別に犯罪者の集まりではない。確かに自慢できる集団ではないが……ちょっと残念に思った。

もうひとつ、引っかかることがあった。「青いちごの知り合い」という設定だ。確かに最初にコンタクトを取ったのは青いちごかもしれないが、Twitterで知り合っただけに過ぎず、俺たちと大して変わらない。「クソリプ王子の知り合い」という設定でもよかっただろうし、俺がリーダーであることを考えればそのほうが自然のはずだ。また、俺の中でどす黒い感情が渦を巻き、心を支配するようになった。

メディアの取材という、気持ちが上がる話が舞い込んできたのに、モヤモヤした気持ちはなかなか消えてくれなかった。

八月三十一日

ユキが記事を書いているというwebメディアを調べてみた。『ネット沼』というメディアらしい。炎上系ユーチューバーやネトゲ廃人、ネトウヨ、ネット投稿マニアなど、インターネット空間で活動する人やブーム、現象などを特集して現代社会の闇をあぶり出すのが趣旨のメディアらしい。彼女は「木島ゆう子」というペンネームで数本の署名記事を書いていた。

ユキが書いた記事をいくつか読んだ。ネット住人の1日を追ったり、SNS上でバトルを繰り広げるネット弁慶を直撃取材したりする記事で、たいていネット上の人間を揶揄する雰囲気に満ちていた。俺は苦笑するしかなかった。だって、クソリプサークルに入っている自分はどうなんだ、と。当事者ではないのか。でも内緒にしてほしいという彼女の気持ちはよく分かった。ネット住人に対してこんな上からの記事を書いておきながら、編集部に実はクソリプサークルに入ってまして、なんて恥ずかしくて言えないだろう。複雑だが、まあこんなものだと悟るしかない。人間なんて矛盾した生き物だ。醜い部分を抱えていることもわかっている。それを受容できる社会にするための行動として、サークルをやっている意義もあるのだ。

そう自分に言い聞かせた。

九月三日

ユキを食事に誘う。スケジュールを確認して後日連絡すると言われる。

九月七日

不審な輩に絡まれる。ローマ字だらけのアカウント名、卵アイコン、フォローもフォロワーもほとんどなし。そんなユーザーが突然俺のツイートにリプを送ってきた。ツイートの内容は何でもない。仕事中にイラっとしたことがあり思わず気持ちをぶちまけたのだった。後ろの車に煽られたので「猿レベルの知能の持主が車を運転すべきじゃない」と書いた。それに対し、その不気味アイコンは、「クソリプする人間が運転マナーを語るディストピア」と送ってきた。鼻で笑うしかない。クソリプ王子である俺と競おうというのか? 残念ながらバカの相手をするつもりはないので無視してやった。この手の奴には無視が一番利くのだ。

不気味だが、それだけ影響力が出てきた証拠だろう。どうせ送ってくるのなら、エスプリの利いたクソリプを頼むよ、チキン卵くん。

九月八日

今日も捨て垢卵アイコンに変な絡まれ方をした。仕事の合間送った連続ツイートに対し、たて続けにクソリプを送り付けてきた。まったく論評にも値しない低能リプ。知性も何もなく、センスのカケラもない。

クソリプを送り付けて俺がどんな反応をするか見てみたい、大方そんなところだろう。その手にのるか。お前みたいなバカを相手にするわけがないだろう。愚か者め。一人で勝手につぶやいてろ。

夜、なんだかムシャクシャして、ベランダに出て星空を見上げた。月の光で白くなっている雲がゆっくりと西のほうへ流れていた。まばらに浮かぶ星もきれいだ。地上から見えると、星々の位置関係はとても近いように見えるが、実際には星と星の間はとてつもない距離が空いている。とても大きな空洞が横たわっているのだ。下界の人間同士と似ているよな。

星と一緒だと思うと、何だか落ち着いて眠れるような気がした。

九月十二日

今日はサークルの飲み会。もはや会合ではなく、完全なオフ会と化していた。だからもうこれは飲み会でいいことになった。かっこつけて会議だの議題だのと言う必要はない。場所にもこだわる必要もない。静かで落ち着ついた空間で神妙にやることもなかった。たまに集まって酒を酌み交わす。それでいいのだ。

