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ヴェーダの宇宙観(2)

シヴァ神を根源の創造主とする教義でも、ヴィシュヌ神を創造主とする教義でも、物質世界の宇宙観はだいたい同じです。

ヒンドゥー教の創世神話として、竜王アナンタの上の寝ているヴィシュヌの臍から蓮の花が伸びて行き、そこに創造神ブラフマーが生まれ、さらに、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれた、なんてことがよく書いています。

これは実際の創造活動の段階に入った後の話で、これはヴィシュヌ派もシヴァ派も基本的には同じなのですが、それ以前の宇宙の創造や精神宇宙に関する世界観は、この二派でちょっと違います。

私が学んでいるのは、ヴィシュヌ神(クリシュナ神)を創造主とする系統の教えなのですが、インドではシヴァ神がトップだとする方の教えの方が、多数派のようです。

ヨーガの先生で、インストラクターになる為のトレーニングコースを取られた方は、多少 『バガヴァッド・ギーター』 など、インド哲学について触れられたのではと思いますが、こういったところで教えらえているのも、殆どはシヴァ神を創造主とする系統の教えをベースにしていると思います。

私はこの多数派の方の教えには、あまり詳しくないので、ブラーフマナ階級出身のインド人の方に、そのあたりのことを訊ねてみました。

シヴァ派の宇宙の創造について、まずは紹介してみましょう。

大元の根源があります。
それは人間の創造力の範囲で言うなら、大きな光の球のような存在のようなものと考えることができます。
「光の球」とは書きましたが、それは喩えであり、実際には形もなく、名前もない。
この根源の存在をニラカー(Nirakar)と呼びます。

ニラカー(Nirakar)は、「全て(All/Whole)」であるゆえ、一様にして多様、絶対性と相対性をどちらも併せ持ち、どちらでもあり、どちらでもない。あるいは、多様な形を展開できる可能性を秘めた大元の「種」のような存在と考えてもいいかもしれません。
「全て」であるから、人間や他の生物が持っているものは全て持っています。
人格も持ち得るし、名前も持ち得ます。

このニラカー(Nirakar)が物質宇宙を創造するにあたり、形を持つ人格神という姿を取りました。

それがマハーデウ/マハーデーヴァ(Mahadev/Mahadeva=“偉大な神”の意)、つまりシヴァ(Siva)です。

このシヴァは、根源の性質、宇宙のすべて余すところなく包含しています。
そのシヴァが自分の半分を分離させ、ヴィシュヌを創造しました。
そのヴィシュヌの臍(へそ)から、ブラフマーが誕生しました。

シヴァは破壊、ヴィシュヌは維持、ブラフマーが創造を司ります。
何かを始めるためには、何かを終わらせる必要があります。
シヴァはいわば、すべてが生まれ出る大元であり、また帰ってくる場所です。

さて、ブラフマーが宇宙を創造しようとした時、何も材料がないことに気づきました。
それでシヴァに頼んだところ、シヴァは自分の中の女性性の性質を分離して、物質宇宙を創造する材料として与えました。

その女性性の性質=物質宇宙のエネルギーをプラクリティ(prakriti)といいます。
それゆえ、ある意味、被造物である我々はすべて、「女性」なのだということもいえるかもしれません。

何を創造するかは、ブラフマーに委ねられ、シヴァには決定権はありません。

シヴァが司るのは、すべてが終わったところ=あらたに生まれる前のところ、いわば「死んだ後の世界」ともいえる部分であり、生者の世界である物質宇宙を創造する役割はブラフマー、維持する役割を務めるのは、ヴィシュヌです。

それゆえヴィシュヌは、宇宙の均衡が崩れそうになったり、また創造活動の進展を促したりするため、たびたびアヴァターラ(Avatar=化身)となって、地上に降誕して、悪い要素を掃除したり、善き者を救ったりします。

ヴィシュヌは10度降誕することになっており、有名なヴィシュヌのアヴァターラにはラーマ、クリシュナ、ブッダなどがいます。(インドでは、ブッダはヴィシュヌのアヴァターラの一人と捉えられています)
そして、10回目の降誕は、この世界が終わる時に訪れると言われています。

シヴァ派では、解脱したら、この根源の光に吸収され、一体となると考えられています。

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