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「視力を失いかけた話と拡張家族のその後」

視力を失いかけたこと


その日は、花粉症で眼科に通おうとしていた春のこと。

ある日、このまま数週間なんとかしのげば
花粉の季節も終わるし、行く必要もないか、
いや、近所の眼科でさっとアレルギーの目薬を貰えば
少しは早く治る気がして、近所の眼科に向かった。

普通の小さな眼科。早いところ目薬もらって仕事に戻ろう。
今日も忙しいし。
コンタクトレンズ外して、
「いやー傷だらけですね 笑 そろそろ買い換え時では?」なんて
言われつつ、
さっと目薬をもらうはずが、
あれよあれよと
2時間くらいの検査になって、
大病院への紹介状をかいてもらい、
心身共に疲れはてて、しょんぼり会社に戻ったのはもう正午前だった。

診断は「緑内障の疑い」だった。

老眼にいつかなることは想像していた。
だけど、失明する、っていうのは
全く考えていなかった。

私は7歳、4歳のシングルマザー。
「子供たちをどう育てて行こう、、」がまず、頭をよぎった。
こんな時に一番に考えることは、子供である。
そんな親という立場に自分があることが有り難かったし、
でも、同時に恐怖でもあった。

そして、現在の私が携わっている仕事は、
ほとんどが視覚によるものだった、ということにも
気がついたのだった。

そして、10日後くらいに紹介された大きな病院にいった。

待合室でコンタクトレンズをはずして待つこと、50分。
院内は、大病院とあって、混み合っており、
横に人がきたりはするが、私は裸眼が0.01なのであまり見えない。

みんな男前に見えてしまう。(いや、全員男前だったのかもしれない)
友人にきいた樹木希林さんの言葉を思い出した。
「私たちは見えすぎているのよ」と。

見えなくて平和なことは世の中にたくさんあるのだ。

同じような視野の検査などをして、
「はい、緑内障です」と改めて太鼓判をおされた。
先生は、緑内障の名医らしい。
そして、不必要にものすごく明るい。
がはは!!!と笑う。そして、字がきたない。
散々言ってるが、名医であることは間違いなさそうだった。

「今気がついたしよかったで!!
このままやったら20年後見えへんかったで!!」
そしてまた、がはは!と笑った。

うん、なんだかラッキーな気がしてきたぞ。
アレルギーで診察にいっただけなのに、
緑内障が見つかったんだから。

検査結果では、右目の内側一部と左目の一部の視野がすでに欠けていたし、
それが、自覚症状と照合しても間違いはなかった。
とはいえ、片方の目で視野を補完しているので生活に支障はない。

緑内障とは、失明の一番大きな原因になるもので、
高い眼圧で視神経が障害をもち、どんどん視野が狭くなる病気だ。
最近ではなぜか、眼圧が高くないのに視神経がやられてしまう症状もあるらしく、私のはそれと言われた。
「正常眼圧緑内障」という。
そのままにもほどがある。近視の強い人は、眼球が長細くなり
それ故に薄くなった部分が、低い眼圧でも、視神経を圧迫してしまうのだとか。近視の強い人は、気をつけてください。
治療法としてまずは、眼圧を下げる目薬を試していくことになった。

先生が言った。
「まつげが長くなる目薬と、そうでない目薬がありますが、
 どちらがいいですか?」
愚問過ぎる。
即座に答えた

「まつげが長くなるほうで!!」

そこで、私は眼圧を下げると同時に、
毎晩まつげを育毛することになった。
こんな副作用ある? 強すぎるインセンティブ。
ますます、ラッキーすぎるではないか。

1度失ってしまった視力や視野は、薬や手術によっても回復することはないので、「私が死ぬのが早いか、視力を失うのが早いか」という戦いの火ぶたがきられたということなのだった。

つまり死ぬまでに視力があれば、私の勝ちだ。
負けねえぞ。
とりあえず、まつげを育毛していこう。

ーー

銀閣寺の花筏

家族の変化


2022年の桜の真っ盛りのころ、
我が家の拡張家族にも変化があった。
同居人Tが、家を出た。
ここまでの話しをご存じない方は、こちらをのぞいてみてください。

ひとつの「形」が永遠に続くわけがない。
夫婦であっても、家族であってもだ。
だから、変化はきっと想定の範囲ではあった。
夫婦であっても、子供であっても、そんなことは、もうこの歳になると
織り込み済みだし、
物事は、選択をしその選択を「正しい」ものにしていくことでしか、
人生は進まない。