かねてから俺に絡んでくる卵アイコンのことをみんなにしゃべってみた。違うとは思うが、このメンバーの中に犯人がいるような気が、しないでもなかった。決して性格がいい人間でないことは、俺自身も認める。そんな俺でも仲間を疑うのは好きじゃない。好きじゃないとはいえ、疑う気持ちがうっすらと出てくるのが人間というものだ。仲間といっても、知り合ってまだ数か月といった程度だ。深い関係を築けているわけでもないし、密に俺の陰口を叩いている人間がいたとしてもおかしくはない。それは別に構わないのだ。人間なんだから、付き合ってみてこいつとはやっぱり合わないな、と気づくことだってあるだろう。しかし、そんな俺も人間であるわけで、そんなふうに思われれば気持ちもとんがってくる。自分を嫌う奴がいるサークルでのうのうと酒を飲みたいとも思わない。疑惑があるのなら、さっさと解消してケリをつけたほうがよいのだ。

もちろん、話をしたところで、その犯人が自分ですと名乗り出ることはしないに決まっている。たとえやっていたとしても。反応を見ただけでは、何とも言い難い。しかし、やる人間がいたとしたら、犯人はやっぱりこの中にいる確率が高いのではないか、むしろそっちのほうが自然ではないのか、という気がどうしても起こってしまう。そんなふうに勘繰る俺は、単に小心者でリーダーの資格などないのかもしれないが。

正直に言ってしまうと、青いちごが一番怪しいと踏んでいる。この中に犯人がいるとすれば、の話だが。根拠はとくにない。けれど俺の嗅覚がそう言っている。いや、本音を言えば、青いちごがだんだんとうっとうしい存在になっていた。そう思うのは、やはりユキにやたら接近しようとする態度が猛烈に気に入らないから。それで奴のことが黒く映ってしまうのだろう。

どうしてこんなことになったのだろう。本当に面倒だ。こういう自分が本当に嫌い。

九月十四日

ユキに、食事の件どう? とDMしたら、スケジュールが詰まっていて行けそうにない、と言われる。後悔。できれば催促などしたくなかった。予定が空けば自分から連絡すると言っていたのだ。しかし、イライラする気持ちを鎮めたくて連絡してしまった。余計モヤモヤする始末。ドツボにはまってきた感がある。

九月十五日

卵アイコンからのクソリプは止まることがなかったが、今日ついにブロックした。そしたら、別垢に絡まれるようになった。「自分がクソリプを送られるとブロックw醜いご都合主義」。勝手にほざけ。ブロックはこっちの自由じゃい。俺だって何人もの人間にブロックされたが、それに文句はない。俺はクソリプを送る権利を行使するし、同時に相手のブロックの自由は認める。お前みたいに考えなしでやってるわけじゃないんだよボケ。くやしいか? 一切言葉をもらえなくて無言ブロックされるのは。相手してほしかったら直接言えよ。

Twitterのブロック機能を使うのははじめてだった。しかも2回たて続けに。器が小さい? 知るか。

九月十七日

ここ最近俺の心が真空状態かと思うくらい乾ききり、触れるものを切り裂く勢いでガサガサしていた。それが今日、ある出来事によってピークアウトに達し、逆に開き直って少しだけ落ち着くことができた。

まさか、というか、やっぱり、というか。そんなことなら早く言ってくれればよかったのに。直接知らせずにTwitterでほのめかすやり方、いかにも現代的だが、ちょっと陰湿じゃないか、青いちごよ。

青いちごが今日夜10時頃に投稿したツイート。焼く肉屋で撮ったらしい自撮り。何も知らない人は、おいしい焼肉食っているのをただ自慢するだけの写真に見えるだろう。しかし、その写真を投稿した本当の理由を俺は知っている。写したかったのは、焼き肉じゃない。向こう側の席に座っていた、ユキの姿だろう。

全身像が映らなくとも、かすかに映った手首のミサンガで彼女だとわかった。何ともいやらしいアピールをするものだ。コメントには、誰と行ったかは書いていない。けれどひとりで焼く肉屋に行く奴なんてそういない。行ってわざわざツイートするからには「ひとり焼肉」と説明するのが自然だ。しかし、そんな背景には一言も触れていないから、関係性を公にできない相手と一緒に行ったわけだ。しかもうっすらと分かるように!

