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「ふらんす物語」永井壮吉(荷風)

漱石や鴎外は官費でヨーロッパに留学したが、大学を卒業した壮吉青年は私費でまずアメリカに渡り(あめりか物語)、つづいてフランスに遊んだ。

そんなことができたのも父親が上級国民(高級官僚)だったからで、アメリカの大学では英語でなく仏語を学び、正金銀行(本店は現神奈川県立博物館)の支店などですこし働いたのち、大西洋を横断してリヨン支店に移った。

あまり熱心に働く気はなかったようで、乏しい給料の範囲内でだが、夜毎遊び耽り、女を買っていたようだ。

退職ののちはパリに移り、街中をくまなく歩き回り、物思いに耽る。

だが壮吉の眼は冷めていて、西洋文明に現を抜かすようなことはない。ときには眼の眩むようなパリの夜に感嘆し、マロニエの若葉に酔いしれることはあっても、いずれ戻るべき地は明確に視野にある。

体験いがいにも創作された部分も含まれているようで、アメリカでの恋愛、パリでの女との同棲はそうなのだろう。

イギリス経由で地中海を渡る壮吉のまえに拡がる陸地は近く、すぐにも泳いで戻れそうなのだが・・


帰国後も、世間の眼など気にすることもなく自由に生きた荷風。

写真は、ステッキ代わりのコウモリを突きながら、楽し気に下町(浅草界隈か)を闊歩する晩年の姿。

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