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キリロムで体験した豊かさとは

夜の間、ずっと小さく鳴き続けていた虫たちに
明け暮れのころ、
鳥たちのささやかな歌声がまざり、
一瞬落ち着いたかとおもうと、

小さく遠くむこうの木々から始まった蝉の合唱が、
一気にフォルテッシモに。
シャワーのように周囲一面に浴びせる。

そこから蝉が徐々に静かになると、
空が白み始め
一匹の鳥が、こちらを向いて美しい声で話しかける。


これは、私たちが四時から真っ暗な森の中で瞑想した時の
音の記録だ。
森の入り口、光は1mで届かなくなる。
拒絶するような闇。

そこに、友人と三人でおそるおそる腕を組みながら入った。
生半可な気持ちでは、入れない真っ暗な穴のよう。
「闇は平等なんだよ。影を作らないから。」
そんな祖父の言葉を心の中で呪文のように唱えた。

20メートルくらい進んだところに、ヨガマットをひいて明け方まで居た。

あるものは星を見、あるものは瞑想し、
その場に身を置いて、聞こえたことは、生き物の声。

先日、訪れた、カンボジアのキリロムは
いわば、私たちが感性で生きることを思い出す神聖な場だった。
その体験記をここに綴る。

朝焼けのキリロムの森


キリロム国立公園を訪れて

プノンペンから2時間半。国立公園に指定されている大きな山の上に、その施設がある。
森を切り開き、木々や地形となじむように創設されたキリロム工科大学。
その付属小学校のサマーキャンプに子供達をいれることを目的に、この春の旅がはじまった。

私にとっても、この最近の人間だからこその体験できたことの一切を
一度腹落ちさせた、まっさらな状態での渡航。

この先に、どんな未来が待ち受けているのか、
そんな期待を胸に、今回の旅をきめた。

キリロム工科大学は、日本人の事業家がつくったIT系の全寮制の大学で、
カンボジアのIQの高い若者が全土からあつまり、アントレプレナーを育ててている。
日本人の学生もいて、最近GAFAに就職がきまったとか。

カルチャーや人種を越えた多国籍な環境。
その大学の付属小学校に、
私の友人夫妻は小1になる息子をつれて、2019年に移り住んだ。

彼らの思い描く未来の教育に、私は深く共感し、
その決断の先に今、どんな未来をつくっておられるのか、
そんな事も見聞きし、体感したかった。

キリロム工科大学の詳細は、友人の夫さん(この事業のマネジメントに参画されている)が出演している
こちらの動画からどうぞ。

学長の飯塚さんが、この事業を設立された文脈は、
ICCのカタパルトでも登壇されている
こちらの動画からどうぞ


大人と子供のスプリングキャンプ

さて、今回のスプリングキャンプでは、その友人家族と、
そのつながりのあるもう一家族、
そして私たち家族それぞれが、子供と一緒に参加した。
うちからは、弊娘、8歳と、5歳を送り込む。

この大学事業には、数名の日本人の方々が参画されている。
どの方々も優秀で大胆な決断ができる面白い方々だ。
そして、自分の体験を社会的なものにすることのできるパッションを持つ方々。
それぞれに移住ストーリーがあり、とても面白い。

大学内の教室。初日の一コマ。

現地では、日本からの子供達、キリロムに住んでいる日本人の子供達、
カンボジア人あわせて、15人くらいの子供達が
一週間さまざまなプログラムを体験する。
すべて英語でのコミュニケーションで、座学を午前中に少し。
現地の子供は、普段英語で授業を受けているのでバイリンガル。
上記の日本人スタッフの子供達も、バイリンガルで非常にたくましい。
そんな子供達の影響をうけながら、
アクティビティの大半を、森の中でドローンを飛ばしたり、
筆で絵をかいたり、親と一緒に朝4時に起きてツリーハウスにいったりした。

アクティビティで一番楽しかったらしいジップライン
先生は、フィリピンの方
ドローンを飛ばしてる一コマ
ツリーハウス。朝日をみるために1時間ほど山を登る。
ツリーハウス上で抹茶を点てる

子供達の学校の間、親たちは、フリータイムで様々に過ごすことができる。
私は、ちょうど日本から進めていた瞑想の時間を
このキリロムでも持つことを楽しみに思っていた。
日本からこられた友人は、ハンモックをつかった空中ヨガの体験を実施。
ハンモックにつり下げられて空をみることのできる贅沢。

ハンモックのつり下がる力を用いたポーズ。
毎日欠かさず朝に瞑想。贅沢。
60年ほど前の廃墟。木々と一体化している。


ここでは、バギーという四輪の原付のようなもので移動する。
レジャー目的ではあるので、もちろん全員無免許。
3分くらいで簡単に乗り方を教えて貰い、
「さあ、いってらっしゃい」

もちろん舗装などされていない、でこぼこすぎる赤土の道を
突き進む。なんども脇道の草むらに乗り上げ、エンストし、横転し、
そのたび大声で笑い、けがをしながら、だんだんと慣れてくる。
すべては自己責任だし、実際に扱うことで、練習をしていく。

友人の11歳の息子が運転していたけど、どの大人よりも上手だった。
昔の人々は、そんな風に実践で学んでいたのではないだろうか。
いつのまにか、私たちは人生で冒険することを忘れ、
リスクばかりを唱えるようになってしまった。

成功が高い確率で約束されていることだけを
選ぶようになってしまった。
「成功」という言葉の意味も深くしらないままに。

レクチャを受けて出発
森林の凸凹道を走る。


廃材を持ちこめば授業が受けられるココナッツスクール

バギーで少し行ったところに、ゴミや廃材だけで創られた学校がある。
経営者はとても有名なカンボジア人事業家。
海洋を汚染するプラスティックゴミをもっていくことで、
小学校の授業と英語と授業が受けられる。
子供達に物乞いをさせたくない。知性を身につけて欲しいとの思いから
つくられたものらしい。
先進国の出したゴミから学校ができ、授業が受けられているとは、
なんとも皮肉なものではないか。