奴は絶対に、ユキと付き合っている事実を俺にアピールしたかったに違いない。俺に対する勝利宣言なのだ。クソリプの先輩として尊敬していると言いながら、こんな仕打ちをするとは。

と、俺は勝手に青いちごとユキが付き合っていると思い込んだが、俺だって二人きりで彼女と食事をしているのだ。だからこれをもって早々とふたりが付き合っていると思い込むこともないだろう。

ただ俺はこれ見よがしにアピールする人間ではないということだ。奴はクソリプで俺に勝てないから、何か違うことで抜け出したいのに違いない。そう思うと哀れになって怒る気もしなくなった。

九月十八日

webメディア取材の件、企画が通らなかったというユキからの連絡が入る。まあ仕方ない。それにしても、そんなに時間がかかるものなのか。企画を通すかボツにするか決めるのに。

それより気になったのは、電話ではなく、DMで、短い文面で事務的に、あっさりと連絡してきたことだ。そこに申し訳ないとか、期待させておきながらがっかりさせてすまないとか、そういった人間的なものが行間から流れていれば救われるのだが、一切なくて残念だった。

人にやさしくしなかったら、自分もやさしくされなくなるよ。

青いちごと一緒に焼く肉行ったこと、聞こうと思ったけど、やめといた。

九月二十日

いろいろ考え過ぎて、脳と心にこれまでにない負荷がかかっている。

人は考える葦だという。知性の生き物だとも。そのせいで苦しむくらいなら、いっそ知性とかいう面倒な服は脱ぎ捨ててケモノにでもなりたい。楽になれるのならそのほうがいい。

腹立たしい。誰に対して? ユキか? 青いちごか? 

それとも自分自身か?

そもそも、こんな泥沼にはまったのは、クソリプサークルとかいうくだらないお遊びをはじめたせいか?

いかん、自虐の沼にはまっている……。そうやって何でも否定するのはよくない。

ユキと青いちごが、俺のことを一番評価し、一目置いてくれているように感じた。

そのふたりが、今では俺を裏切る側に回ったみたいで、心が切り裂かれたような痛みを覚える。

今の俺の心情にクソリプを送るとしたら?

だめだ、全然出てこない。そんな余裕は俺にはない。

ここ最近はTwitterもろくに開いていない。

開けば嫌でもユキや青いちごの動向が目に入ってくる。

出来る限り彼らと離れた位置を保ちたいという、自己防衛反応の表れだ。

思えば、クソリプを送っていた頃は、まだ余裕があったんだな。

俺は、クソリプに興じる人間なんて、人生に余裕がなかったり、現状に不満があったりするのがバックボーンとしてあると思っていた。事実、自分だってそんな一面はある。

でも、本当につらいのは、クソリプも送れないほど余裕のない状況かもしれない。

Twitterすら開くのが億劫になってもだえている人間が、社会のずっとずっと下のほうに、数えきれないくらいいるんだろうな。

九月二十一日

今日、サークルの会合が開かれる日だったが、ドタキャンしてしまった。みんなには体調不良と説明。リーダーの俺が欠席ということで今回の会合はお流れに。

どこかで、「こんなものやってもやらなくてもいいだろう」と思っている。俺もみんなも。

九月二十五日

青いちごから「お話があります。ふたりだけで会えませんか」とDMが来る。用件は聞かずに承諾。明日、玉川通りのロイヤルホストで会うことになった。

九月二十六日

ロイヤルホストで青いちごと会う。俺が着いたときには、青いちごはすでにビールジョッキ3杯程度飲み干し、少し酔っていた。この様子を見て、何かあったんだなという直感が俺の中で働いた。

俺が着席してどうしたと聞くや否や、「あのユキって女はとんでもないっすよ」と吐き捨てるように言った。あまりに唐突で情報不足、頭の中は混乱しつつ、彼の話に耳を傾けた。

しかし、彼はとにかく、「ユキは俺たちをダシに使おうとした」しか言わなかった。あの女、人を利用したいだけのクズ、カス、人でなし。こんな調子で悪口しか言わない。利用ってなんだ、何をされたんだと聞いても、あのクソ女と罵るだけ。なかなか具体的な話をしようとしない。そして酒を飲んでは毒づく。いい加減しびれをきらした俺は、「何も教えてくれないのなら帰る」と言って伝票をわしづかみにして席を立とうとした。そこでようやく彼は「あいつ小説書いてるそうですよ。サークルに入会したのは俺たちをネタにするためです」と乱暴に説明した。俺は席に戻り、詳しい話を聞くことにした。

小説家を目指しているユキは、新人賞コンクールに応募するための作品を書いているらしい。その作品が、クソリプを通じて出会う男女のラブストーリーというものだ。リアルに書くには、クソリプを送るのはどんな人間か知る必要がある。そして、当事者の気持ちも知るに越したことはない。そこで取材にもなると思い、サークルに入会したとのことだった。

