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ボクが犬と暮らすということ #2

ボクのこと シゴト

バモスやうずのことを書くまえに、まずはジブンのことを書こうと思います。

大阪で万博博覧会が開催された1970年1月に生まれました。高校を出て印刷会社にデザイン関連で就職しました。働き始めた年に昭和が終わり、平成をまるっと超えて、令和となった今は、岡山県津山市に本社を置く「レプタイル株式会社」というところで、デザイナー・クリエイティブディレクターとして勤めています。
この平成30年間のデザイン業界は、他に漏れず技術革新の波をもろに受けた激動の時代。就職当初は、烏口で線を引き、ポスターカラーで色を塗っていたデザイン制作が、コンピューターによるDTPの登場で、ディスプレイを見ながらマウスとキーボードで描画していくようになりました。その間、デザインや印刷で無くなっていった工程、職務というものも多くありました。例えば製版技術や写植オペレーターなど職人の技であった部分が、テクノロジーに置き換えられました。さすがに人が考えセンスに左右されるデザインの部分は無くなんないだろうと、みんな言っていましたが、ここ最近のAIの加速度的な進歩のおかげで、それも怪しくなってきました。まだまだ10年もしかすると20年くらいは働かなければいけない時代、その中で5年後、10年後、ボクはどんなことをしているのでしょうね。

ボクのこと 犬や猫

子供のころも、犬や猫その他いろんな動物を飼っていました。だけど記憶の中では、可愛がった瞬間の途切れ途切れの記憶はあるものの、一生懸命世話をしたような、一緒に暮らす中で必ず出てくるはずの「日常」の部分の記憶がありません。それはきっと「大切にしてなかった」ということに違いないだろうと思っています。ボクの子供の頃は、犬は庭に繋ぎっぱなし、食事といえば味噌汁をかけた白飯で、そんな時代だったともいえるかもしれませんし、子供のころによくある最初だけやる気で、あとは全部親まかせみたいなこともあったと思います。また、猫を飼っていたころもありました。拾ってきた猫や、いつの間にか居着いた猫がそのうち子どもを生んで、たしか最大8匹くらいいたこともあって、その頃は、ジブンは猫好きなんだと思っていたこともありました。でもやはり猫の飼い方も、当時は家の内外フリーで出入りしていたので、いつの間にかいなくなった子や、中には車に轢かれてしまった子もいました。今思えば考えられないことですが、社会も家もボク自身も犬や猫に対してそんなにやさしくありませんでした。

それから大人になるにつれ、犬や猫なんかより他の事に興味がうつり、犬や猫をジブンから飼おうなんて思ったことは、ただの一度もなかったんじゃないかと思います。家族は金魚やメダカ、セキセイインコやハムスターなどいろんな動物を飼っていました。ボクはたしかにその子たちのことは、カワイイと思いましたが、ジブンのものではない感じで、どこか遠巻きに見ていたところがありました。

ボクのこと 動物愛護

そうそう、大人になってから猫がいたこともありました。まだ目も開いていないような子猫たちが、近所の田んぼにダンボールに入れられ捨てられていたのを子どもが見つけました。衰弱したその子たちを警察に渡してしまうわけにもいかず、奥さんと一緒につれて帰ってきた子たちでした。その子たちを奥さんは、生かそうと数時間ごとにミルクをやり、なんとか命をつないだ1匹は、奥さんの知り合いの方の口添えで、可愛がってくれる里親さんのもとへ行くことができました。思えばボクの動物愛護への最初の関わりはそこだったのですが、やっぱりボク自身は、当時は特になんとも思っていなかったと思います。

うずが家にきたのは、それから少し後、今から言うと11年前のことでした。


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