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エッセイ「過去が迎えに来るその瞬間に人差し指でできること」

昨日、平間至さんの写真展「写真は愛とタイミング」とトークイベントに30年のカメラワークを74歳になった今も現役でダブルワークをしながらこなす父と、マイペースだが、金メダル級に頑固者の母とともに静岡市のグランシップまで足を運んだ。

帰宅してから二日ほど経過しているが、とてもよい心地で今この瞬間を迎えている。23歳の時、精神的にものすごく体調を崩して以来やめたお酒にでも酔っているような、いやこの感覚はおそらく覚めることのない確信にかわっていく…そんな思いだ。


写真展に足を運ぶ前は、写真に対する熱量が少し停滞していたので、そのエネルギーが上記の詩を寝る前に何かを残さないといけないという想い、衝動に駆られて一気に書き上げたもので、最近書いたものの中で、誰よりも私が一番この詩を気に入っている。今後も、そうであってほしいいと思う。誰にも評価されなかったとしても、あの写真展の会場にいた空気と熱量と何かが崩壊されるような、剥がれ落ちる、崩れ去るような体験、感覚が愛おしくて仕方がない。

あなたの人差し指は今、何につかわれているだろう。
今後私にも様々な場面で人差し指を使うであろう。スマートフォンで情報にアクセスする時、マウスを使ってパソコンの画面をスクロールする時と同時にシャッターを切っていて欲しいと未来に願い、今シャッターを切ったら未来が迎えに来てくれるような気がする!

迎えに来てくれると、迎えに行くでは少しニュアンスが違う気がするが、本題はトークイベントでも触れられていたがなぜ私は写真を撮っている、あるいは撮りたいという衝動に駆られるものの環境に居たいと思う。父の為でも、周囲の評価でも無く私が見たものの、感じたもののそのままを残していたい。マイペースの母に「あんたはいろんな事を考えすぎ」といわれる。確かにそうである。だからこそ、そんな小難しいことばかりで、ちっとも笑いの要素の無い笑韻がだれかではなく自分が笑顔になりたいから人差し指に、自らの報われなかった想いや、感情、を救いたい。

高校こそ卒業はしたものの、安定した職に就くわけでもなく生きていく事さえも危ぶまれたこともあるが、だからこそできることがあるのではないか。
今日、散歩に出かけたら黒い雲から強い太陽の光が、ひときわ強く、強く光線を作っていて雲の暗さとの明暗差からくるだけではないような力強さを感じた。なんてことない風景が、また二度とは訪れないこと、散歩を少し休んでいたため稲穂が実る季節になったと告げてくれた。自然の中では誰しもが小さな存在だ。小さな人間同士、どうせなら仲良くしたい。その一番小さな人間の単位の自分がどうして、どのようにしたいかを常に自分の心に聞き返す。サイン会場で平間さんと握手した際に「優しい手ですね。」と言われたことも人差し指に想いを込めて、このエッセイを終わりたいと思う。

PS
あなたの人差し指にも素敵な出会いや未来がありますように!!



#未来のためにできること

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