ユキはそんな腹の内を隠して入会した。確かに信頼関係で言うと、あまりよろしくない。青いちごがしきりに「利用した」と口走るのも、反道徳的な行為への抗議の意味だろう。しかし、どうもそれだけではないようだ。青いちごを今狂わしているのは、もっと別の種類に属する感情のような気がしてならなかった。俺はその辺りの核心に触れるべく、単刀直入に「ユキにフラれたんだろう」と聞いた。青いちごは一瞬うっ、と固まり、その動揺を打ち消すように「なんすかそれ」と苦笑いを浮かべながら言った。こいつは、何かあると酒に逃げ近いうちアル中になりそうで心配になった。

俺は、青いちごが先日挙げた焼き肉屋の写真に、ユキが好んで着けているミサンガが映りこんでいたことを指摘した。青いちごがユキのことを気に入り、会合の場でもしきりに接近していたことも、傍から眺めてよく分かっていたことも話した。付き合おうと思って告白したがフラれた、大方そんなところではないのか。そこまではっきり言ってやった。

「まあ、好きだったのは認めますよ」と青いちごはこぼした。失恋の挙句逆恨みして憎まれ口をたたきながら酒をあおる。分かりやすい姿をさらけ出すものだ。

「王子もユキと食事したそうですね。好きだったんですか?」青いちごの表情は急ににやけ出し、好奇心の眼差しをこちらに向けてきた。俺は返答に窮しつつも、「食事には行ったよ、お前飲みすぎだ、酔っ払いと恋バナとかしてもしょうがない」とだけ言って無理やり火消ししようとしたが、自分でも焦っているのがよくわかった。恥ずかしい、面倒、傷のなめ合いは嫌だ。どちらが一番大きいのだろう、それは自分でよく分からなかった。

これ以上絡み酒に付き合うのはごめんだという気持ちが強くなり、引き留める青いちごを振り切って席を立った。その後青いちごはどうしたか知らない。

ユキと青いちごは付き合っていなかった。彼女にとって、俺も青いちごもサークルも、自分がのし上がる踏み台みたいなものだった、ということか。この岩のように冷たい事実が、マグマのようにたぎっていた負の感情を鎮めてくれたのは少し不思議だった。ただ、空虚な気持ちは残った。帰り道、見上げた先に浮かぶ夜空がしきりに輝いても、微笑む気にはならなかった。

十月一日

迷った挙句、ユキに電話をする。先日は青いちごから一方的に話を聞いただけで、ユキの証言の裏付けがあったほうがいいだろう、といういかにももっともらしい口実だったが、俺としてもユキと直接話をしたい気持ちが強かった。

小説のネタ探しとしてサークルに入会したことを、彼女は素直に認めた。そのことを黙っていたのは確かによくなかったと、詫びも交えての釈明だった。俺は別に何とも思っていない、とフォローした。たぶん、他のみんなもそれほど深刻には受け止めないんじゃないの? 青いちごを除いては、と付け加えることも忘れなかった。彼がいまあらぶっている原因は別にあるだろうし、彼女自身もおそらく気づいているはずだった。だからこそ、青いちごについて触れると、彼女も口調がとげとげしくなるしかなかった。唐突に「私あの人嫌いです。しつこいんだもん」と切り出し、うっぷんを晴らすように一気にしゃべった。

お付き合いはできないと断っているのに、あまりにしつこく言い寄ってくる。連絡を無視しても途切れない。しょうがないから、はっきり言ってしまおうと。嫌われるようなことを言えばこんな女だったのか、付き合う価値ないなと目が覚めて勝手にいなくなるかなと。だから、電話でしゃべりました。本当のことを。つまり、サークル入ったのは小説のネタ探しです。もともとクソリプなんて興味ありません。ええ、あなたたちには何のシンパシーも感じないし、共感も覚えません。ていうか覚えようなんてありませんよ。もう少し自分たちのこと客観的に見たほうがいいですよ? 彼女欲しいと思ったらなおさらですよ。私はそんな人に一瞬でも付き合えると思われただけで不愉快です、て。……ごめんなさい。最後に彼女は謝った。謝った理由は、分からない。ただ、俺に謝ったということは、そうなんだろう。そのまま受け止めることにした。