そうして、桜の花吹雪と共に、
同居人Oと私達家族との、4人の共同生活に戻ったのだった。
別れと出会い、桜の時期は大抵そんなもんだ。

長女と次女の性格がよく分かる写真

同居人の交際0日婚


そんな中、ある日、いつものように飲んでいると、
同居人Oが支度をして、
「明日から東京いってきます、結婚決めてきます」
と言って、東京へ行ったのだった。

もうね、うちの家の大人、めまぐるしい。
だいたい子供の居る家は、子供が中心とか言うが
うちの場合は、大人がニュースをかっさらっていく。
子供がかすみそう、
しかし子供も負けてはいない。
だからこそ、子供達は面白くてタフで、人生慣れしている。

そして、大人が子供よりもニュースを持ってくること、
それは、私たちが「子供の人生」を生きていないということ。
大人も子供も、みんなそれぞれに「自分の人生」をちゃんと生きてる。
それが、とても尊いものなような気がした。

そして1週間後。
彼は本当に、交際0日婚で籍を入れて、
更にTwitterを賑わせて、大炎上の打ち上げ花火を背負いながら
報告に帰ってきた。

別居婚で、京都にも拠点を置くことが前提だったらしいので、
今も京都に拠点があるわけだが、
その一つ一つの「決断」を私は心から祝福したいと思った。
「責任」や「決断」ってものすごく重い言葉だ。
でも。
本当に覚悟のある人は、それを軽やかに決め、責任を負える人。
私はそんな風に思っている。

興味がある人は、このnoteをどうぞ。
(ご祝儀価格で1万円しますが、読み応えはある)

「変化」を知っているからこそ、
その変化に対応しながら決断するいうこと。
場当たり的な、気持ちの揺れではなく、
その瞬間と、未来を見据えて、
「決める」ということ。


人生は変数ばかりなんだけど、
一旦、一つ決めたからには、
相手といろんな事を対話していく。
調整していく。
支え合っていく。
許し合っていく。
というフェーズがあるのだけど、
実は「キメ」がないと始まらないことなのだ。

そう思うと人生って、実は自分の
「キメ」の問題だったりするのではないか?

やりたくてずっと先延ばしにしてること。
人や状況やお金のせいにしてること。
いつかいつか、と思って、歳だけを重ねていること。
私なんて、、と思っていること。
思っていても、やれてないことは、
本当に動いてないからかもしれない。

離婚して、私もここ数年動きづらかった。
でも、そうとはえ、
私もこれまでもそんな生き方をしてきたし、
これから、すこし子育てもコロナも落ち着き、
大きく舵を切っていきたいと改めておもったのであった。


そしてイギリスへ


ということで、
私は8月に2週間ほど、子供をつれてイギリスに行ってくる。
実はイギリスはこれまで御縁がなく初めての渡航なのだが、
今回は、子供をロンドンの語学のスクールにいれ、
私はいろんなところを視察する予定。

実に2019年以来の2年半ぶりの海外だ。
久しぶりに、とてもワクワクしている。
来年はもっと長く、できれば、どこかに少し移住してもいい。

いつまで目が見えるか、いつまで命があるか、
悲劇的な話ではなくて、
軽く覚悟と責任を負いながら、これからも生きていきたい。

2022年の春から夏は、激動だった。
大きな変化の時は、一時的に何かを失うものだ。

来年には、更に大きく羽を広げて飛んでいたい。
その時は、更にまつげがばっさばさかもしれない。

ちなみに、今回のイギリス渡航で
ウイスキーの聖地「アイラ島」へ行くのは諦めた。
また必ずチャンスがあるし、仮にいつか目が見えなくなった時でも、
嗅覚と味覚で愉しめる場所と思ったからだ。

五感を一つ一つ分けて考えたことがなかったから、
それは不思議な感覚だった。
視覚があるうちに、見たいものを見よう、と。

最後に

念のため最後に。
40代を超えると緑内障は20人に1人なるらしい。
稀なことでもないし、適切に目薬をすると、
ちゃんと寄り添っていけるものとのこと。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ぼやけた琵琶湖も美しい

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