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フォトエッセイ「あと一歩、先に進むには」


春めいた気候と、少しだけの憂鬱さと寂しさとでもやはり希望に満ちて欲しいこの季節。大雨の後にカメラを構えたらスカイブルーの父の愛車noteにも青い空と雲が写し出されていました。



安定はしているのですが、心の一部がどこかくすぶっている様に感じます。それは、先日の風に揺られたら消えてしまいそうな情熱なのか、満ち足りているという現状に慣れている状態なのかは解せないけれども…。

相変わらず、日常は続いていくし当たり前がいつか崩壊するのだって今や全世界の人々が肌で五感で(あるいはそれ以外の感覚)で体感しているのかもしれませんね。これからは変化もしくはチャンスをものにする、ではなく作る人になれたら良いなと思います。

どーにもこうにも、ならん!
どうしてもうまくいきたい。

それは、私がそれらに執着をしすぎていたからなのでしょう。力が入りすぎていた。今日は70歳になる私の現役喧嘩仲間(笑)の母親とドライブして、
浜名湖を一周してきてこれからおにぎりを作る機会も増えそうだから、と浜名湖産の海苔を二袋買にいきぐるりと一回りし最近これまた母に乗せられて久しぶりに肉じゃがと、以前働いていた場所で作っていて父が食べたい食べたいとしきりに言っていた豆腐の白和えを記憶とカンを頼りに作りました。
懐かしい「昭和トーク」をしながら。

蚊帳の外の蚊帳の話。
売り歩く豆腐屋さんの話。
北海道3.6牛乳のアナウンスだけ聞こえるのに、車のスピードはものすごく早い話。

どれもこれも懐かしくて、でも心がぽわんとなるような懐かしいあたたかいおはなし。

要するに時代の流れなのでしょう。
どれもこれも見なくなったのですが、私はまだどこかで彼や、彼女たちがどこかで巡り合えることができたらいいなと思っています。

さて、少し写真の話になるのですが先日体調が悪い中診察帰りに浜松城公園を家族そろって散策とスナップしてきました。










ここにはのせていませんがすごく心が躍る被写体に巡り合えたのですが、タイトルのあと一歩の勇気がでなくて、心の中でまたしてもモヤモヤやくすぶりにに変わり、その日の晩御飯で反省会(?)をクロームブックを使用してのほぼ独演会の父の写真熱にこちらが焼けこげそうでしたが、

「あと一歩踏み込んでシャッター切っていたら、あんたね、そりゃー世界が変わるよ?」

今は未だ、怖い時があります。
向けられる視線、聞こえてくる会話が全て悪意を持ち自分に向けられているのではないか。未だに睡眠時間が短かったり、疲労がたまると圧迫されたような世界に閉じ込められてしまいそうなそして濁流にのみこまれてしまう様な感覚に陥ります。少しづつそれらの症状はいろんな方々の尽力のおかげで減ってきましたがまだまだ無理はできないです。

その一歩先で私は笑っていて、雨上がりの空と雲を流せるような清らかな心でシャッターを切れたらいいな。

未だ、ファインダーにも世界にも見られてる私。
いつか見ている、感じている人になれたらいいなとあと一歩だけ進めた先の未来と同時になんだかスガシカオさんの曲が心に浮かんだあなたはきっとわたしと同じかもしれませんね。

成功も大事だけれど、涙で枕を濡らした想いとこれからに常に胸を馳せます。






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