仕事の苦しみとそこから得た教訓

私が経験した、仕事を通して感じたことを言葉にして残したいと思う。
私はこの現場で、2年間保育園の栄養士として働いていた。
気分にムラがあって、機嫌によって人格が変わってしまう先輩、先輩と表面上仲良くしている後輩、そして私の3人で主に仕事をしていた。
先輩は基本的に人当たりが良くて、話しやすいが、嫌なことがあると不機嫌や圧を出してくる。
常に今日は機嫌がいいのかを伺いながら、働くことのストレス、先輩を怒らせないように神経を張り巡らせる毎日。
そして、先輩と後輩は表面上仲が良いため、常に2対1で、息をすることさえ苦しくなった。毎朝、帰り、夜、涙が止まらなかった。
職場が地獄のように感じた。

先輩は常にやる気がなく、疲れた、だるい、帰りたい、死にたい、楽しくないが口癖で毎日、その言葉を浴びせられる環境で、だんだんとやる気が奪われ自分のやりたいことが分からなくなった。

本来、調理室の人間関係が悪くなったら、相談するべきは園長であり、職場の人間関係を良くする立場であるのが園長だと思う。でも園長は自分の欲求を満たしたい、よく思われたい、みんなを救って、評価されたいという、承認欲求が強い人間であった。

ただ、調理室の人間関係だけでも、辛かったのに、園長の人格が私をさらに苦しめた。園長は私に寄り添うふりをして、先輩や後輩に、私の評価が下がるようなことを言っていた。私が言ってもないことを言っていた。

そして、園長に相談した結果、かき乱され、誤解が生じ、さらに関係は悪化、2対1は加速し、3人とも精神不安定で崩壊寸前となった。救いとなったのは、園長の言動にズレが生じ、3人とも園長に対して不信感を抱くようになったことだ。そしてようやく、園長を介さずに3人でコミュニケーションをとるようになった。

ここで得た教訓は「どれだけ人を不快にさせない、傷つけないを意識できるか」ということだ。園長は自分がよく思われたい、みんなの助けになりたい、感謝されたいという思いが強く、その結果、その下で働く私たちを苦しめているということに気づいていない。

人を不快にさせるという基準は人によって違う。だから自分が嫌なことが相手も嫌だとは限らない。自分が嬉しいことが、相手も嬉しいとは限らない。
その行動、誰かを傷つけてない?不快にさせてない?という視点を持つことの大切さを学んだ。

もう1つは、自分を満たすための他者貢献は自由がないということだ。園長は自分が満たされていない状態で、他者(私たち)を救おうとした。だけどそれは、私たちのためになるどころか、関係を悪化させ、苦しめた。問題はそのことに気づいていないということ。自分が満たされればそれでいいのだから、こちらがどう思うかは関係ない。こちらが傷つこうが、苦しもうが関係ないのだ。
それは本当の意味では他者に貢献しているとは言えない。単なる自己執着でしかなく、満たされることも幸福を感じることもないと思う。
本当にその人のためになっているのかを考えない、承認欲求が強い人間が上に立つことの恐ろしさを感じた。

今まで、いろんな人に出会って傷ついたこともたくさんあったけど、正直、こんな人間がいるということを初めて体験した。

確かに、苦しくて辛くてどうしようもなくて、病んだ時もあったけど、ここで得た教訓はとても大きいと思った。
わたしはここを離れる決断ができて本当に良かったと思った。
改めて、色々な人と関わることの大切さを学んだけれど、もう2度とこんな辛い思いはしたくない。


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