最後に、青いちごによるとクソリプ犯人はユキと言っていたけど、違うよね? と確認の意味で聞いた。彼女は答えるのもバカバカしいと言わんばかりに笑い声をもらしつつ、「あの人そんなこと言ったんですか。重症ですね。私はそんな暇ないですよ。あの人が犯人じゃないんですか? 知りませんけど」と冷たく言い放った。気持ちが立っているのが彼女の口ばしからありありと伝わってきた。何だかやり切れない気持ちでいっぱいになった。

「もういいですか、忙しいんで」言葉選びに迷う俺を突き刺すような、鋭い響きを持った言葉が飛んできた。「うん、忙しいのにすまなかった」俺が逃げるように言ったその瞬間に電話は切れた。

冷静に考えると、青いちごは俺の盾になってくれたのではないか。そんな気さえした。

十月三日

ユキのTwitterアカウントが削除されていた。スイマンモクマンの指摘で分かった。いつ削除されたのか、他の会員に聞いても分からないとのことだった。ちなみに、三人の間に起きたこと、話したことについて、他のメンバーは知らない。言う必要もないと思った。

十月六日

本日をもってクソリプサークルは解散となった。ユキと青いちごの脱退による縮小、3ヶ月を経過しても今一つ活動に盛り上がりあが欠ける点ほか、リーダーである俺の意欲が低下したことも正直に打ち明け、他のメンバーに承諾をもらったうえで解散を決定した。

クソリプを盛り上げたいなんて、まったく思っていなかったことに自分でも気づいた。自分の中で盛り上がるものがない何もないという理由だけで、無理に火を点けようとしたに過ぎない。青いちごに評価されてはじまったクソリプ愛は、ユキに否定されたことで目が覚めた。他人の評価や意見がすべての成分なんて、愛でもなんでもなく、やりたかったことでもないのだ。

それにしても、俺にクソリプを送り付けた犯人は一体誰だったのか。結局分からずじまいだった。青いちごかもしれないし、ユキかもしれない。いや、スイマンモクマンや真田彦の可能性だってある。メンバー外の線も捨てきれない。もういいや。どうでも。クソリプを飛ばす奴なんていくらでもいるのだ。誰がやっていてもおかしいくない。何なら、俺ということにしてもいい。本当の俺が虚構の自分に向けたナイフとでもしておこう。ナイフを突きつけられ現実世界に引き戻されたのなら、それでよいではないか。

今日は星がきれいだ。近くて遠い星。星はとまっているように見えて実際は回ったり移動したりしてるんだよな。銀河も光の速度で移動し、他の銀河と衝突する運命にあるそうだ。しかし、たとえ光速移動しても、重なり合うのは何億年も先だとか。同じ空間にいても一向交じり合えないなんて、人間と一緒じゃないか。星たちも、さみしくて涙を流している。涙に輝く星空を、下界の人間は美しいと言っている。


吉田は手記を書いた人物と一面識もなかった。なのに、この男と会ったような感覚がするのは、ボツになった取材企画に自分が関わったせいだろう。手記中にユキと名乗る木島ゆう子は編集長を務めたwebサイトで使っていたライターだった。取材企画を曲谷に打診するくだりがあるが、これをボツにしたのは自分である。こんなかたちで自分が葬った企画の対象者を知ることになるとは夢想だにしなかった。皮肉なことに、今度は出版企画の運命を左右する現場に立たされたのだ。吉田からすれば嫌な役回りに迷惑千万の気持ちだった。

出版企画については検討の余地もなかった。が、曲谷がこの体験を本にしたいと思い立った理由には多少の興味があった。手記を読む限り、虚栄心や自己顕示欲の強そうな人物だが、これからは虚構の自分を脱ぎ捨て本当の自分を見つめ直すと最後に宣言しているじゃないか。それでまた出版を企図するなんて、本人のなかでどう整合性を取っているのか。

結局彼は自己承認欲求の沼から抜け出せないのだ。だからせっかく手掛けた手記が出版になればとの浅い野望を抱くのだろう。吉田はランチを食べながら、そんな話を先輩の編集者に向けてみた。その編集者は吉田の話を聞いて、「復讐だな」と言った。吉田がよく分からないという顔をすると、彼はイタズラ好きな児童が見せるとうな笑みを口元に浮かべ、「小説の題材にされる前に、自分が本にして潰したかった。俺はそう推理するね」吉田は彼が文芸畑一筋の編集者だったことを思い出し、この話はこれで打ち切りにしようと思った。















































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