学校内の施設の大半が、廃棄物でつくられていた。
私たちが、商業的にSDGsを唱えているその先にあるものを
もう一度考えさせられる体験。

すべて廃材で創られた校舎
隣接のカフェ。とても素敵な空間。
スクール生との交流。

キリロムにいかれた方は、ぜひバギーでのココナッツスクールの訪問をおすすめしたい。

あとは、馬にのったり、ヘブンクリフという大きな高い崖に行ったり、
森林や自然の気に満ちたすばらしい場にも訪れ、その場所、場所で、大きな自然の力を感じさせてもらえた。

岩に寝転がると風の音が聞こえる
ヘブンクリフというだけあって、天国に近い
ヘブンクリフまでの道のり。トラックの上に載って神聖な森を駆ける。


ゲームセンターも、カラオケも、映画館も、モールも。
何も無いけれどすべてがあるように思える場所。

ここにいると、
人と自然は、対比するものではなく。
人も自然のごく一部であり、その関係がシームレスになっていく。

そうすると、家族や子供を愛することも、パートナーを愛することも、
自然を愛することも、
すべてが同じ感覚であるような気がしてくる。

そして、「心地よい」という感覚も、きっと同じだ。


「あなたの命を、どう使って生きますか?」

そんなことを、森から心に直接訪ねられているような。
そんな気がしてきて、真摯に内省することが
ここでの一番の礼儀だと気づかされた。

子供達はのびのび遊び、
大人は自分の生き方、在り方を再度自問自答する。

それほどのすばらしい旅があるだろうか。

もうこの4年、本当にものに執着がなくなってしまった私自身、
人にお伝えできることを、器や工芸という文脈に載せて
お伝えしてきた。

まだまだ生身の体だからこその自我、
見たいこと聴きたいこと、造りたいものはあるのだけれど、
改めて、さまざまな物事を手放し、
自分が人生で挑戦し
立ち向かってきたてきたことが、
ちゃんと踏むべきマイルストーンだったことを確認できた。

そして、キリロムをでた後は、プノンペンに数日滞在。
赤土まみれの服や靴をすこし洗って、街仕様に。

コンクリートを見ると、キリロムが夢だったような気さえする
南国の空に映えるこの花きれいだった
王宮とシルバーパゴダを見学。

そのあと、3度目のタイ、バンコクを訪れて、
大切な友人とここ数年をキャッチアップして帰国した。

新しい生き方とは

ここ数年、すべての定義の輪郭が滲んできている。
家族とは、
友人とは、
国家とは、
アイデンティティとは、
富とは、
成功とは、
幸せとは、

帰属意識に依存した安心感やアイデンティティの形成は
今はもうとても脆弱だ。
皆は、自分の感性で繋がる精神的な場を求め始めている。

だからこそ、「定義」を自分で決めなければならない。
思考停止では生きられない。
めんどくさくて自由な時代なのだ。
それは子供達にとっても同じ。
自分の頭で考えて、結論をだすことを要求される。
これから必要なのは、知性というサバイブ能力なのだろう。

私は、3年前に拡張家族という形を始め、
家族の定義を変化させてきた。
3年間、共にすごしてきた人々は、
繋がったり離れたりしながら、その時に最高の関係性を
維持し、みんなで家族たるものをつくってきた。

それは、婚姻や何かの義務ではない、
自立した心地よい関係。

そこに、また様々な人生の旅人が入っては出ていき、
ちょうど心地よい一つの場ができあがった。

そして今はこのように思う。
ここから、その「家族」を世界に広げていきたい。

排他的な愛。
私は、こういった愛を手放すためにこれまで生きてきたのかもしれないと思った。

そう思えたのは、
たくさんの決断や苦難を経て、すばらしい体験を自分にギフトしつづける、
そしてそれを還元しつづけている、カンボジアであった、キリロムの方々のおかげ。

そして、何よりも今回旅を一緒に体験していただいた、
プノンペンやタイ、日本の家族のおかげだ。

今回御一緒したビッグファミリーのような愛する仲間たち
タイの大切な友人家族
チャオプラヤを眺める小学生たち

いつの時代も
ピンチはイノべーションにつながる。

私がキリロムで感じた
人も自然のごく一部で、すべての関係がシームレスになっていった時、
最後は言葉なんて、無くなってしまうのでは
ないだろうか、と。
そんなために、人類はテクノロジーを発展させているのではなかろうか。

拡張家族3.0 の始まりを感じさせてもらえてありがとう。
仲間たちに心から敬意と感謝を伝えたい。


自分のスピリチュアリティとは

言葉の定義は、これまで辞書をひいて知ることができた。

これからは、自分たちで
自分なりの定義、哲学、信仰をつくっていく時代。

知性や経験とは、そのために必要なのかもしれない。

だれのこともジャッジしない
自分の信仰、スピリチュアリティ。

個々にそんなものが出来たとき、
そしてジャッジしない品性を同時に持つことができたとき。
争いや戦争が、きっと淘汰されていく。

最近、長女がこんな事を言った。

「ママ、戦争や争いがなくなる、建築をつくりたい。
 だって、みんな陣地をとりあって戦争してるんでしょ。
 わたしは、そんなのをなくすために建築家になりたいの」

きっと娘と共働して働ける世界線が来るはずだと、
それも確信できた。

そんな未来が、楽しみでしょうがない。

馬にはじめて乗る8歳児。


友人の息子氏とみつめあう5歳児。この日の夕日は忘れられない。


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