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「それ」は本当に存在するのか?

2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻を行いました。そしてそれ以来、ウクライナでは戦争状態で、停戦の目処は立っていません。

さて。ここで、
「実は本当は、ウクライナでは戦争なんて起きてないのですよ」
こう言われたら、どう思われるでしょうか。

多分普通は、何を訳のわからんことを言ってるんだと思われるでしょう。

テレビでも新聞でも、爆撃された都市の影像や、被害者のインタビュー等がたくさんニュースで報道されていたじゃないか、と。

しかし一度、頭を白紙にして考えてみてください。

2022年2月24日以降、ウクライナを訪れたことかある人は一体日本にどれだけいるでしょう。

私たちの殆どはおそらく、自分で実際に見たこともないのに、マスコミの報道やネットの情報のみから、「ロシアがウクライナに軍事侵攻し、その後ずっと戦争が続いている」と思っているのではないでしょうか。

私は今、ウクライナで戦争が起こってないとは思っていません。でも、直接見聞きして確認できない以上、判断できない。もしかするとテレビや新聞で伝えてることそのままではない可能性は大いにある。

このように思っています。

たとえばある日(2023年5月)の新聞に、「三重県でブラジル国籍の女性が首を切られて死亡」とありました。
私は大阪に住んでいます。従ってこの新聞の記事を見ない限り、三重県で殺された女性がいることなど知りようがありません。
マスコミが報道しなければ、私の世界ではこの事件は存在しないも同然です。

逆に言えば、マスコミが報道するので「ある」ことになっている訳です。

私たちは今、このような世界に生きている。
これは事実です。

学生の頃、本だか雑誌のコラムだかでジャーナリストの本多勝一氏が「人間が真に客観的な視点を取ることはできない」というようなことを書いているのを読みました。

30年以上前のことで、今手元にその本なり雑誌なりがないのですが、記憶するところでは、ジャーナリストとしてどこまで客観的でバイアスのない報道ができるのかというような文脈の中で、

「どれだけ客観的たろうとしても、その人の主観を完全に排除することはできない。『撮った写真なら、単にシャッターを切るだけなのだから、そこに写っていることは客観的事実なのではないのか』と言う人もいるかもしれないが、どこを切り取ろうとしたのか、そこでその人の判断が入っているのだ」

というようなことが述べられていました。
確かにその通りで、人は誰しも主観以外の視点を取ることはできません。

それゆえ本多氏は、「これを認識した上で、それでも可能な限り客観的たろうと努めることがジャーナリストとして大切なのだ」ということを書いていたと思います。

私たちは新聞やテレビで報道されることをいちいち一つひとつ、真実か否か確認することはできない。

なので、嘘は言っていないだろうと、とりあえずは考えておくしかないのが、我々一般人の現状だと思います。

だから本来は報道に携わる人たちは、皆良心に従い、誠実に、できる限り客観的に中立的な立場から世界中で起きている出来事を知らせるよう努めるべきです。
理想を言えば。

しかし哀しい哉、現実はそうでもないようです。
なぜかというに、お金がないと新聞社も出版社も何もできない。だから、お金を出してくれる人にどうしても迎合せざるを得ない現実があります。

話を再びウクライナ問題に戻します。

もしあなたが新聞を取っているなら、気づいたことはなかったですか?
特に侵攻が始まった当初なのですが。

記事本文の始めに記者の名前と発信地が記載されていますが、ウクライナ・ロシア関連の記事なのに、ウクライナやロシアの都市が記されていることは、日経新聞では、私が記憶する限りでは見たことがなかったように思います。

目にしたのはだいたいがロンドンやフランクフルトといった西欧諸国の都市名でした。

どうしてだろう。ベトナム戦争では作家の開高健なんかもサイゴンに行ってたよなあ、と不思議に思い、調べてみると、こんな記事が見つかりました。

ウクライナ「戦場ジャーナリスト」たちのギャラ事情「フジテレビの『1本50万円』が最高額」に見る日本メディアの“劣化”(SmartFLASH)

テレビ局や新聞社の社員は、危険な紛争地域には、行かせてもらえない。会社として、従業員の命を危険に晒すわけにいかないからです。
ですので、お金を出してフリーランスのジャーナリストや戦場カメラマンに行ってもらう訳です。

それがどうやら今回は、大手マスコミ各社が十分なお金を出してくれない為、フリーランスの日本人ジャーナリストは現地に向かえない、と。

で、現実問題として、日本のテレビでウクライナの現状として流しているのは、「現地のウクライナ人がSNSに上げた動画を引用するばかり」なのだそうです。

これ、本当に信用できるんですかね?
バイアスのない報道?公平で透明性はある?

日本は世界的に見ても、大手新聞やテレビで報道されることを素直に信じる人の割合が多いと言われます。
でもこれが現実なのです。

それゆえ、一度「それって本当に存在するの?」と疑ってみるのは意味があるのです。今時、CGでないものまで映像に作り出せますからね。

そして自分の感覚や直感で、何かおかしい、違和感があるなら、頭から気のせいだと否定せず、一応心に留めておく。
こういったことを心掛けたいものです。

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